第13話

 ――じゃあ、明日! 明日、一緒に遊ぼうよ!




 用事があると誘いを断った私にあやちゃんは少しだけ必死な様子でそう言った。そこまで私を誘ってくれる理由はよくわからなかったが、こちらとしては願ってもないことだったのですぐに了承。あやちゃんに『また明日』と挨拶を済ませ、荷物を手早くまとめて教室を後にした。

 普通であればそのまま玄関へ向かうところだが、用事を済ませるためにはどうしても職員室に行かなければならない。そう思うと少しだけ億劫になってしまう。

(確か西棟にあったはず)

 北高の校舎は作りがシンプルであり、東棟には一般教室。西棟にはそれ以外の教室がある。用事のある職員室も西棟あっちにあるため、校舎を移動しなければならなかった。

 しかし、今は放課後。それも入学初日ということもあり、廊下は帰ろうとする生徒でそれなりに賑わっている。

 親睦を深めるために遊びに出かけるのか。

 明日に備えて早めに帰宅するのか。

 彼らの目的は様々だろう。だが、目的地は玄関なので混んでいるはずだ。西棟へ行くためには玄関の前を通り抜けなければならないのだが、人混みに慣れていない私は人の波に飲まれてそのまま外に出てしまうかもしれない。それだけは避けたいところだ。

(あ、そうだ)

 一つ、名案が思い浮かび、視線を泳がせると渡り廊下に繋がる扉が目に入った。校舎を真上から見た時、『日』という漢字に見える北高だが、渡り廊下は丁度、真ん中の辺にあたる。あそこを通れば人の波に飲まれずに西棟へ移動できるだろう。

 私は人の目を気にしながら渡り廊下に繋がる扉の前へ移動し、そそくさと開けて中へ滑り込む。扉を一つ隔てただけなのに喧騒がどこか遠くに聞こえ、ホッと安堵のため息を吐く。

 渡り廊下の両サイドには中庭があり、すぐに中庭へ出られるように壁の代わりに低い塀になっていた。そのため、風は普通に吹き抜けるのでここを通る時はプリントが飛ばないように注意しなければならないだろう

「わぁ……」

 鞄を肩に掛け直し、渡り廊下を進むと左右に立派な中庭が見えて思わず声を漏らしてしまった。

 廊下から見た時は気づかなかったが、中庭にはいくつかベンチが設置されている。あそこで友達とお昼ご飯を食べたらピクニック気分を味わえて楽しそうだ。

 他にもいくつか花壇があり、色とりどりの花が風に揺れている。

 しかし、中庭に出るためには外靴に履き替えなければならない。一々、玄関に行って靴を取りに行くのは面倒くさそうである。そう思って視線を奥へ移すと小さな扉が見えた。方角的にあの向こうには玄関があるはずだ。

(そういえば、用途のわからない扉があったような……)

 朝、東棟へ行く前に見かけたトイレの隣にあった扉。あの扉は玄関から中庭へ繋がるそれだったのかもしれない。職員室へ行った時にでも聞いてみよう。

 そんなことを考えている間に西棟へ到着。職員室は玄関に最も近いところにあったはずなので左へ曲がり、玄関の方へと向かう。

(あった、けど……)

 程なくして無事に職員室へ到着する。だが、悪いことをしたわけではないのにいざ入ろうとすると怖気づいてしまう。

 しかし、ここで立っているわけにもいかないので意を決してノックを三回。

「はーい」

「し、失礼、します……」

 中から女性の声が聞こえたのでおそるおそる扉を開け、職員室へと入る。そこには数人の先生がのんびりと仕事をしていた。今日は入学式だけなのでそこまで忙しくないのだろう。

 キョロキョロと見渡し、榎本先生を探す。だが、彼の姿はどこにもない。もしかして、席を外しているのだろうか。

「あら、こんにちは。誰かに用事?」

「ッ!? ぁ、えっと……榎本、先生は?」

 そんな私に話しかけてきたのは白衣を着た女性だった。おそらく、養護の先生なのだろう。いきなり話しかけられて驚いたが何とか声を絞り出す。

「榎本先生? えっと……今は席を外してるみたい」

 『何か書き置きとかしてないかな』と養護の先生はフラフラと職員室の奥へと進んでいってしまう。これはついていった方がいいのだろうか。そう思った矢先に養護の先生がこちらを振り返った。

「あ、もしよかったらついてきて。多分、D組の子でしょ? 担任の先生がどこに座ってるか知ってた方がいいと思うから」

「は、はい!」

 慌てて先生の後ろまで駆け寄り、RPGゲームのキャラのようについていく。そんな私を見た彼女は少し微笑ましそうに笑って一つの机の前で止まった。

「ここが榎本先生の机……うーん、書き置きはないみたい」

「そう、ですか……」

 私も榎本先生の机を見るが綺麗に整頓されており、書き置きのようなものはなさそうだ。

 それにしても本当に整理されている机だ。ブックスタンドに数冊の本が立てかけてあるだけで何もない。

(ん?)

 何もないからこそ、唯一置いてあるブックスタンドを見てしまい、その本の中に不思議なタイトルのものがあって首を傾げる。確か、榎本先生の担当は数学だ。それなのに、どうして――。

「どんな用事だったの?」

「へ!? あ、実は……これを中庭に植えてもいいか、聞きたくて」

「これって……苗?」

 そう言いつつ、鞄のチャックを開けて中に入れていた苗を見せる。まさか鞄の中から苗が出てくるとは思わなかったようで先生は目を丸くしていた。

「朝、色々あって……貰ったんですけど、家で育てられるか不安で。もし、学校の中庭にある花壇に植えられたらって」

 苗は貰ったが肝心の道具を私は持っていない。それに加え、肥料とかも必要になるかもしれない。

 だが、私に園芸用品を買い揃える余裕はないので可能であれば学校に植えて育てたかった。もし、駄目なら諦めてホームセンターに寄るつもりである。

「へぇ……いいんじゃないかしら? 一応、美化委員が管理してるけど、そこまで力を入れてるわけじゃないし」

「いいん、ですか?」

「うんうん。やっちゃいなよ。道具は玄関にあるトイレの隣に扉があってそこに入ってるから」

「あそこって中庭に繋がる扉なんじゃ?」

「中庭を整備する用具が入ってる倉庫なの。それでそのまま中庭に出られるように扉が付いてるってわけ」

 なるほど、確かに園芸用品を持って渡り廊下まで移動するのは大変そうだ。土とかついていれば廊下を汚してしまうし、倉庫から中庭に出られるようになっていた方が何かと都合がいい。

「えっと……じゃあ、使わせてもらいます」

「はーい。やり方とかわかる?」

「苗をくれた方から簡単なメモを貰ったので……おそらく」

「そう。何かあったら言ってね」

「は、はい! ありがとうございました!」

 親切にしてくれた養護の先生に頭を下げ、私はそそくさと職員室を出る。廊下のひんやりとした空気が肌を撫で、力が抜けた。

 とにかく、今は苗の植え替えに集中しよう。深呼吸をして気持ちを切り替え、倉庫のある玄関へと向かった。

(……よかった、あまり人がいない)

 職員室に行っている間に生徒たちの大半が帰ったらしく、玄関には数人ほどしかいない。その隙を逃さないよう、急いでトイレの隣にある扉の中へと入った。

 養護の先生が言っていたようにそこは倉庫になっており、スコップや肥料。土を運搬する時に使われる猫車など、色々な道具が置かれている。そして、奥には中庭に繋がる扉が一つ。

「ぁ、靴……これ、借りよ」

 必要な物を集めようと一歩踏み出した時に外靴を持って来ていないことに気づいた。だが、すぐに視界の端に土で僅かに汚れた長靴を見つけ、それに履き替えることにする。

 それから棚の上に置いてあった軍手の中でも一番綺麗な物をはめてスコップとジョウロを手に取った。確か、苗をくれた男性の話では花壇に植え替えるのなら肥料はほとんど必要ないと言っていた。むしろ、肥料を与えすぎると上手く育たないらしい。

(何の花なのか、教えてくれてもよかったのに……)

 メモをくれた男性は最後まで品種を教えてくれなかった。咲いてからのお楽しみ、とのこと。

 一通りの道具を集めた私は中庭へと出た。風が木々を揺らし、自然と大きく息を吸ってしまう。

 いや、中庭の空気を楽しむのはまた今度だ。今はこの子を早く植え替えてあげよう。半日も経っていないとはいえ、さすがにこのままビニール袋に入れたままなのは可哀そうすぎる。

(日が当たりやすい場所……あの辺りかな?)

 日射量が多いところが良いらしいので花壇の中でも日差しが当たりやすそうな花壇を選び、その花壇の傍に道具を運ぶ。そして、倉庫から中庭に繋がる扉の近くに水道があったのでジョウロに水を入れ、全ての準備が整った。

「えっと……」

 鞄から苗を取り出し、軍手を外してメモを読む。男性も言っていたが、植え替えるのはそこまで難しくなさそうである。

 それから手順を一つ一つ確認しながら作業を進め、30分ほどかけて植え替え作業を終えた。慣れない作業と苗を傷つけないように慎重になったせいで思いのほか、時間がかかってしまい、あやちゃんと遊ぶのを明日にしてよかったと安堵のため息を吐く。

「……」

 最後にジョウロを使って苗に水をかけてあげた。日差しを苗に付いた水滴がキラキラと反射する。

 この子はあんなことがあったのにまだ生きていたいと、花を咲かせたいと言っている。そんな気がした。

「大きく育ってね」

 それがどこか嬉しくて、小さく声援を送る。私も頑張るからね、と。








「影野?」








「……鶴来君?」

 そろそろ園芸用品を片付けて帰ろうとしたところで帰ったはずの鶴来君の声が耳に届く。

 そちらに視線を向けると10メートル・・・・・・以上離れた場所にある渡り廊下から顔を覗かせる彼の姿を見つけた。

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