第12話
「――それでは、そろそろホームルームを終わりましょうか。号令は日直の方にやっていただきますが、今日は初日なので私の方で。起立」
明日の予定と学校生活に関していくつかの注意をした後、榎本先生は短くそう締めくくった。彼の言葉に私は席を立つ。眠りが浅かったのか、隣で寝ていた鶴来君も目が覚めて皆より少し遅れながらも腰を上げた。
「……礼。気を付けて帰ってくださいね」
そんな彼に一瞬だけ視線を向けた先生だったが特に反応することなく、そう言い残して教室を出ていく。
先生が教室を出てすぐに教室は喧騒に包まれた。改めて挨拶をする人もいれば、この後どこか寄っていこうかと話し合っているグループもある。席が近い人たちで連絡先を交換しているのもちらっと見えた。
(私も、誰かに話しかけないと……)
完全に出遅れている。すでに人間関係が築かれている状況で何もできなければどこのグループにも入れず、ぼっち確定。友達第一号の候補として鶴来君はいるが、彼は彼で誰とも仲よくするつもりがないようだ。いきなりぐいぐい行けば引かれてせっかくのチャンスを棒に振ってしまう恐れがあり、彼に対して慎重にいきたい。なので、今は他の人と交流する方が先決。
そう思って鶴来君のような
「……」
そんな教室を一瞥し、興味なさそうに前を向いた彼はスタスタと教室を歩き始めた。ただそれだけなのにクラスメイトたちは息を潜めてそれを見守っている。まるで、怪物が立ち去るのを待つように。
鶴来君だって自分がクラスメイトたちから恐れられていることに気づいているはずだ。
それでもなお、彼は堂々と教室を歩いている。堂々と、何にも縛られないその姿は――。
「鶴来君!」
気づけば、私は立ち上がって彼の名前を叫んだ。目の前に座っていた金髪ギャルさんが大きく見開いているのが視界の端に映る。でも、今はそれどころではない。
「……」
名前を呼ばれた彼はその場で立ち止まり、こちらを振り返った。特に感情のこもっていない鋭い目。皆からの視線すら気にしていない彼にとって私に呼び止められるのもどうでもいいことなのだろう。
ああ、そうだ。鶴来君からしてみれば少し交流したとしても私は同じクラスに属する有象無象。こんな奴に友達になろうと言われても頷くわけがない。
彼の友達になれるほど私は
だから――。
「また明日!」
――時間がかかってもいい。多少、うざがられても構わない。周囲の人からどんな目でも見られてもいい。
それほど、私は鶴来君と仲良くなりたい。そう願ったのだから。
「……ああ」
鶴来君は短くそう答えた後、教室を出た。話しかけても拒絶されなかったから大丈夫だとは思っていたが、無視されなくてよかったと安堵のため息を吐く。その拍子に力が抜けて自然と席に座った。
「……やば」
「え?」
その声に視線を前に戻すと金髪ギャルさんが私をジッと見つめていることに気づく。見れば他の人も私の方を見て驚いているようだった。
「えっと……」
「すごいね! いや、ほんとすごい!」
「へ?」
どうしようかと言葉に詰まっていると金髪ギャルさんが満面の笑みを浮かべて私の肩をポンポンと叩き始めた。何が起こっているのかわからず、目を白黒させてしまう。
「あんな怖い人に話しかけるとか影野さん、めっちゃ勇気あるじゃん!」
「怖い?」
もしかして鶴来君のことだろうか。私はそんなことないと思うのだが、他の人からしてみれば彼の目は鋭すぎるかもしれない。
(可愛いんだけどなぁ)
「怖いよ! だって、自己紹介の時、『近づく奴は全員、ぶっ殺す』みたいな雰囲気だったし!」
首を傾げる私に金髪ギャルさんはあり得ないと言わんばかりに叫ぶ。確かに鶴来君が自己紹介をした時、教室の空気が凍り付いたのは気づいた。だが、そんな敵意をむき出しにしていたとは思わない。普通に自分の名前と出身校を言っただけだった。
「そんな、ことない、ですよ?」
「なんで敬語? 別に同じクラスなんだし、もっと軽くていいよ?」
「ぁ、うん……」
「てか、めっちゃ緊張してる? あいつよりも話しかけやすいと思うんだけどなぁ」
『アタシ、怖い?』と金髪ギャルさんはニコニコと笑いながら自分の頬を伸ばし始める。それがどこかおかしくて思わず、クスリと笑ってしまった。しまった、人の顔を見て笑うなど失礼だ。
「あ、ごめん……」
「何が? ぶっちゃけ、笑ってくれるかなって思いながらやってたし? それにやっと笑ってくれて嬉しいしさ」
そんな私を金髪ギャルさんは朝に見せてくれたようにニシシと笑って許してくれた。そして、自己紹介の時に彼女の名前を聞き逃したことを思い出す。
「……あー、もしかして名前、覚えてない?」
「ッ……ぁ、その……」
「いいのいいの! 30人以上の名前とか一気に覚えられないだろうし……あの時は自分のことで精一杯だったんでしょ?」
「……うん」
「じゃあ、改めて……アタシは『
そう言って西原さんは得意げに笑う。本当に笑顔が似合う子だ。鶴来君だけでなく、こんな素敵な子に話しかけられただけでも今日の私は最高に運がいい。
「あ、はい……よろしく、お願いします」
「うーん、まだ硬いなぁ。アタシとしてももっと仲良くしたいんだけどなぁ」
「仲、よく!?」
こんな私と仲良くなってくれる!? それは聞き捨てならない。ぜひ、私も西原さんとは仲良くなりたいです。でも、どうすれば? お金? お金を渡せばいいの?
「あ、そうだ! 姫ちゃんのこと、『ひーちゃん』って呼んでいい? まずは形から、てね?」
「ひー、ちゃん」
姫。ひめ。ヒメ。ひーちゃん。ひーちゃん? ひーちゃん! ニックネーム! 友達! ニックネーム、呼び合う、友達の証!
初めてニックネームで呼ばれた私はまさに天にも昇ると言わんばかりにテンションが上がる。まさか初日からニックネームで呼ばれるとは思わず、気づけば西原さんの手を掴んでいた。
「うんうん! 呼んで! ぜひ!」
「おー、予想以上にいい反応だねー。提案したかいがあるねー」
そう言ってうんうんと頷く西原さんだったが、ジッと私の目を見つめる。何かを待つように、期待するように。これは、もしかしてニックネームで呼ぶことを求められている?
「あ、ああああ、あ……あ、やちゃん」
ニックネームで呼ばれることも呼ぶことも初めてだ。ただ呼ぶだけなのに照れくさくて、恥ずかしくて、心臓がバクバクと鼓動を打つ。そのせいで私の口から出たのはそんなか細い声だった。
「やば、かわっ……」
「え?」
「う、ううん! 何でもない! これからよろしくね! ひーちゃん!」
「ッ……うん! よろしくね、あやちゃん」
どうしよう、嬉しい。泣きそう。でも、駄目だ。せっかくいい雰囲気なのに泣いたら心配をかけてしまう。
(これも、鶴来君のおかげ、かな)
あやちゃんが私に話しかけてくれたのは鶴来君がいたからだ。考えすぎかもしれないが、彼がいなければあやちゃんとここまで早く仲良くなれなかっただろう。
彼に伝えても首を傾げられてしまうだろうから心の中でお礼を言い、この後、あやちゃんとの仲をどのようにして深めようか、と思考を巡らせる。
「あ、そうだ! もしよかったらどっか寄っていかない? もっと色々とお話ししたいしさ」
「っ!?」
しかし、その答えが出る前にあやちゃんからそう提案され、目を見開く。いつか放課後に友達と一緒に遊びにいけたらと思っていたが、初日から誘われるとは思わなかった。
「ぜひ……と、言いたいけど」
「あれ、何か用事あった?」
「えっと……ちょっとだけ」
そう言って私は自分の鞄に視線を向ける。少しだけチャックの空いたそれから顔を覗かせていたのはビニール袋に入った苗木だった。
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