第11話
そんな心の中で助けを求めても
「ッ……」
その瞬間、クラスメイトたちの視線が私に集中する。自己紹介に興味のない人でもクラスメイトが立って発言しようとすれば自然と目が向く。そのせいで先ほどよりも皆の視線が痛かった。
「ぁ、の……私の、名前は……」
ああ、いきなり声が裏返った。それに引っ張られるように声が小さくなってしまう。これでは廊下側の席まで届かない。でも、これが今の私の精一杯。鶴来君に話しかけようと勇気を出せたから少しは成長していると喜んでいた矢先にこれだ。
「影野……姫です」
情けない私に泣きそうになりながらあまり好きではない自分の名前を呟くように零した。小・中学校で散々からかわれた『カゲノヒメ』。
だから、ただでさえ細かった声が更に小さくなった。視界の端に映ったクラスメイトの一人が不思議そうに首を傾げたのが見える。それを認識した途端、今すぐにここから走って逃げだしたくなった。
「出身校は、すごく離れてるので……言ってもわからない、と思います」
クラスメイトたちは出身校まで言っていたので私もそれに倣おうとしたが、また首を傾げられるのが怖くて言い訳染みた言い方になってしまう。
あとは、何を言えばいいのだろう。
趣味?
特技?
この街に来た理由?
何か、言わなくちゃ。今のままでは自分の名前すら満足に言えない暗い子だと思われる。
何か、何か、何か! 何か!! 何か、を……言わなくちゃ、いけないのに。
「……よろしく、お願いします」
結局、私はそう締めくくって席に座った。そして、少し経ってからパチパチとまばらな拍手が私に送られ、目頭が熱くなるのを自覚する。救いだったのは前の席に座る金髪ギャルさんだけはこちらを振り返り、歓迎するように笑顔で手を叩いてくれたこと。だが、自己紹介のことに気を取られて、彼女の名前を聞きそびれたことに気づき、すぐに自己嫌悪に陥る。
そうだ、自惚れるな。隣の席に座る親切な男の子と少し話せるようになっただけで私の本質は何も変わらない。これまで満足に人付き合いができなかった私が突然、コミュ力お化けになれるわけがないのだ。
むしろ、最初に出会った北高生が鶴来君で私は運が良かったのだろう。こんな私の話をちゃんと聞いてくれたのだから。
気持ちの切り替えが早い私でも今回のこれはさすがに堪える。これから、ちゃんとやっていけるのだろうか。
「はーい、
その声にハッとして顔を上げるといつの間にか鶴来君の前に座る男の子――赤川君の自己紹介が終わっていた。次はもちろん、鶴来君の番。彼はどんな自己紹介をするのだろうか。
そう思って隣の席に目を向け――愕然としまう。
そこには入学式が始まる前と同じように机に突っ伏して寝ている鶴来君の姿があった。
「……」
言葉を失う、という言葉はこういう時に使うのだろう。私はもちろん、他のクラスメイトや榎本先生ですら眠りこける鶴来君を見て目を丸くしていた。
自己紹介は自分のことを知ってもらう儀式だ。それはきちんと参加することで仲良くなりたいと態度で示す絶好のチャンスでもある。だからこそ、私はどうにかして完璧な自己紹介をしようとして――失敗した。
では、隣で眠る鶴来君はどうだ? これから1年間、同じ教室で生活を共にする仲間のことを知ろうとせず、拒絶するように眠る彼を見てクラスメイトたちはどう思う?
――死ねばいいのに。
「鶴来君、起きて!」
脳裏にそんな言葉が過った瞬間、いつの間にか私の手は
自己紹介中に眠りこけていたのだ、第一印象が最悪なのは仕方ない。
でも、まだ彼は自己紹介をしていない。
まだ、『鶴来 悠』という人間を皆に見せていない。
鶴来君は少しだけ疲れていただけなのだ。バスの中や入学式前、式の間、ずっと眠っていた。それだけ眠り続けているということは何か事情があったのだろう。そうでなければあんな死んだように眠り続けるわけがない。
それを冗談交じりに自己紹介で言えば笑いを取れる、はずだ。
いや、笑いは取れなくても『事情があったのか』と察してくれる。それだけでも印象は違う。
「鶴来君ってば!」
「……あ?」
ポンポンと何度か叩き、やっと顔を上げる鶴来君。状況を確かめようとしたのか、彼は周囲を見渡し、寝起きのせいでより一層鋭くなった眼光が教室を一閃する。
「ひっ……」
それをまともに受けたのだろうか、金髪ギャルさんが顔を青くして小さく悲鳴を上げた。あ、ああ、違うの。確かに彼の目はちょっと鋭いかもしれないけれど、よく見れば愛嬌があって可愛い目なの。だから、そんな怯えた目で見ないで。
「じ、自己紹介! 鶴来君の番!」
「……ああ」
私の言葉で状況を把握したのか、鶴来君はのそのそと立ち上がる。今まで縮こまるように眠っていたので隠れていたが、180cmを超える巨体が教室に姿を現し、ざわざわと騒ぎ始めた。
「鶴来 悠」
「ッ……」
彼は目を鋭くしたまま、低い声で自分の名前を告げる。その瞬間、教室の空気が凍り付いたのがわかった。
(あ、れ? なんで……)
確かに目は鋭いかもしれない。
体が大きくて迫力があるかもしれない。
第一印象は最悪かもしれない。
だが、彼はただ自分の名前を言っただけ。
たったそれだけで皆は――なんで化け物を見るような目を鶴来君に向けているのだろう。
「南中。よろしくお願いします」
そんな教室の空気に気付いていないのか、あえて無視したのか。鶴来君は軽く頭を下げてすぐに着席する。
「……次の方、お願いします」
「あ、は、はい!」
榎本先生に促されて鶴来君の後ろの席の女子生徒が自己紹介を始める。その時にはすでに鶴来君は机に突っ伏して寝息を立てていた。
「……」
あの瞬間、何が起こったのか。私には全く理解できなかった。
でも、鶴来君は誰とも仲よくする気がない。それだけはわかった。
「ッ……」
それが自己紹介で失敗した時よりもずっと悲しくて、寂しくて、唇を噛み締める。そうしなければ、泣いてしまいそうだったから。
理由はわからない。わからないけれど、胸がキュッと締め付けられ、息が苦しかった。
(鶴来君……)
自己紹介はつつがなく終わり、榎本先生は教室の空気を変えようと笑顔を浮かべながら明日の予定を話す。それにつられるようにクラスメイトたちはこそこそと小声で近くの席の人と話し始めた。先生もそれに気づいているはずだが、特に注意はしない。入学初日だからか、注意して先ほどの空気に戻るのを嫌がったのか。とにかく、皆は最初から何もなかったように振る舞う。
触らぬ神に祟りなし。
そんな言葉がふと頭に思い浮かんだ。
「……」
それでも私だけはチラリと彼へ視線を向ける。忘れるわけじゃないのに見ていないとフッと消えてしまいそうだったから。
「……」
だが、私の気持ちとは裏腹に鶴来君は変わらず、死んだように眠っていた。殻に閉じこもるように背中を丸めて。
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