第10話
『続きまして、新任教諭挨拶』
「は、はぃ!」
落ち込んでいても入学式は続く。私の思考を遮るように司会進行を務める先生の声が聞こえ、20代前半と思しき女性が勢いよく席を立った。遠くて背丈などはわからないものの、私以上にウェーブがかかった長い黒髪が印象的な人だ。あれだけボリュームのある髪を手入れするのは大変だろうに、遠目からでも綺麗にケアしているのがわかる。
(新任教諭挨拶?)
だが、彼女の髪質よりも聞き慣れない言葉が気になった私は首を傾げた。案内を読んだ時にも『新任教諭挨拶? 何それ?』と思った記憶がある。字面から察するに今年、新しく先生になる人の挨拶だと思うのだが、着任式の代わりに入学式で挨拶するのだろうか。在校生はいないのに? 後日、入学式とは別に始業式も行われるのでそこでもう一度、挨拶するのかもしれない。
私が思考を巡らせている間にその新任の先生が壇上に上がったのだが、見ているこちらが心配になりそうなほど緊張していた。
『あ、あの……こ、この度、市立音峰北高校に着任しました!
ガチガチになりながらも自己紹介をした漣先生だったが、頭を下げた拍子にマイクに額をぶつけるという典型的なドジをして体育館に甲高い音が響き渡る。不意打ちだったので耳を塞ぐこともできず、思わず顔をしかめてしまった。
『す、すみません! あ、改めまして、漣 美波です……担当教科は国語で、えっと……』
それから漣先生はしどろもどろになりながら話し始めたのだが、その姿に私は親近感を覚えてしまう。
きっと、大勢の前に立って話すことに慣れていないのだ。新任の先生ということもあって色々不安なこともあるだろう。色鮮やかな青春を送るために知り合いのいないこの土地に来た私もここに来た時はもちろん、今だって不安で仕方ない。
(お互い頑張りましょう、先生……)
挨拶が終わり、明らかに落ち込んだ様子で壇上を降りていく漣先生にそんな一方的なエールを送った。願わくば、お互いに納得のできる生活環境を築けますように、と。
(やっと終わった……)
色々あった入学式も無事に終わり、D組に戻るために廊下を歩いていた。もちろん、隣を歩いているのは先ほどまで寝ていた鶴来君である。起きたばかりだからか、小さく欠伸をしている彼は最初から最後まで居眠りをしていた。音峰先輩のカリスマオーラや漣先生がマイクに額をぶつけた時に発生したハウリングをまともに受けてもビクともしなかったのである。これだけ寝ているとどんな生活を送っているのか気になってしまった。
「えっと……眠そう、だね?」
いつもの私だったら怖気づいて質問などしなかっただろう。しかし、今日の私は一味違い、少し言い淀んでしまったが隣を歩く鶴来君にそんな質問を投げかけた。
「……少しな」
「す、少し?」
それにしては隙あらば眠りに落ちているような気がする。特に入学式の眠りの深さは異常だった。あれを少しと言うにはちょっと無理がある。
きっと、彼もその自覚があるのだろう。首を傾げた私の視線から逃げるように頭を掻き、前を歩くクラスメイトたちの背中を見つめていた。
「昨日はあまり眠れなかったの?」
「色々あってな」
もう少し踏み込んでみたが鶴来君は答えるつもりはないようだ。あまり聞いてほしくないことなのだろう。これ以上の深入りは失礼になる。
「そっか」
そう判断した私は戦略的撤退。結局、寝不足の理由は聞けなかったが最初よりもスムーズな会話ができている時点で花丸満点だ。不安でなかなか眠れなかった昨日の私に今の私を見せて安心させてあげたいほどである。
そんな短い会話もほどほどにD組に到着した。榎本先生は教卓へ移動し、私を含めた生徒たちは自分の席に座る。
「……」
座ったのだが、何故か金髪ギャルさんは私の方を軽く振り返った。少し心配そうな表情。何か、心配をかけるようなことをしただろうか。
「……まずは皆さん、お疲れ様でした。長丁場で大変だったと思いますが最初のホームルームを始めますね」
金髪ギャルさんの表情は気になったが、それを確かめる前に全員が座ったのを確認して榎本先生が優しく微笑みながらホームルームを始めた。彼女もその声で前を向いたし、金髪ギャルさんのことは後回しにするしかない。
「本格的な授業は明日からだと入学の案内に書いていましたが、このまま解散しても味気ないでしょう。なので――」
この後の予定はホームルームしかないため、すぐに終わると思っていた。だが、先生は何かレクリエーションを用意していたらしい。そう言いながらクラス全体を眺め――何故か私と鶴来君の方を見た時、その笑みを深くした。
「――自己紹介の時間を設けました。廊下側の一番前の人からお願いします」
(自己、紹介……自己紹介!?)
彼の口から出たそれに私は思わず目を見開いてしまう。
自己紹介。
自分の名前と出身校などを人前で発表して自分自身のことを知ってもらう儀式である。この時、名前と出身校以外に趣味や特技、一言コメントを添えることも可能だ。
しかし、文字にすると簡単に見えるそれは実際にやろうとすると途端に難しくなる。少なくとも私にとって難易度が高い。趣味とか特技がない場合、どうしたらいい? 一言コメントとかどうすれば? そもそも、私ってどんな人なの!?
『私の名前は『影野 姫』! 出身校はここから新幹線で数時間かかるところにある中学校だから名前を言ってもわからないと思うよ! 趣味は特になし! 特技もなし! あ、この学校に来たのは青春を謳歌するため! 皆、友達になってね!』
(言った瞬間、痛い子認定されてぼっちになっちゃう……)
ウインクして決めポーズを取る痛い私を頭から蹴り飛ばしてそっとため息を吐く。とりあえず、皆の自己紹介を参考にしよう。
幸い、榎本先生がトップバッターに選んだのは廊下側の生徒だ。私は窓際から2列目の席なので時間はある。ここで失敗するわけにはいかない。悪目立ちせず、かといって暗い子だと認識されず、『あ、仲良くしたいかも』と思われるような完璧な自己紹介をして今日中に友達を作るのだ!
「えー、俺から?
トップバッターに選ばれた男子生徒――山崎君は少し面倒くさそうに立ち上がって自分の名前と出身校を言って――座った。
ん? 趣味とか言わないのかな? まぁ、面倒くさそうにしていたから短くしたかったのかも。
「はーい、
山崎君の次の人――速見さんも名前と前の人と同じ出身校を言って座った。そして、次の人も名前とまたもや同じ出身校。そのまた次の人も同じように自分の名前と北中とだけ言って座っていく。
(も、もしかして……)
想像していた自己紹介とは違う光景を目の当たりにして私の頬に冷や汗が流れた。
クラスメイトのほとんどは北中出身だ。それはクラスメイトたちの様子を見ていればよくわかる。そうでなければ入学式初日からあれほどの友好的な関係を築けないだろう。たまに北中以外の中学校名を口にする人もいるが、家は北町にあるので何かしらの行事で顔見知りになっているようで特に反応する人はいない。
つまり、クラスメイトたちはすでにお互いのことを知っている状態なのだ。これでは自己紹介をする意味がない。
では、何故、榎本先生は自己紹介の時間を設けたのだろう。決まっている。
(わ、私と鶴来君のために開かれた自己紹介だ!?)
遠くから引っ越してきた私と南町住みの鶴来君。そんな外部から来た私たちが早くクラスに馴染めるように榎本先生が気を使ってくれたのだ。
思いつきたくもなかった事実に私は頭を抱えた。何の参考にもならないどころか、このまま私の番が来たら――。
「――のさん。影野さん?」
「へ?」
「あなたの番ですよ?」
どうしようかと思考回路をグルグル巡らせるが榎本先生の声によって現実に引き戻されてしまう。周囲を見渡すとクラスメイトの全員が私のことを見ていた。興味がなさげだったり、明らかに面倒くさそうな目だったり、いくつか種類は違うもののそのほとんどが『興味』の色に染まっていた。
あ、駄目。やばい。無理。助けて。逃げ――。
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