第9話
隣の席の男の子――ツルギ君と廊下を走り、クラスメイトに追いついてすぐにD組が体育館に入場する番になった。
(うわぁ……)
少し薄暗かった廊下から体育館へと入り、天井に吊るされている照明に思わず目を細める。だが、すぐに体育館の広さに圧倒されてしまった。これほど広ければ全校集会などで全員が体育館に入っても大丈夫そうである。
しかし、入学式に在校生は出席しない。その理由は単純であり、新入生の保護者がいるからだ。新入生と同じ数――いや、父母共に参加している場合はそれ以上の数になる。さすがにこれだけ広くても体育館のキャパシティーをオーバーしてしまうだろう。実際、体育館に用意された保護者席には我が子の晴れ舞台を見ようと凄まじい人数の保護者たちが座っていた。
あの中に私の保護者であるおじさんとおばさんはいない。距離的な理由で参加できなかったのだ。まぁ、私の一人暮らしを最後まで反対していた二人のことである。参加できたとしても来ていなかっただろう。
「では、皆さん、こちらから順番に座ってください」
そんなことを考えていると引率していた榎本先生が立ち止まってそう指示を出した。クラスメイトたちは仲のいい人同士で並んでいたので素直に座っていく。最後尾を歩いていた私とツルギ君の目の前には端に置かれた椅子と端から二番目に置かれた椅子がある。つまり、私たちのどちらかが端の席に座ることになるのだ。どちらにしようかと顔を上げると自然と彼と目が合った。
(端っこがいいのかな?)
何となくツルギ君は端に座りたいと思っていそうだったので端から二番目の椅子に座る。そんな私を見た彼は1秒にも満たない硬直の後、端の椅子に腰を下ろした。
「……」
「……」
D組が着席したところでC組が体育館に入ってきた。新入生全員が入場し終えるまでもう少し時間がかかりそうだ。
他の皆もそう思っているのだろう。時々、小さな話し声が聞こえてくる。違うクラスになった仲のいい子に手を振っている人もいた。とても微笑ましい光景であり、大変羨ましかった。
(わ、私も……何か、話したいッ)
そんな願望がふつふつと湧き上がってくる。もちろん、話し相手は隣の席に座ったツルギ君。せっかく名前を教え合ったのだ。今のうちにもう少し仲良くなりたい。
だが、期待を込めて彼の方を横目で見ても彼は黙って前を見ており、私のことなど気にすらしていない。割とショックである。
いや、当たり前だ。名前を教え合ったとしても私たちは知り合ったばかり。私のように青春に飢えていなければ積極的に話しかけようとしないだろう。
(でも、もうちょっと……興味持ってくれてもいいのに……)
そう理屈はわかっていても感情はどうしようもなく、シュンと落ち込んでしまう。無理に話しかけても上手く話せないのはわかっている。それもあってちらちらと隣に座る彼を見るだけで終わってしまう。成長したと思った矢先にこれだ、この先も思いやられる。
「……どうした?」
「へ!? あ、いやー……つ、ツルギ君の名前ってどう書くのかなーって」
そんなことを繰り返していると私の視線に気づいていたようでため息交じりにツルギ君が話しかけてきてくれた。このチャンスを逃すまいと震える声で質問する。
「……鳥類の『鶴』に『来る』で『鶴来』。ハルカは『悠長』の『悠』」
「鶴来、悠……うん、わかった。ありがと、鶴来君。えっと、私の字は……そのままって言えばわかるかな?」
「想像はできる」
「そう、だよねー……」
はい、会話が途切れました。せっかく、鶴来君がチャンスをくれたのにそれを無下にしてしまう私はなんて馬鹿なのだろう。
いいや、まだだ。まだチャンスはある。だって、新入生の入場は終わってい――る?
『――入学式を執り行います』
「ぁ……」
――はい、時間切れー。影野 姫先生の次回作にご期待ください。
『えー、であるからして』
入学式が始まる前に鶴来君ともっと仲良くなろう作戦は失敗に終わり、意気消沈していたのだが、こんなところで凹たれる私ではない。まだ初日は始まったばかり。切り替えていこう。
しかし、切り替えたからといって入学式中に話しかけるわけにもいかず、校長先生の長いお話を欠伸を噛み殺しながら聞き流す。
(と、いうか……)
「すぅ……すぅ……」
話しかける以前に鶴来君は入学式が始まって早々、夢の世界へと旅立っていった。バスの中でも、教室でも寝ていたのにまだ睡眠が足りないのだろうか。私も少し寝不足気味なのだが、入学式で居眠りする勇気もなく、堂々と眠る彼が羨ましかった。他にもうつらうつらと船を漕いでいたり、隠すことなく大きな欠伸をしている新入生もいる。
『続きまして、生徒会長挨拶』
「はい」
(生徒会長って、そういえば……)
隣で眠っている鶴来君のことを考えている間に校長先生の話は終わったようで司会進行を務めている女性の先生のアナウンスに視線を前に戻す。丁度、金髪のお嬢様風の女子生徒が壇上に登ったところだった。もちろん、私は彼女のことを知っている。クラス表の前で困っていた私を助けてくれたあの親切な先輩だ。
(本当に生徒会長だったんだ)
あの時は気が動転していたし、私の返事も待たずに去ってしまった。そのため、聞き間違えたかも、と思っていたのだが、私の耳は正確に彼女の言葉を聞き取っていたようだ。
『ご紹介にあずかりました、生徒会長の
「――ッ」
たった一言。自分の名前を名乗っただけで頬を叩かれたように眠気が吹き飛んだ。いや、私だけではない。つい数秒前まで眠そうにしていた新入生たちが一斉に姿勢を正していた。体育館が凛、と静寂に包まれる。きっと、新入生だけでなく、後方で見守っている保護者たちも同じような状態なのだろう。
(一瞬で、空気が変わった……)
思い浮かぶのはクラス表の前で起きたあの現象。生徒会長――音峰先輩が手を叩いただけで新入生たちが一斉に振り返ったあれ。そして、あの時に感じた冷たさ。異様な、今まで経験したことのない何かが体を貫く感覚。
(こ、れは……)
いや、これはそんな生半可なものではない。あの時とは比較することすら
『……少々、時間が押しているようなので定型文のご挨拶は省略させていただきます』
生徒会長である音峰先輩は私たちを見渡した後、その一言と共に静かに話し始めた。
肝心の内容は『入学おめでとう! これから3年間、色々あると思うけど頑張ってね!』という言葉にこれでもかとカリスマを漬け込んだような短いながらも濃いお話だった。私としては彼女から発せられる何かのせいでとても長く感じたが。
もちろん、校長先生の話とは違い、体育館にいる全員が彼女の話に耳を傾けていた。内容もカリスマ漬けにされているところを除けば普通の挨拶だ。異常な点といえば、私を含めた体育館にいる全員が彼女に注目しているところ。どんなに素晴らしい挨拶だったとしても入学式という堅苦しい空気に嫌気が差して集中力が切れる人は少なからずいる。
でも、締めの挨拶をして去っていく彼女に対し、盛大な拍手を送るほどにここにいる人たちは彼女に魅了されていた。私も普段であれば何の抵抗もなく、拍手をしていただろう。しかし、彼女から発せられる何かがあまりに不愉快で、本能がそれを踏み止まらせる。気づけば私は拍手しそうになる両手を止めるために手が白くなるほど強く握りしめていた。
「……っ」
ハッとしたところで顔を上げ、視線を前に戻すと音峰先輩が壇上を降りているところだった。彼女は優雅に壇上を降りながらも私たちを見渡すようにこちらを一瞥し、何かに気づいたように僅かに目を見開く。いや、違う。目が合ったと思ったが、先輩の視線はほんの少しだけ横にズレている。
「すぅ……すぅ……」
そこにいたのは今もなお、小さな寝息を立てて寝ている鶴来君。異様な何かに抵抗するのに必死で鶴来君のことを忘れていた。まさかあの凛とした空気をもろともせず、寝続けているとは思わなかったともいえる。もし私なら熟睡していたとしても飛び起きていた自信があるほどの重圧だった。だからこそ、音峰先輩も居眠りしている彼を見て驚いたのかもしれない。
「……」
(……あれ、なんで私?)
こんなことなら早めに起こしておけばよかったと後悔していると壇上を降りきった先輩と今度こそ、目が合った。私は居眠りしていない。ちゃんと彼女の話を聞いて、拍手を――。
(そうだ、私もっ……)
この異様な空気の中、拍手をしていないのは居眠りしている鶴来君以外に私しかいないだろう。そう確信できるほど、彼女のカリスマオーラには強制力が働いていた。つまり、彼女のそれに抵抗できたのは私と鶴来君しかいないということに他ならない。冷や汗を流す私に対し、音峰先輩はほんの少しだけ口元を綻ばせる。その微笑みが見つけた、と言っているような気がした。
(ひぇ……)
まだ入学したばかりなのに絶対的カリスマを身に宿した生徒会長に目を付けられた。そう確信した私は心の中で悲鳴を上げる。
友達作りといい、今の件といい。私の青春はまさに前途多難。本当に人生は上手くいかないな、と改めて思い、肩を落とした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます