第2話

 音峰市。関東に属する県を形成する市の一つだが、世間ではそれなりに知られている場所であり、テレビなどでも時々、特集を組まれているのを見たことがある。

 それは街のど真ん中に巨大な森が存在していることだ。

 もちろん、日本のどこかには森がある街もあるだろう。だが、音峰市の森は規模が桁違いに違った。

 森の直径は約7km。面積でいえば約33平方kmと、東京都の板橋区がすっぽり入ってしまうほどの広大さなのである。

 更に観光地のように道が整備されていたり、過ごしやすい広場があることもなく、まるで富士山の麓に広がる樹海のように一度、入ってしまうと迷子になるほど深い森のため、基本的に立ち入りが禁止されているエリアだ。

 そんな森が街のど真ん中に広がっている。観光名所としても使えない、邪魔でしかないそれを市は当然、伐採する計画を立てたことがあるらしい。

 しかし、大人の事情、事故、心霊現象など様々な理由で計画は中止となり、今の今まであの森はこの街の中心に居座っていた。

 音峰市の住人たちはそんな森と共に生きていかなければならず、色々な問題が発生している。その中でも私に関係しているのは『移動』だ。

 音峰市のホームページに書いてあったことだが、森の直径が約7kmということは単純計算で森の外周は『直径×円周率』で求められ、その答えは約20kmとなる。つまり、森の外周をぐるりと一周するためには時速20kmで走って1時間ほどかかるのだ。時速20kmはマウンテンバイクの平均速度ぐらいなので一見、そこまでかからないように思えるが、実際に見てみたら森の外周に近い道路は交通量が多く、スムーズに走行できそうにないため、もっと時間がかかってしまうだろう。

 また、音峰市はわかりやすく4つの区域に分かれており、それぞれ『北町』、『東町』、『西町』、『南町』と呼ばれている。隣接している区域ならまだしも北町と南町。東町と西町のように森の反対側にある区域へ移動するには森を半周しなければならない。

 さて、長々と音峰市の地理に関して思い返したが、この反対側にある区域へ移動するための手段が私にとって重要なポイントだった。

(だって、これから毎日、森の外周を半周するんだもんね……)

 早朝特有の肌寒い風に僅かに身を震わせながら私がこれから通う高校――『市立音峰北高等学校』までのルートを思い描く。

 北高はその名前の通り、北町にある高校であり、音峰市で唯一の『市立』の高校である。

 そして、そこへ通おうとしている私が住んでいるのは南町。完全に森の反対側にある学校だった。

 もちろん、南町にも高校はあるのでそこに通うことも考えたが、北高は学費がとても安い。一人暮らしするにあたって色々と条件を付けられた私にとって破格の学費はあまりにも魅力的であり、通学費も学校側が指定のルートを使用するならほとんど負担してくれることもあり、北高に進学することを決意したのである。

 言ってしまえば、お金につられただけ。言い換えるとそこまでしてでも北高に――いや、この街に住みたかったのだ。

 主な理由は人間関係をリセットすることだったが、少し離れた場所へ引っ越すだけでそれは成し遂げられただろう。実際、最初は元々、おじさんたちと住んでいた土地からそこまで離れていない場所へ引っ越すつもりだった。

 だが、進学先の高校を探そうとインターネットを徘徊していた時、とあるネットの記事を見つけた。それが私の運命を変えたといっても過言ではない。

 それはこの音峰市にある巨大な森に関する記事だった。内容は森を伐採する計画がとん挫し続ける原因を探す、ちょっとホラーチックなものだったが、一緒に貼られていた数枚の森の写真を見て不思議とあの夢のことを思い出したのである。

 そこからは行動が早かった。まるで、何かに背中を押されるようにおじさんたちに音峰市の高校へ進学したいと伝え、猛反対されながらも色々な条件を飲み、何とかこの街に引っ越せたのだ。

(慌ただしくこっちに来たからまだあの森について何も調べられてないけど……)

 地図や口コミで音峰市の交通面に関する不便さは知っていたが、引っ越してきた次の日に実際に北高まで行ってみると想像以上に時間がかかることがわかり、慌てて通学ルートを考え直したのも記憶に新しい。ましてや、私が選んだルートが自転車ではなく、バスだったこともあり、ネットや路線バスのホームページを漁りまくって通学時に乗るバスを選定する羽目になった。自転車の場合、雨が降った時、乗ることができず、その際の通学費は自己負担になるので最初からバスを選ばざるを得なかったとも言える。

 しかし、その結果、遅刻せずに南町から北高まで行けるバスが一本・・しかなかったのは予想外だった。ネットで調べてみたが一般的な路線バスの平均速度は時速10~20kmであり、マウンテンバイクよりも信号に捕まりやすく、乗客の乗り降りがあることで半周といっても目的地に到着するのは40~50分ほどかかってしまう。北高前往きのバスが南町のバス停に来るのは7時10分なので多少、遅れても遅刻せずに北町に到着するのだが、次のバスはその1時間後の8時15分だったのである。

 もちろん、乗り換えをすればもう少しルートはあるのだが、学校が負担する通学費の中に乗り換え後の費用は含まれないのだ。つまり、最も通学費を抑えるためには乗り換えせずに学校に行くしかなく、今の私にとって乗り換え後の通学費を自己負担するにはあまりに痛い出費だったのだ。

 また、私が住んでいるマンションは南町の中でも外側にあるのでバス停に辿り着くまで歩いて30分ほどかかってしまう。そのため、登校の出発時間が6時半という時間になってしまった。

(そもそもおじさんたちが出した条件が厳しすぎるんだよ……)

 今すぐにでも戻ってきてほしいため、無理難題を押し付けたとしか言いようがない条件。

 1つ、おじさんたちが指定したいくつかの住まいから1つを選び、そこに住むこと。

 2つ、6月まではおじさんたちが負担するが、その後の家賃は自分で払うこと。

 3つ、学費を含めた全ての払いは4月から自己負担。

 条件自体は3つだけだったが、問題がその住まいと家賃だった。

 私の身を案じてくれているのだろう。おじさんたちが指定した住まいはどこもオートロック付きかつ警備員が常に配備されているセキュリティーが高いマンションだった。つまり、めちゃくちゃ家賃が高いのである。おじさんたちが選んだ住まいの中でも南町の外側にある最も安いマンションでも月8万円。正直、ただの女子高校生には到底、払い続けられない家賃だ。

 幸い、おじさんたちからもらっていたお小遣いは貯金していたので4か月は持つだろう。つまり、半年の間にバイトを探し、何とか家賃を払える算段を付けなければならなかった。だから、少しでも出費を抑えたかったのである。

(ぶっちゃけ、あのマンションにしたのも、私が北高に行くって決めたのもおじさんたちの計算だったんだろうなぁ)

 雀の鳴き声を聞きながら私はそっとため息を吐く。あんな条件を出されたら最も安い家賃のマンションにするのは当たり前だし、通学は大変だが、通学費も負担してくれる上、学費も安い北高に進学しようと思うのも仕方ないだろう。いや、そうなるように仕向けられたと言ってもいい。おじさんたちは私のことを大切に育ててくれたが、少し束縛気味なところがあった。私としてはそこまで気にならないが、さすがに今回の件はやりすぎだと思う。恐ろしいのはお金の問題や大変な通学を毎日させることで精神的に追い込み、私の方から帰ると言わせようとしているところだ。

「はぁ……よし」

 半年。それが私に与えられた時間。

 色々と問題は残っている。お金もそうだが、そもそも高校生活だって上手くやっていける自信はない。

 それでも、私はここに来た。たくさん悩んでもなお、この街に来たいと願った。

 だから、やれるだけのことはやろう。今はとにかく、今日に集中する。

 そう、自分に言い聞かせ。バス停までの30分ほどの道のりを進む。





 ……さすがに毎日、30分歩くのはちょっと堪える、かも?

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