第3話
家を出て10分ほど経っただろうか。早朝だからか、誰ともすれ違うことなく、通学路を進む。仕方ないとはいえ、誰にも会わずに歩き続けるのは少しだけ寂しいような気がする。
(本当は誰かと一緒に登校したかったけど……さすがに無理だよね)
私が通う予定の北高は北町にあるため、在校生のほとんどが北町住みらしい。ましてや、東町や西町ならともかく、通うのに1時間以上かかる南町住みの人はきっと、私だけだろう。
そもそも音峰市に住む学生のほとんどが家から近い学校に進学するそうだ。もちろん、自分の学力との相談にもなるのだが、それだけ音峰市の学生にとって通学という行為は重要となる。家から遠い学校に通うのは進路の都合上、その学校に通いたい人か私のような事情がある人ぐらいだ。
――こっち来ないでくれない?
「ふんふんふーん」
まぁ、どのみち、私と一緒に登校してくれる物好きはいないだろう。最初から諦めてしまえば気楽なものだ。気持ちを切り替えて誰もいないことをいいことに鼻歌を歌いながら歩みを進める。むしろ、爽やかな早朝の空気を独り占めできるのは気持ちいいかもしれない。
「ん?」
そんなこんなでバス停まで残り半分ぐらいに差し掛かったところだろうか。私が大きなマンションの前を通り過ぎようとしたところで不意に後ろから
そこには大きな男の子が立っていた。
寝癖を直さなかったのか、ぼさぼさの短い黒髪。きっと、横に並んだら見上げなければならないほど高い身長。制服を着ていてもわかる鍛えられた体。鋭く、それでいてどこか
(あ、れ……北高の制服)
まさか自分以外にも南町住みの北高生がいるとは思わず、目を見開いて立ち止まった。男の子も驚いた様子で足を止め、自然と見つめ合う形となる。きっと、時間的にはほんの一瞬のことだったのだろう。それでも、私たちは確実にお互いの存在を認識していた。
「ッ!? な、何!?」
その直後、背後から聞こえた何かが割れる音にビクッと肩を震わせて急いでそちらへ視線を向ける。私のすぐ後ろの地面に粉々に砕けた植木鉢が落ちていた。もう少しで咲きそうだった花の蕾に付着していた水が太陽の光を反射する。
「だ、大丈夫ですか!?」
あまりの事態に目を白黒させていると頭上から悲鳴のような声が響き渡った。見上げると焦った様子でこちらを見下ろす寝間着姿の男性がいる。もしかしたら、この植木鉢はあそこから落ちてきたのかもしれない。
「あ、はい……大丈夫です」
思考がまだ追いついておらず、どこか他人事のように返答する。だが、植木鉢が落ちている場所を眺め、あることに気づいて顔からどんどん血の気が引いていく。
もしかして、あの時、立ち止まって後ろを振り返らなければこの植木鉢は私の頭に直撃していた?
「あ、れ?」
反射的にもう一度振り返って目が合った男の子を探す。しかし、すでに彼の姿はどこにもなかった。
別に彼に声を掛けられて立ち止まったわけではない。ただ、何となく立ち止まって振り返っただけだ。
なのに、どうしてだろう。あの時、彼が
「すみません、怪我はないですか!?」
姿はないとわかっているはずなのにキョロキョロと周囲を見渡しているとマンションの入り口から植木鉢を落とした男性が出てきた。相当、焦っていたのだろうか、服装は寝間着のままだし、足元を見れば右足は青、左足はピンク色のサンダルを履いている。ピンク色の方は奥さんのだろうか。
「は、はい……」
「よ、よかったぁ……あ、本当にすみませんでした!」
「いえいえ、気にしないでください」
本当にかすり傷はおろか、植木鉢の土一つ付いていないのだ。だが、ちょっと驚いたくらいである。それにこれだけ焦っている男性を見れば彼の誠実さがわかり、怒る気も失せるというものだ。
「で、でも!」
しかし、誠実すぎたのか私の言葉を聞いても彼は納得できていなかったようだ。まぁ、少しでもタイミングが悪かったら最悪の事態になっていたので仕方ないのかもしれない。でも、通学途中であり、乗ろうとしているバスを逃すと遅刻してしまう私としてはできれば早めに開放して欲しかった。
「……あ、そうだ。ちょっとお願いがあるんですけど」
だから、というわけではないが、ふと思い立ったことを口にすると彼はすぐに頷いてマンションへと駆け込んでいく。
(まぁ、このままじゃ可哀そうだよね)
男性が消えていったマンションの入り口から目を離し、地面に落ちてもなお、咲こうと蕾を空に掲げている苗を見て小さく微笑んだ。
(やばいやばいやばい!)
あれから数分後、私は先ほどまでの優雅な登校とは裏腹に通学路を全力疾走していた。いや、新たなに増えたビニール袋を揺らさない程度の速度なので全力とは言えないのだが。
あの後、植木鉢を落とした男性に手伝ってもらい、苗をビニール袋に移してそのまま貰った。ついでに育て方などを軽くメモしてもらったのだが、それが予想以上に時間がかかり、今まさに遅刻寸前だ。具体的に言えば、唯一のバスに乗り遅れそうになっている。
幸い、私の身体能力は他の人に比べると高いようなのでこのまま走り続ければぎりぎり間に合うだろう。だが、また何かしらのアクシデントがあってもおかしくないのでみっともなく通学路を爆走。入学式初日からこんな状態では先が思いやられる。
(あ、バス!?)
やっと、バス停が見えた頃、到着予定時刻前なのにすでにバスが停まっており、乗車口が閉まり始めていた。あのバスを逃せば確実に遅刻する。
「乗ります! 乗りまーす!!」
近所迷惑覚悟で全力で叫ぶ。すると、一度は閉まった乗車口がプシューという音と共に開いていくのが見えた。何とか間に合ったようでホッと安堵しながら駆け足気味にバスへ乗り込む。
「はぁ……はぁ……」
昔から体力に自信はあったものの、苗が入ったビニール袋もあったので予想以上に消耗していたようだ。バスに乗り込んですぐに息切れしている自分に気づいた。
(あれ、あの人……)
このまま立っているわけにもいかないので周囲を見渡して空いている席を探す。しかし、すぐに運転席近くの運賃箱に立っているマンション前で目が合ったあの男の子が立っていた。どうやら、両替していたようで硬貨をお財布に入れている。
「……」
「?」
彼はチラリと私を見た後、近くの二人掛けの座席へ座った。何故、私の方を見たのかわからず、首を傾げるがバスの中だということを思い出し、慌てて空いている近くの席に座った。偶然にも顔を上げれば丁度、彼の大きな背中が見える場所だ。
「出発しまーす」
アクシデントはあったものの、私を乗せた北高前往きのバスは予定時刻より1分ほど遅れながらも出発した。
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