第23話 約束
「開き直ったってワケ……?」
「そうとも言うな――!」
瞬間、忍の姿が掻き消えた。
「――っ!?」
そのスピードに鈴音が目を剥く。
いや、今は驚愕している場合ではない。
動け。
バカみたいに突っ立っていると、取り返しの付かないことになる。
反射的に後方に跳んだ瞬間、手に衝撃が加わり、ごとりと何かが落ちた。
それは拳銃の銃身。
一撃で、銃が真っ二つに切られたのだ。
――速い。
忍の動きは元々常人よりも俊敏である。
だが今は、それの比にならないくらいの速度で動けていた。
その変化に驚いているのは鈴音だけではない。
当事者である忍も、己の体に起こった変化をうまく飲み込めずにいた。
――なんだ、どういうことなんだこれは。
本来、忍の体はいつ限界を迎えてもおかしくなかった。
鈴音との戦いで被った傷は、並大抵の物ではない。
鼓膜は破られ、骨は折れ、内臓まで損傷している。
しかし忍の体は、そんなダメージなど知ったことかとばかりに主の命令に従って稼働し、普段以上のパフォーマンスを発揮している。
新たに耳が生えたことで、周囲の音も問題無く拾えている。
しかし敵もさるもの。
「いい気になっているのも、今のうちよ――!」
鈴音の掌底が忍の腹に叩き込まれる。
「がっ――!」
増幅された音によって威力を底上げされた一撃によって、忍は再び喀血した。
「完全無敵とは、いかないか……!」
小さく舌打ちする。
聴覚が今まで以上に敏感になっているせいで、鈴音が発する音のダメージは覚醒前よりも油断できなくなっている。
だが忍とて、負けるつもりなど毛頭無い。
もっとだ。
もっと、速く――!
そう念じながら、ナイフと爪を振るう。
今までは証拠を残さないために爪で人を殺すことはなかった。
しかしこうなってしまえば、証拠もへったくれもないということで、忍は隠されたもう一つの武器を解禁するに至ったのだ。
一方の鈴音は銃を失ったことで徒手空拳に切り替えている。
常人であれば丸腰とも表現できるが、鈴音の一番の武器は音の異能だ。
つまるところ、その音を標的にまで叩き込めばいいのである。
そして生身の肉体は、銃などより最も音を伝えやすいのだ。
衝突する度に響く轟音が、ビルを揺らす。
二人の戦いは完全に拮抗していた。
異能を完全に解放した忍だが、それでも単純な破壊力では鈴音の方が上だ。
攻撃が当たる瞬間に、そのスピードを活かし音の衝撃を受け流しているが、それでも体に蓄積されるダメージは馬鹿にならない。
一方の鈴音も、ナイフと爪の猛攻によって一つまた一つと、新しい傷が増えていく。
「納得いかないわ……!」
「なんだと……?」
「なんであなたが、あなたみたいな殺人鬼が、進と同棲してるっていうのよ!」
「は?」
なんかいきなり、この場にそぐわないキーワードが飛んできた。
しかしその内容に、忍は反射的に食いついていた。
「そんなの知るか! 私はナイフで脅さずにちゃんと頼んだぞ。面接も受けて同居する権利を勝ち取ったのだ!」
ナイフの一撃が、鈴音のスーツに新たな赤いシミを作り出す。
「それが納得いかないって言ってんのよ!」
鈴音の蹴りが頭部に決まり、脳が揺らされ、意識を一瞬だけ失いかけた。
「どうやって進を誘惑したかしらないけど、同棲なんて許さないわ。絶対に許さない。進は巨乳派なのになんでこんなまな板ぺったん女を……!」
「おまえは何を言っている!? 第一、私と進はそんな関係ではないぞ! そしてまな板ぺったん女は余計だ!」
洗濯の際に少々トラブルがあったが、社長と社員、探偵と助手という極めて健全な関係である。
鈴音が想像しているような色気のある関係ではない。
ついでに巨乳派だということを知って、ちくりと胸が痛んだ。
「やかましいわ。あんたのせいで私の完璧な進攻略作戦は盛大に空中分解よ。この恨み、晴らさでおくべきか」
「えぇい、そんなにあいつとちゅっちゅしたいのならば勝手に――」
――しろと、言いかけて、はたと思いとどまる。
進はいい奴だ。
少々クズいところがあるものの、事務所に住まわせて貰っていることは多大な恩を感じている。
そんな進が、こんなヤバい奴とくっつくのを了承できるだろうか。
仮に結婚したとして、彼らの門出を祝えるようなスピーチを話せるだろうか。
「――否、断じて否だ。おまえみたいな核搭載型地雷女に進は渡さん。あいつはもっとまともな女と一緒になるべきだ!」
ビシリと、空気が張り詰めた。
「――ふ、ふふふ、なるほど? そういうコト? そういう結論に至ったってワケ?」
鈴音の笑い声は、どこか壊れた人形のような無機質さと危うさが同居していた。
笑っているのに、その感情が冷えていることが分かる。
さながらドライアイスのように、冷たすぎて火傷しそうな――
「当たり前だろう。同居人がヤバい奴だったら私も落ち着けん」
「進に恋人ができても、あそこに居座るつもりなの?」
「当たり前だ。あそこは私の家でもあるのだぞ」
ふんすと鼻を鳴らして断言した。
鈴音はしばし呆然としていた――それでも攻撃の手を緩めないのはさすがと言うべきか――が、やがてふうと息を吐いた。
「……この世で最も邪悪な者は自分が邪悪と自覚していないものだって言うけど、こう言うパターンでも当てはまりそうね。自分の気持ちにも気付いていないなんて」
「おまえは何を言っているんだ?」
「ああ気にしないで? 自覚する前に、地獄に叩き込んでやるわ」
「御免被る。私は帰って夕飯を作らなければならんのだ――!」
「その役割は私が代わってやるから、安心して死になさい!」
「どこに安心出来る要素があるというのだ!」
鈴音と出会って一日も経っていないが、一つだけ分かったことがある。
鈴音は進が好きなのだ。
友情とかそういうレベルではなく、恋とか愛とかそういう次元なのだろう。
進のためならば、自分の手も他人の手も平気で血を染める。
少し――というかすさまじく歪んでいるものの、そこには一切の打算がない。
無論忍はその手の恋バナは大好物である。
が、その過程で忍本人が排除されるというのならば話は別だ。
忍が人を殺してきた動機は、自分が自分として生きるため。
だからこそ――全身全霊で抵抗する。
体のダメージは決して無視していいものではないが、全然気にならなかった。
ただ、目の前の相手を倒すことだけに、全神経を集中させていたのだ。
――そして、その時は訪れる。
互いの能力を全開にしたド派手な大技のぶつけ合い――なんてものではない。
忍と鈴音。
長い間続いた拮抗が、僅かに崩れた。
鈴音の異能は極めて強力だが、肉体そのものは人間のそれと大差ない。
一方の忍は肉体そのものが強化される異能。
短期決戦に望んでいれば、瞬間的な火力で勝る鈴音が勝利を収めていただろう。
だが――異能を持続させて戦うと言う今回のようなシチュエーションでは、忍のような特性を持つ異能の方が有利だった。
鈴音の体の重心がブレる。
新たな攻撃のモーションではない。
蓄積されたダメージに、肉体が悲鳴を上げているのだ。
その致命的な隙を、強化された目が捉えられないはずもなかった。
忍は体の重心をさらに落とし、鈴音の脚にナイフを走らせた。
鮮血が迸る。
「づっ――」
くぐもった鈴音の悲鳴を意に介さず、さらにその傷口に回し蹴りを叩き込む。
床が鈴音自身の血で濡れていたことも幸いし、鈴音は完全にバランスを崩した。
――今!
転倒した鈴音に馬乗りになり、首筋にナイフを突きつけた。
ここに、勝敗は決した。
少しでも妙な動きを見せれば、すぐさまその命を刈り取ることが出来る体勢。
鈴音の異能は音を増幅させるものであるため、少しだが発動に時間を要する。
増幅される音を忍の猫耳が拾った瞬間、忍は鈴音を殺すだろう。
打つ手は、完全に塞がれたのだ。
「最っ悪……」
鈴音は思いっ切り顔を歪め、ぺっと、血が混じった唾を吐き出した。
「どうしたの? 早く殺しなさいよ」
忍を見上げて、挑発的に笑う。
泊木鈴音は危険だ。
殺人鬼の天敵である警察官であるということは勿論、忍のことを殺す気満々な奴である。
今ここで殺さなければ、後々忍にとって大きな脅威になることは間違い。
間違い、ないのだが――
「――やめた」
ひょいと、ナイフを引っ込めた。
「……何? 情けでもかけたつもりなの」
「そんなの一ミリもあるものか。殺せるのならば今すぐにでも殺してやりたい……だが、前に殺さないで欲しい人間の写真を進からもらってな。その中におまえもいたんだ」
住まわせて貰った礼として、忍はそんな約束をしたのだ。
我ながら酷い約束である。
しかし殺人衝動が自分の意志ではどうにもならないものである以上、それくらいしか進の恩に報いる方法がなかったのも事実だった。
「進が悲しむから、殺さない。それだけだ」
なんとなくだが、あいつの悲しむ姿というのはそれはそれは見るに堪えない代物なんだろうと思ったのだ。
進はあんなんでも絆されやすくお人好しだ。
何せ、忍みたいな殺人鬼を家に住まわせて給料まで払う始末なのだから。
ナイフを払って付着した血を落としながら、忍は立ち上がる。
これにて一件落着――そう判断するには、あまりにも浅慮だった。
「それだから、甘いって言うのよ――!」
鈴音はボロボロの体に鞭を打って立ち上がり、忍に殴りかかってきたのだ。
「そこはおまえも矛を収める展開ではないのか!?」
「生憎私はまだ殺る気満々なのよ……!」
突然の出来事だった故に、反応が遅れた。
無防備な忍の体に、鈴音の拳が迫る。
「くっ――」
こうなったら、やるしかない。
――すまない進。腕の一本くらいは見逃してくれ……!
そう覚悟を決めたその時、
「ちょっと、待てええええええええええええええええええええええええい!」
喉よ避けろと言わんばかりの絶叫が、二人の動きを止めた。
どこぞの有象無象の声であれば、二人とも歯牙にかけなかったろうが――その声の主は二人にとって馴染みのあるもの、ましてやこの戦いの元凶と言っていい人間のものだった。
「進……」
階段の手すりに寄り掛かりながら、ぜーぜーと息を吐いているのは忍の同居人であり、鈴音の幼なじみである葛城進だった。
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