第19話 守りたいもの
腹に鈍い痛みを感じて、意識が覚醒する。
目を瞬かせながら周囲を見渡そうとすると、体が思うように動かない。
視線を落とすと、手足が縛られていた。
「呑気なヤツだぜ。ここに来るまで昼寝たぁ、大物なのかバカなのかどっちだ」
唐突に、頭上から低い声が降ってきた。
視線を上げてみると、そこにいたのは凄まじくコワモテなヤクザ面。
進みたいなチンピラ臭はまるでない。
これがヤクザの気迫というものなのだろう。
それにしてもこの声どこかで聞いたようなと思ったが、こいつが岸島らしい。
忍の周囲には岸島だけではなく、他にもスーツを着たコワモテ集団が取り囲んでいる。
そのせいで周囲の様子は分からないが、この高級そうな絨毯から判断して、ヤクザの事務所かとあたりをつける。
「さすが、天下の殺人鬼様……とでも言えばいいのか、えぇ?」
「そういうおまえ達はヤクザか? なんで私が殺人鬼だって――」
忍の問いに、岸島は腹に蹴りを入れることで答えた。
胃液が逆流しそうになるのをなんとか堪える。
「……惚けんなよ。この前タレコミがあってな。おまえが殺人鬼ってのは分かってるんだよ」
「本当に人違いだったらどうするつもりだ」
「そんなもん、ケジメを付けさせた後でも構わねえ。テメェが死んだ後に殺人鬼が現れなきゃ問題ないだろうが」
確かに違わないが、黒猫忍という人間の命を限りなく軽視した方法であることは間違いなかった。
釈明も交渉も、応じてくれそうになる。
嘆かわしいことだ。
真の平和は話し合いによって始まるというのに。
まぁ、逆に平和なんか望んでいない連中にとってはそんなもの無用の長物なんだろうが。
「この前は、ウチの若いのが世話になったな」
岸島は、忍が殺人鬼である体で話を続けるようだ。
こうなってしまっては、殺人鬼であると認めるしかなさそうだ。
「何、礼にはおよばんぞ」
一応返答してみたらさらに蹴られた。
これは少し理不尽じゃないか?
だったら、感謝しろとでも言えばよかったのか?
「勝手なことしてくれてんじゃねぇぞ、オイ。俺達はよぉ、色々守んなきゃいけなくちゃいけねぇんだ。例えばこの街の秩序とかな」
「……」
一瞬、ヤクザには一番似合わない言葉が飛んできたような。
「まったく似合わねぇってツラだな、殺人鬼」
こくんと頷いたら、今度は顔面を蹴られた。
視界から火花が散るが、幸い鼻は無事だった。
「裏の世界には裏の世界の秩序ってもんが表は警察、裏は俺達……って寸法だ。ところがテメェは、それを容赦なく踏みにじった。許されねぇことなんだよ、これはな」
岸島が言わんとしていることは大体分かった――が、彼の言葉は矛盾がある。
「クスリ売るのはどうなんだ。のっけから矛盾してるじゃないか」
「あんなのに手を出す方が悪いのさ。意志の弱さってヤツだぜ。確かに俺達はクスリを売る。けど買うのは客の意志だろうが、違うか?」
自業自得、と言いたいらしい。
ここまで堂々と言われれば、なるほどそうかもしれぬと一瞬思ってしまうから不思議だ。
ともあれ、彼らの言い分は分かった。
「……一応聞いておくが、私をどうするつもりだ?」
「そりゃ相応のケジメをつけて貰うことになる。当然、生きて帰るとは思うんじゃねえぞ。俺達の世界を冒したからには、こっちのルールで裁かせてもうらうぜ」
拷問、か殺す気か、はたまた――うら若き乙女にはとーてー口に出せないような目にあうのか。
どっちにしたって、ロクな結末ではなさそうだ。
――まあいい、時間はある。
痛みにはそれなりに耐性があるし、別の意味で十八禁なことは……万が一そうなったら全力で逃げるとしよう。
まずは焦らず、タイミングを見計らって――
「兄貴、葛城の奴はどうしましょうか?」
その名前に一瞬、頭が真っ白になった。
「あぁ、そっちもあったか……あいつも片付けねぇとな」
「待て、進は関係ない――」
また、顔を蹴られた。
口の中が、鉄の味でいっぱいになる。
「甘いぜ殺人鬼。そこはそんなヤツ知らないとシラを切っときゃよかったのさ。自ら馬脚を現すなんざぁ、まだまだガキだな」
――しまった、ブラフか。
自分の迂闊さに、ギリッと歯ぎしりする。
「あの野郎、やっぱり関わってやがったのか……逃がすんじゃねぇぞ。あいつは逃げ足だけは異常に速ぇからな……殺人鬼をボロ雑巾にした後、動画撮って送りつけてやれ。俺達と同類のくせして絆されやすいあいつのことだ、すぐに飛んでくるぜ」
「……っ!」
ふざけるな。
進がそんなことで来るわけが……
……
……
……
……ありそう、なんだよなあ。
頼まれたからって、忍みたいな殺人鬼を住まわせるような奴だ。
来るに決まっている。
来てくれるに、決まっている。
想像しただけでも、ちょっと嬉しくなってしまう自分に呆れ返る。
葛城進とは、そんな奴なのだ。
助けられるのを待っているだけのヒロインなんて、もう流行らない。
しかし多様性の時代というのならば、そんなヒロインが一人くらいいたっていいと思うのだ。
困ったことがあるとすれば、忍自身はそういうのが性に合わないということで。
「……待て」
「命乞いは聞かないぜ。遺言なら別だがな」
残念ながら、違う。
「おまえ達の言い分は分かった。色々事情もあるんだろう……」
これは遺言じゃなくて、すこし遅めの宣戦布告だ。
カチリ、と肉体を切り替える。
普通の肉体が、人を殺すために最適化されていく。
「……けどな。殺人鬼にだって、守りたいものはあるんだ」
――例えば、あのバカが側にいるとか日常とかな。
全身をバネのようにして跳ね上がり、岸島の顔面に頭突きを叩き込んだ。
ばきっと鈍い音と衝撃が、頭に伝わってくる。
「ぐあっ……!」
鼻を押さえて後ずさる岸島を尻目に、再び体のバネのようにして立ち上がる。
「ど、岸島さん!」
「やっちまえ! どうせ手足は縛られてんだ!」
予想外の事態だったのか、動揺が広がっていく。
「狼狽えるんじゃねぇ! 奴は所詮一人だ!」
確かにそうだが、だからと言って詰みになった訳では無い。
ぐいと手首を前に倒して、腕のホルスターからナイフの柄を飛び出させる。
「ボディチェックは、念入りにしておくべきだったな……!」
リュックを奪えば無力化できたと思っているところが浅はかだ。
柄を口で咥えてナイフを引き抜く。
体を捻り、取り押さえようと迫ってくる黒服の首に、ナイフを走らせた。
迸る鮮血。
――一人目。
衝動がない状態でも多少の快楽を感じるせいか、口角がつり上がるのが分かる。
ナイフを逆手に持ち替え、手を拘束していた縄を切る。
「て、テメェ――」
部屋の中から怒号が湧き上がり、爆発的な殺意が忍を包み込む。
ビリビリと肌が粟立つ。
この感覚は、嫌いじゃない。
「ふっ――」
両脚で跳躍し、近くにいた黒服に蹴りを叩き込む。
めきりと体が軋む音と共に、仲間や椅子を巻き込んで吹っ飛んでいった。
死んではいないだろうが、しばらくは動けまい。
「な、なんなんだよこいつ――」
「異能者なのか――!?」
どうやら、そこまでの情報は知らなかったようだ。
確かにそうと知ってなければ、もっと頑丈な拘束になっていたはずだから幸運だな。
「ビビるんじゃねぇ! 異能者だろうが所詮は人間だ。眉間ぶち抜きゃあ済む話だろうが!」
怒鳴りながら、岸島は銃を構えた。
傷の修復能力は常人よりも遙かに高いが、確かに急所を撃ち抜かれればただでは済まない。
合わせろ、タイミングを。
トリガーが引かれる。
浮き上がったハンマーが、勢いよく元の場所に戻る――同じタイミングで地面を蹴って宙返り。
本来頭があった位置に、脚を縛っている縄が来る。
不愉快な轟音と共に撃ち出される弾丸。
体に響く衝撃と共に、拘束感が消える。
銃弾は忍を縛る縄だけを撃ち抜く――
「ぐっ――」
――なんてうまい話はないようで、忍の脚も少しだけ抉っていた。
が、これくらいなら問題無い。
拘束状態から抜け出しただけ行幸というものだ。
「なんだと……!?」
サングラス越しに目を見開いたのが、視力が底上げされた目に映る。
「……まあ、こんな風に拘束を解くとは誰も思わないか」
呟きながら、敵の人数を確認する。
ここにいる人間は、忍を除いて十五人。
一人はとっくに肉体が魂を手放していて、二人は蹴りで気絶しているから、残り十二人。
彼らは既に忍の正体を知っている。
連中が法に逸脱した存在なのは間違いないが――よく考えてみれば忍も似たようなものなのでおあいこかもしれない。
「おまえ達に恨みはないが――いや、違うな。恨みが出来てからでは、遅いのか」
言った瞬間、ぞわりと体の内から衝動が湧き上がる。
一ヶ月ぶりの殺人衝動。
ここまで、グッドタイミングなのはいつぶりだろう。
きっとそう――初めて人を殺した夜以来だ。
ほう、と息を吐き出す。
「――殺させて貰うぞ、私の手で」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます