第17話 幼ナジミ、襲来ス

 目が覚める。

 今まで住んでいたアパートとは違う天井。

 けれど最近、見慣れてきた天井でもある。


「むぅ……夢か」


 もっとも、あの夢は荒唐無稽な産物ではない。

 五年前のとある日のプレイバックだ。

 両親が自宅に押し入った異能者に殺された日であり、忍が初めて人を殺した日。

 事件からしばらく経った頃、忍は一人調べてみたのである。


 しかし目立った情報はどこにもなかった。

 近所でこそ大ニュースになったものの、異能者によって人が殺されるのは、大手のメディアにとって騒ぎ立てるものでもなかったらしい。


 存在した数少ない記事でも、一家が強盗によって殺され、犯人は捜査五課が殺したということになっていた。

 生き残った長女が異能によって犯人を殺害したという記事はどこにも見当たらなかった。


 警察が手を下したことにしたほうが都合が良かった……のかもしれない。

 仮にあんなことがなければ、もしかしたら忍は殺人鬼にならなかったかもしれないが――


「……いや、無理だな」


 たまたまあの日、あの出来事がトリガーになっただけのことだ。

 いつの日か、忍の殺意は爆発していただろう。

 今の姿を両親が見たらどう思うだろうか――想像すると、胸がちくりと痛む。

 県外に住む叔父夫婦は、引き取った――正確には引き取らざるを得なかった――忍を遠ざけた。


 保護者としての行動と言えば、オンボロアパートの一室を忍に与えたのと、必要最低限の仕送りを口座に振り込むことくらい。

 まあ別に、不満があったわけではない。

 強いて言うのならば、もっとキッチンが使いやすい部屋を選んで欲しかったことと、仕送りを打ち切るならば打ち切ると事前に言ってほしかったことくらいだ。


 あれからアパートも引き払い、こちらからは一切連絡を取っていない。

 仮にしたとしても返事が期待できないというのもあるが、こちらも積極的に連絡を取りたい相手ではない。


 これ以上関わらない方が互いのためだろう。

 人殺しと同じ家に住むことは、例え身内でも御免被る事態らしいから。

 となると、殺人鬼と分かっていながら助手として雇い、同じ家に住まわせているアイツは何なんだろうという話にはなるのだが。


「いや、頼んだのは私なんだが……やっぱり引き受ける方も引き受ける方だよな」


 うんうんと頷きながら、とんとんと二階に降りる。

 葛城探偵事務所は二階がリビング兼事務所、三階が私室になっており、二階と三階は内階段で繋がっているという構造だ。

 忍が生活しているのは、三階の空き部屋の一つである。

 構造は大体覚えたので、寝ぼけていても問題はないのだが、夢が夢だったせいか寝起きにしては意識がはっきりしている。


「……む?」


 二階に、人の気配がする。


「はて、進にしては早起きだな」


 進は朝食が出来るギリギリまで寝ていることが多い。

 別にそれに不満があるわけではない――が、朝食が出来ていても寝ているのならば話は別だ。

 そうなったら、どんな手を使っても叩き起こす。


 料理が冷めて食べ頃を逸してしまうことは、忍がこの世で許せないものの一つだ。

 よく冷めてもおいしい料理が本物でありそうでないものは偽物――という能書きを垂れる不届き者があるが、料理にはそれぞれ最適な温度というものがある。

 それを無視して優劣をつけようなど、ボクサーに向けて銃をぶっ放して勝ち誇るようなものだ。

 実に芸が無い。


「まあ早起きならばそれに越したことはないんだが……」


 だがしかし、忍の予想は間違っていた。

 リビングのソファーにふんぞり返っていたのは、同居人である赤髪の探偵ではなく、パンツスーツを着た女性だった。

 きっちり着こなしているが、首元にかけてある古びた赤いヘッドホンが少しミスマッチだ。


 ――というか、不法侵入者である。

 意識が一気に吹っ飛ぶ。

 腕のホルスターに収納してあるナイフに手を延ばそうとして、思いっ切り空を切る。

 パジャマを着ているときは、ナイフを持っていないことを思い出し、内心舌打ちした。


「……何者だ? 営業時間外に来るのは不法侵入だぞ」


 思いっ切り殺意を込めて睨むが、不審者は特に怯んだ様子は無い。

 むしろ、忍にいぶかしげな視線を投げかけている。


「不法侵入? 合鍵で入るのが不法侵入とは随分斬新な言いがかりね」


 そう言って取り出したのは――紛れもなく、事務所の鍵だった。


「なっ……なぜ、おまえもそれを持っている!?」

「妙なことを聞くのね。男女が深い関係を持っていれば、合鍵を交換することはなんら不思議なことじゃないでしょう?」

「深い関係……?」


 無論、その意味が分からない程忍はピュアではない。

 ――しかしこの女が? 進と深い関係だと?

 彼女の定義が真実であるならば、他ならぬ忍も進とそういう関係になってしまうのだが……


「あなたこそ何者? なんで進の家にいるわけ、それもパジャマで」


 どう言い返したものかと思っていると、不審者の方が問いを投げてきた。


「当たり前だろう。ここは進の家であると同時に私の家でもあるのだからな」


 幸いそこまで難しいものではないので、普通に答える。


「はぁ?」


 不機嫌の色を隠そうともしないくらい、敵意に満ちた声音だった。


 ――何か癪に障るなコイツ。


 忍は殺人鬼だが、感情にまかせて誰かを殺してやろうと思ったことは殆ど無い。

 どんなにムカつく相手でも、足の小指をタンスの角に思いっ切りぶつけてしまえと呪うことが精々だ。

 が、目の前の不審者は違う。

 殺人衝動が湧き上がっていないのにも関わらず、殺してやりたいと心の底から思った。


 それと同時に、彼女の顔で言えばこいつどっかえみたことあるな、とも。

 無意識に武器になりそうなものを探す。

 包丁――は、論外だ。


 あれは料理をするものであって人を殺す物ではない。

 不審者の敵意の中にも、殺意が混じり始めたのが肌で分かる。

 まさしく一触即発――その時だった。


「おはよーさん忍……って、なんだ? 朝から殺意全開じゃねーかよ」


 呑気な声と共に、この家の主である進がリビングに入ってきたのだ。


「……お、鈴音? おまえもいたのか。おはよーさん」


 さらに妖怪不法侵入女に対して警戒するどころか、親しげに挨拶までしている。


「進、これどう言うこと?」

「説明して貰おうか」


 現役殺人鬼と妙な気迫を持つ不審者のダブル視線ビームを浴びても、進は怯んだ様子はない。


「説明? えーっと……こいつは泊木鈴音。俺の幼なじみだ」


 ――幼なじみ?

 それ則ち幼い頃からの付き合いである人間に使われる言葉だ。

 しかも異性の幼なじみと言うのは、すさまじくヒロイン力高めなキーワードである。


「で、こいつは黒猫忍。ウチの社員だ」

「社員……あなた、助手を雇ったの?」

「おう。雇って一ヶ月の新人だけどな。我が社期待のエースだぜ」


 社員が忍一人しかいないのだから、ヒラもエースもないだろうにとは突っ込まないでおいた。

 自慢げに言っていたのがちょっと嬉しかったのは多分関係ない――


「――って、して欲しいのはそういう説明じゃない。どう言うことだ、あの女に合鍵を渡しているというのは」


 なぜここまで声が固いのかは自分でも分からなかったが、とにかく聞かずにはいられなかった。


「合鍵ィ? 別に渡してねーよ。なんか勝手に作ってたんだ」

「は?」


 ナンカ勝手ニ作ッテタ。

 すさまじく不穏な言葉を、進は特に気にしていない様子で口にした。


「何よ。あなたがくれないからいけないんじゃない」


 ――なるほど、ヤバい女かこいつ。

 拗ねたような口調だが、やってることはストーでカーな行為である。

 にも関わらず、進は特に気にしている様子はない。

 まるで、鈴音なら然もありなんと受け入れているかのように。


「鈴音は、飯食ったのか? まだなら一緒に食おうぜ」


 それどころか、ナチュラルに朝食に誘ってきた。


「作るのは私なんだが?」


 無論忍は、こんなストーカー幼なじみに食事を用意してやるつもりなぞ毛頭無い。


「ん? まぁ学校あるし、三人前はキツいよな。じゃあ、俺と交代っつーことで」


 ――そうじゃない、そっちじゃない! 


「ふざけるな。台所は私の縄張りだ!」


 しかし口から出て来たのは、我ながら少しズレた言葉だった。


「えぇ……一応世帯主俺なんだけど」


 悲しげな表情の進だが、鈴音は首を振った。


「別にいらないわ。あまり時間も無いし……また後で。二人っきりで話しましょう?」


 進に意味深な視線を、次に忍に殺意全開の視線をお見舞いして、鈴音は事務所を去った。


「まったく、なんなのだあいつは。勝手に入ってきて因縁を付けてきて――!」

「言ったろ。泊木鈴音、俺の幼なじみで――捜査五課の警部だ」

「ぶっ」


 警察官で、しかも異能者犯罪を担当する捜査五課所属。

 思いっ切り忍の天敵だった。


「……しかし警部にしては若いな。警部というのはもっと歳をとってからなるものではないのか?」


 なんとなく警部というのは、恰幅の良い中年というイメージがある。


「まあ、あいつはキャリア組だからな」

「キャリア?」

「将来の幹部候補として警察庁が採用する警察官……ってコト。だから普通の警察官より出世が早いッつーわけなんだな」

「あー……刑事ドラマに出てくるイヤミなやつが確かそんな感じだったな」


 我ながら凄まじい偏見だが、泊木鈴音に関してはそのイメージがそっくりそのまま当てはまりそうな気がする。


「違うんだよ。鈴音は性根がねじ曲がってて、口が悪いだけなんだ」

「それをイヤミなやつと言うのではないか?」

「いや、別にそれだけって言うんじゃねーんだけどな」


 進は鈴音のいいところを列挙していたが、ほとんど耳に入らなかった。

 気に入らない。

 なんとなく、そう思った。


「それにしても警部とはな……中々厄介な知り合いだな」

「まあ、おまえにとっちゃそうかもしんねーけどよ。一応俺にとっては上司だぜ。何せあいつが五課のリーダー……捜査五課長なんだからな」 


 新情報に、忍は目を丸くした。


「リーダーって、キャリア云々をさっ引いても若すぎるというものではないか?」

「フツーは階級的にはなれないんだが、五課は色々特殊だからな。そーゆー例外もあるってワケだ」

「なるほど……それにしても、変な知り合いが多すぎないか? この前のヤクザといい」

「その変な知り合いとやらに殺人鬼のおまえもカウントされてんだけどな……あー、そうだ。衝動の方は大丈夫なのかよ?」

「ん、今のところは問題ないが……最後に殺して一ヶ月経ってるからな。そろそろ来てもおかしくないぞ」

「そうかよ。ま、そのときはうまくやるんだな」


 進は忍の殺人を見逃すことにしているが、殺人の手伝いをする気は毛頭ない。

 もっとも、傍から見れば住む場所を提供している時点で十分共犯関係かもしれないが。


「……まさか、あいつに話してないだろうな。私が殺人鬼だって」

「なわけねーだろ。そんなことになったらおまえ、今頃事務所は地獄絵図だぜ。さっきも心のなかでめっちゃヒヤヒヤしてたんだからなこちとらよう」

「あっちがあれこれ言ってきたんだから仕方あるまい。私は悪くないぞ」

「十中八九鈴音も同じこといいそうなんだよな……とにかく、あいつとは面倒事を起こさない方向で頼むぜ」

「うむ、善処する」

「そりゃ自信持って言ってくれよ」


 半眼で睨んでくる進に、忍は肩をすくめてみせた。

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