第16話 助手とパンツと始まりの夜

 このように、事務所に物騒極まりない居候が住み着くようになったのだが、殺人鬼を雇う匿うなんて実はとんでもなくヤバいことなんじゃね? とゆーのはちょっと考えなくても分かることだ。


 実際にヤバいことである。

 というか、犯罪である。

 万が一バレた時には、犯人隠避罪で三年以下の懲役、もしくは三十万円以下の罰金が課せられるのだ。


 しかも忍はこれからも殺人を繰り返す予定なので、下手すれば共犯扱いということも充分にあり得る。

 もしかしなくても、進は社会人にあるまじき爆弾を抱えている状態なのだが――困ったことに、進は忍にそこまで悪感情を抱いていない。


 ストックホルム症候群――というものかもしれない。

 誘拐事件や監禁事件などの被害者が犯人との間に心理的なつながりを築くことらしい。

 自らその犯罪に協力したり、犯人が捕まった後も罪が軽くなるように懇願したりするケースもあるとか。


 そんなアホなと思ったけど、今の自分の状態は結構当てはまってるのではなかろうか。

 もっとも、ストックホルム症候群は極限的な状態で発生する心理的な生存戦略だが、どうも忍との生活はそこまで緊張感のあるものではない。


 むしろ、今の所メリットが目立つ。

 人手が二倍になったので、仕事の効率もよくなっているし負担も少なくなった。

 特に猫探しは、忍が来たことで成功率も仕事が完遂するスピードも飛躍的に跳ね上がった。


 人間離れした身体能力と猫と会話できるというアドバンテージで、あっと言う間に猫を保護してしまう。

 捕獲網を手にひーこら走り回ってきた時と比べれば、涙が出そうになるくらいの進歩だ。


 どうも猫達は、忍を人間と言うより巨大サイズの同胞と認識しているフシがある。 

 一方、猫探しと同じくらい定番の依頼である浮気調査は怪しいところで。


「いいか、浮気調査は根気との勝負だ。常に緊張感を保たなくていい。小さく集中を持続させる感じだ。オーケイ?」

「うむ、分かった」


 数分後。 

「ぐう」

「寝るんじゃねえよ!」


 ……他の仕事に関しては、根気強くイロハを教える必要がありそうだ。

 忍は寝る。

 本当によく寝る。

 隙あらば寝ている。

 事務所ではソファーの上で丸まっていることが多い。

 客がいない時の定位置になりつつある。


「寝る子は育つ、か……」


 どことは言わないけど、あんまり効果はないようだ。

 嗚呼、この世は無情と一人心地ていると、ぱちりと忍が目を開いた。


「なあ進」

「ん、どした?」

「社長のセクハラはどこに相談すればいいのだ?」

「すいませんでした」


 最近厳しいのよそこら辺。

 ちなみにそんな忍ではあるが、学校の成績はそこまで悪くない。

 テストの成績表をちょっと見せて貰ったところ、平均点よりほんの少しばかり高い点数だった。


「意外だ……」

「随分な言い草だな。そういうおまえはどうだったんだ」

「いいか忍。人間には勉強で計れる知識と計れない知識があってだな」

「悪かったんだな」

「……」


 チクショウ否定できない。


 とはいえ、未成年の異性と同居するのに何も問題がないわけではない。


「ふんふふ~ん」


 鼻歌交じりに湿った洗濯物をハンガーにかける。

 進の事務所に置いてある洗濯機は、時代の最先端をゆくドラム式ではなく縦置きタイプ。

 乾燥機付き洗濯物は干す手間が省ける優れものだということは散々聞いているが、服の材質によっては縮んだり痛んだりしてしまうのだ。


 特に好んで着ているスカジャンは見かけによらず繊細で、手入れするときもかなりの手間を必要とする。

 洗濯機に合わせて服を選ぶというのも本末転倒なので、乾燥機の進歩に期待するしかない。


 葛城探偵事務所専属料理人に就任した忍だが、それ以外の家事は大方進が担当している。

 洗濯もその例外ではない。

 進が洗濯担当を忍に譲らなかったのは、決してやましい動機ではなく、愛する服を自分で手入れしたかったからだ。

 決してやましいことではない、本当に。


「あん?」


 洗濯機の中にある服を掴もうとしたそのとき、手に何かが引っかかった。

 どうやら黒い布のようなものである。


「なんだこりゃ」


 不思議に思いそれを広げてみると、


「げっ」


 忍のパンツだった。

 そう、これこそが同居の一番の難所と言っても過言ではない。

 スポーツタイプのシンプルなものだが、それはそれで健全なエロスを感じてしまう。


 これはただの布だと思い聞かせるが、あの美少女のものであるという付加価値がついたらどうだろう。

 水が劇薬に早変わりだ。

 進はパンツを手に数秒硬直していたが、やがてハッとして首を振った。


「……っといけねえ。こんなところを忍に見られたらどうなるか」

「そうだな。指の一本でも置いていってもらおうか」

「ほらな、きっとそんな風に……あ?」


 視線を横にスライドさせると、いつの間にか忍の姿がそこにあった。


「お、おまえいつの間に……!」

「ついさっき来たばかりだが。なんだ、見られて都合が悪いことをしていたのか?」

「あー……その、都合が悪いというか間が悪いというか」


 忍の表情に殆ど変化はないが、よく見ると目のハイライトが消えている。

 いや違う。

 殺意で塗りつぶされているのだ。


「すいませんでした」


 ひとまず土下座して詫びた。


「なぜ謝る? やましいことをしていたのではないのだろう。それとも何か、やましいことでもあるのか?」

「いや、別に」

「ほほう。つまり私の下着はただの布切れに過ぎず、魅力も何も無いと?」

「いや、そんなことはない。ケッコードキドキした――はっ、しまった!」


 つい本音がぽろっとこぼれてしまった。

 気のせいか、忍の瞳の中の殺意が一層濃くなった気がする。


「知ってるか忍。誘導尋問で得た証言は証拠にならないんだぜ」

「そんな物は必要ない。裁判長も検事も――執行官も、すべて私だ」

「弁護士はァ――!?」


 それが意識を失う進の最後の言葉であった。

 その後、洗濯物を干す際は忍の監視が入るようになったとさ。









 ――多分、幸せな家庭というヤツだったんだろう。


 ぼんやりと、そんなことを思う。

 社会的地位も莫大な財産も無かったような気がするけど、両親は優しかった。


 そんな穏やかな日常だったがしかし、「何かが違う」といつも思っていた。

 現状に不満がある訳ではない。


 ただ、足りない。


 何かが満たされなかった。


 しかしそれが何であるかは、幼い自分に言語化することも誰かに相談することもできなかった。

 時折湧き上がる息苦しさと飢餓感の正体が分からぬまま、日々を過ごしていたそんなある夜。


 両親におやすみと言って布団に潜り込んで夢の世界にたゆたっているいる忍を、悲鳴が現実へと引き戻した。

 一階のリビングまで降りて見た光景は、全て真っ赤に塗りつぶされていた。


 真っ赤になって動かなくなっている両親。

 真っ赤な包丁を周囲に浮かべた知らない大人。

 錆びた鉄の匂い。


 そんな冗談みたいな光景。

 ふわりと浮いた包丁が、忍の体にも沈み込む。

 痛くて、赤い。


 どうもこれは夢じゃなくて現実らしい。

 そう認識した瞬間、凄まじい飢餓感が襲った。

 刺された痛みよりも、内側から爆発するような衝動に忍の意識は軋み――断絶した。


 意識を取り戻した時には、知らない大人の姿はなかった。

 代わりに目の前にはグチャグチャになった何かがあった。

 ハンバーグを作る前のやつに似てるなと、ぼんやり思った。

 ついでに自分も真っ赤になっていた。


 ナイフで刺された傷は、既に癒えていた。

 真っ赤になった手はいつもと少し違っていて、忍が大好きな動物に似て鋭利な爪が生えていた。

 けど、今はそんなことはどうだってよかった。


 今まで抱いていた違和感も飢餓感も消えていて、残ったのは

――この上ない、満足感だった。


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