第15話 殺人鬼クッキング
探偵という仕事をしているせいで極めて不安定な生活サイクルを送っている進ではあるが、目が覚めてスマホを確認すると、時刻は六時三十分だった。
「……まあまあ健康的な時間だな」
視界を遮る前髪を鬱陶しそうに払いながら自室のドアを開けると、同じタイミングで隣室のドアが開いた。
「むぅぅ……」
眠り足りないとばかりに小さく唸りながら出て来たのは、黒髪ショートヘアの女の子。
デフォルメされた猫がプリントされたパジャマを着た彼女が一体何者なのか、一瞬混乱しそうになるが、この事務所には現在もう一人住人がいることを思い出す。
それこそが目の前の少女――黒猫忍。
自称ぴっちぴちのJKにして、殺人鬼。
忍は進に気付くと、ぽかんとした表情でこちらを見ている。
「えーっと……おはようさん」
ひとまず定番の挨拶をしてみる。
忍は進をまじまじと見たまま、しばし沈黙していた。
「……どした?」
「んぅ、朝起きたときに誰かがいるというのが久しぶりでな。少し驚いてしまった」
「あー……それは分かる気がするぜ」
確かに進も一人暮らしが長いので、朝早くから誰かと一緒にいることはかなりレアケースだ。
たまに合鍵を預けた覚えのない幼なじみがソファーにふんぞり返っていることがあるが、パジャマ姿の女子高生というのは中々に破壊力抜群の光景である。
「髪、どうしたんだ?」
「ん? ああ、コレか。いつもはワックスでセットしてるからな。朝はこんな感じなんだよ」
いつもは無造作にハネさせたような髪型にしているが、何もしていないときは鬱陶しくてしょうがない。
「ふーむ……それはそれで悪くないな。だうなーな感じがするぞ」
「お褒めにあずかりドーモ。けどそれは俺の趣味じゃねーんだよ」
「そうか……」
口元をむにゃむにゃさせながら、瞼が落ちていく。
忍はまだ完全覚醒とはいかないようだ。
そう思った矢先、忍は歩き出したと思ったら壁に激突した。
「うにゃっ」
くぐもった悲鳴と共に、忍は顔を押さえた。
「危なっかしいなオイ。大丈夫かよ?」
「私は朝が弱くてな……寝起きはこんな感じだが心配はいらんぞ。朝の動きは体が覚えている。半分眠っていなくても着替えや顔を洗うことは造作でもない」
すごいだろう? と鼻を赤くしながら胸を張る。
そうしたところで特に何も強調されないのが悲しいところだがそれはさておき、
「それって前住んでた家での話だよな。引っ越した後じゃ意味なくね?」
いきなり壁に激突したのがいい証拠である。
「……これは由々しき事態だ」
「そこまでか?」
「私の眠気を舐めるなよ。顔を洗うまではいつ再び眠りに落ちてもおかしくなぐぅ」
「言ってる先から寝るなよ!?」
有限実行とばかりに立ったまま眠りに付いた忍の肩をガクガクを揺さぶり、なんとか意識を引き戻させる。
「な? こういう訳なのだ」
「どういう訳だよまったく……」
ドヤ顔で言われても困る。
「だから、連れてってくれ」
忍は進のパジャマの裾を握って言った。
「どこって……洗面所までか?」
「うむ」
何か文句の一つでも言ってやろうと思ったが、まあこれくらいはいいだろう。
「ほら、行くぞ」
「んぅ」
再び眠りにつきかけてる忍を引っ張りながら、進は洗面所へと向かった。
「おぉ……」
テーブルに並ぶそれを見て、進は感嘆の声をもらした。
ほかほかと湯気を立てるご飯と味噌汁。
さらに主食を彩るは、ベーコンエッグとピーマンのきんぴらと切り干し大根の炒め煮――
「朝食だ……」
「おまえにはこれが昼食や夕食に見えるのか?」
「いや、そうことじゃなくてだな。これ、おまえが作ったのか?」
「そうだが……どうかしたのか?」
「どうかしたって、おまえ。こりゃちょっとしたフルコースだろ」
「おまえがフルコースを食べたことがないのはよく分かった」
「しっかし、よくもまあこんだけ作れたもんだよな」
進だったらここまでの品目を全て作るのに、凄まじい時間がかかる。
「ピーマンと切り干し大根のは常備菜だからな。作ったのは一昨日だから、そこまで時間はとらんのだ。しかし、おまえの所は本当にロクな材料が無いな。酒しか入ってない冷蔵庫なんてフィクションの産物だと思ってたぞ」
今食卓に並んでる食材は、全て忍がアパートから持ってきたものだ。
「まあ、飯はほとんど作らねーしな。最後に作ったのは半年前くらいだ」
確か鈴音が酔っ払って事務所に訪れたときだったか。
そう言えば、忍が使っている茶碗は、鈴音が酔っ払って買ってきたものだったことを今更のように思い出す。
「なんか虚しくねーか? 一人で作って一人で食うのって」
「そうか? 一人でも料理するのは楽しいと私は思うがな」
「作る過程も楽しむってか?」
うむ、と忍は頷き続ける。
「それに、虚しいという心配はもういらんだろう。一緒に住んでいるのだからな」
「んぐっ……」
切り干し大根が変なところに入り、どんどんと胸を叩く。
「どうした?」
「いや、なんでもねー」
なんなのだろうか。
こういう恥ずかしい台詞を何食わぬ顔で言えるのが最近の若者というヤツなのだろうか。
これが若さなのだろうか。
そんな事を考えつつ、テレビから流れるニュース番組に耳を傾ける。
探偵たるもの、目まぐるしく変わる世間の様相も敏感にキャッチする必要があるのだ。
今日流れているのは、異能者がらみのニュースだ。
ビルがねじ曲がっている映像と共に、事件の詳細や被害状況をリポーターが説明している。
「派手だなあ」
忍がぽつりと呟いた。
「随分とヤバそうな奴だな。まあ、県外だし生活に支障はねーだろ」
「おまえは、あんな奴らとも戦うのか?」
「それが仕事だからな。命がけだけど、その分報酬は高いぜ? 被害や能力によって報酬は上がるからな。ハイリスクハイリターンってヤツだ」
「ふむ。では私の報酬はどんなところなのだ?」
進はスマホを操作して、賞金首がかかっている異能者リストを忍に見せた。
名前の欄に、本名ではなく「殺人鬼」と素っ気なく書かれた自分の賞金額を見て、忍は目を丸くした。
「すごいな。この金があれば結構な贅沢ができるぞ」
「おまえは使えないからな?」
金が入る頃には、忍は塀の中かあの世で新生活をスタートしているだろう。
「ま、おまえは顔が割れてないからそう簡単にゃ特定はされねーだろ」
忍はその言葉にしばし目を瞬かせていたが、やがてぽんと手を打った。
「……おおそうだ、忘れるところだった。写真をくれ。家族とか友人とか、おまえが大切に思っている奴の写真だ」
「写真って……渡すとどうなる?」
「私に殺されずに済む」
「……」
淡々と紡がれる言葉に、しばし言葉を失った。
忘れていたが、一緒に住んだところで忍が殺人鬼であることに一切変化はない。
これからも人は殺される。
「これでも私はおまえに恩を感じているんだ。大切な人が殺されたとなれば、おまえも悲しいだろう?」
「そりゃ、悲しいけど」
幸いと言うべきか、今の所殺人鬼に殺された知り合いはいない。
忍が言っていることが本当だったら――こんなところで嘘を付く人間では無い事は数日の付き合いでなんとなく分かる――恐らくこれからも知り合いの中で犠牲者は出ることはないだろう。
けれど、それは犠牲になる人間がすり替わるだけで、その絶対数は変わらない。
本来殺されるはずのなかった人間が殺されることだってあるだろう。
――今の俺って、もしかしてすげえ卑怯なキャラのポジなんじゃね?
頭の片隅で、そんなことを思う。
今から交わすのは、意味悪魔の契約と言っても差し支えないものだ。
知り合いを見逃して貰う代わりに、他の人間を生け贄に捧げるようなものだが、
「ま、いっか」
自分は聖人君子ではない。
打算的で卑怯で、どこまでも自分本位な人間だ。
毒を食らわば皿まで。
皿を食らわば店までだ。
スマホを操作して、交換したばかりの忍のアカウントに写真を送る。
送られてきた写真を見ていた忍が、わずかに眉を潜めた。
「……ふうん」
「どった?」
「女が多いんだな」
妙に刺々しい視線を投げてくる忍に、んんっと咳払いして反論する。
「いいか忍。この世にいる人間の半数は女なんだ。つまり知り合いが女である確率は五割もあるわけだ。親しいヤツが男に偏る場合もあるしその逆もあり得る……そうは思わねーか?」
「言い訳臭いぞ」
「言い訳じゃなくて事実なんだからしょうがねーだろ。そりゃまあ、友人とか仕事の付き合いとか色々あるんだよ。色々」
嘘は付いていないし後ろめたいこともない、多分。
「ふーん」
納得してくれたかは不明だが、相変わらず忍の声音は妙に不機嫌の色を帯びていた。
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