第13話 猫、紛れ込む

 進の指摘に、ソファーに座っている忍はこてんと首を傾げた。


「なんでって……いるからいるんだろう。放課後に学校から直行してきた」

「ああだから制服なんだな……ってそっちじゃねえ。なんだってここに来たんだって話だよ。あのノリじゃ二度と会わないパターンだろ!?」


 それなのに、普通に事務所を訪ねにきた。

 あまりの自然さに、進も流されるまま事務所にあげてコーヒーまで振る舞ってしまったのだ。


「その割には、ツッコミにタイムラグがあるな。もう一時間経ってるぞ」

「あまりにも自然すぎて遅れたんだよ! つーかもう動画消したんだし、こっちに来る必要ないじゃねーか!?」

「ところがそうもいかんのだ」

「あん? どういうことだよ」

「確かに証拠は消えた……が、おまえの記憶にはばっちり残っていることをすっかり忘れていてな。これはマズいと思ったのだ」

「……口封じに殺しに来たってか?」

「それもいいのだがな。私はおまえと何度も接触しているだろう? 万が一おまえを殺したら、真っ先に疑われるのは私だ」

「まあ、そうだな」


 かれこれ二日一緒にいるし、探偵事務所の方へ向かっている姿が目撃されている可能性も高い。

 仮に今進を殺した場合、アリバイも成立しない。


「しかし殺さないとなると、ちょっとした弾みで口が滑る可能性がある……と言うわけで、監視することにした」

「なるほど。帰れ」

「何故だ」

「逆に聞くけどな。面と向かって自分を監視するなんて宣言するアホがいたとして、おまえは了承するのかよ」

「ちょっと嫌だな」


 ちょっと眉を潜めて忍は言う。


「俺はちょっとどころかすっげー嫌なんだよ! それに監視って、まさかここに住むつもりじゃないだろうな」

「住む……おお、そうか。ずっと監視するということはそう言う事になるのだな。さすが探偵、慧眼だな」

「褒められてここまで嬉しくなかったのは今日が初めてだよチクショー。とにかくだ。助手でも社員でもねーヤツをここに置いとく訳にはいかねーんだよ。こっちの家計は火の車なんだ。利益が見込めねー限りは無理だな無理」


 冷たい言い方だっただろうが、こればっかりは仕方が無い。

 無い袖は振れないのである。

 それを不人情と責めるならば金をくれ。


「……なるほど。ならば仕方がない」


 かつんと、コーヒーカップをテーブルに置いて、忍は立ち上がる。

 すわ、口封じか――と思ったら、忍はソファーに置いていたリュックを背負うと踵を返した。


「コーヒー、ご馳走様だ」


 それだけ言い残して、忍は事務所から出ていった。


「……なんだったんだ、マジで」


 コーヒーの残り香と共に去って行った殺人鬼の思考回路を、進は理解できずにしばらく呆然と突っ立っていた。






 ――そして、また翌日。


 今日は週末である。

 自営業で自由業な進にとって、週末イコール休みという方程式は成立しなくなって等しいが、依頼がないので世間と同じように休みになっている。

 どっかのヤで始まる事業者の方から殺人鬼をとっ捕まえてこいなんて物騒極まりない依頼があった気もするが、まあ気のせいということにしておこう。


「さて、今日はどうすっかな……」


 せっかくの休みだしよさげなスカジャンでも探しにいくかーと思っていると、ピンポーンとインターホンが鳴った。


「ん、依頼人か?」


 念のため、窓から外を確認する。

 黒くて無駄に長いリムジンは停まっていない。

 どうやら岸島ではないらしいことにほっと胸を撫で下ろした。


「はいはい、今開けますよーっと……」


 一応始業時間前ではあるが、起きているのだから問題あるまい――とドアを開ける。

 そこには、巨大なリュックを背負った忍が立っていた。


「……」

「……」


 なんとも言えない沈黙が、玄関を包み込む。

 え? なんで? 何で忍?

 そしてなんだその大荷物?

 頭を疑問符が埋め尽くすが、何か言わなければ始まらない。


「えー……あー……何の用だ?」

「面接に来た」

「面接ぅ?」

「うむ。ここで働かせてくれ」


 フリーズした。

 忍は別に解読不可能な言語を発したわけではない。

 進と同じ日本語を話したし、進の耳にも日本語として伝達された。

 しかし脳に達した瞬間、その内容に脳の思考機能が一部停止せざるを得ない事態になったのである。


「おい、大丈夫か?」

「はっ……つい意識を手放してた。それで、なんだって? ここで働かせてくれって聞こえたんだが気のせいだよなハハハ」

「うむ、一字一句違わず言ったぞ」

「あ、聞き間違いじゃなかった」


 なんてこったい。


「ここで私を働かせてくれ。住み込みで」


 しかも改めて言われた。


「社員ならここに置いてくれるのだろう?」

「はぁ? そんなこと……」


 言ってましたね、そんなこと。

 昨日の記憶は、進の脳内ライブラリにがっつり残っていた。


「いや、それは言葉のあやと言うかだな。ぶっちゃけ追い出すための口実というか」

「嘘、だったのか?」


 じとっとした視線が進を貫く。

 ――え、何コレ俺が悪いの?


「つーか、親御さんの許可は貰ったのか? いくらなんでも、こんなことに許可を出すとは思えねーけど……」

「もういない」


 淡々と紡がれる言葉に、一瞬言葉につまる。


「……なんか、その、ワリィ」

「ああ気にするな。結構前のことだしな」


 確かに忍の表情からは沈んだ感情を読み取ることは出来ないが……こうなったら別のアプローチをかけよう。


「でも、本当にいいのかよ? 男と同居ってことだぜ」

「……」


 忍は今更のように顔を赤くしてぽつりと一言。


「……えっちだ」

「俺は別になにかやろうとしてないからね!?」


 まるで進が変態野郎みたいな言い草である。


「だが、問題無い。貞操の危機になれば、おまえを始末すればいいだけの話だ」

「確かに正当防衛が成り立つっちゃ成り立つけど、そもそも俺はそんなことしねーからな」


 探偵は信頼によって成り立つ仕事だ。

 未成年に合意無く手を出したとなれば、あっと言う間に倒産待ったなしである。


「む、それなら尚更大丈夫ということでは?」

「ぬぐっ」


 いつの間にやら墓穴を掘っていた。

 しかしここでイエスと言ってしまうと、非常に面倒なことになる。

 うががどうすれば――と悩んでいると、嘆息と共に忍が言った。


「……分かった」

「ほっ」

「出直すとしよう」

「出直す?」


 こくりと忍は頷いた。


「明日また来る」

「……」

「明後日も明々後日も、そのまた次の日も来るぞ。おまえが雇ってくれるまではな」

「……マジでか」


 冗談を言っているようには聞こえなかった。

 進が雇うまで、忍は何度も事務所を訪れるのだろう。

 トラブルメーカーを人間の形にしたような奴が毎日、雇え雇えとやってくる……もはや一種の呪いだ。

 新手の妖怪と言ってもいい。


「……さっさとナイフで脅したりなんだりした方が手っ取り早いんじゃねーのか?」


 そうしてくれれば、正当防衛とか脅迫されたとかでこっちの有利になる。


「何を言うか。私は頼んでいる方なのだぞ。そんな脅すような真似できるか」


 正論で返された。

 ナイフで突っかかってきたら、色々対処のしようがあったのに、このままではどうしようもない。


「……わーったよ。ひとまず面接は受けさせてやる。それで落とされても文句言うなよ」


 とうとう根負けして、忍を事務所に招き入れることにした。


「うむ、ありがとう」


 進もうとした瞬間、ガンと鈍い音と共に引っかかる。


「……む、入らん」


 ガン、ガンと何度も試みるが結果は同じ。

 無駄にデカいリュックが、忍の進行を阻害しているのだ。


「……横向きに入ったらどうだ?」

「おお、それは盲点だった」


 ぽんと手を打つと、今度は蟹歩きで中に入った。

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