第12話 猫探しの報酬は?

 猫を保護したと一報を入れると、すぐに飼い主が探偵事務所へと飛んできた。

 愛猫と感動の再会を果たした初老の飼い主は、何度も礼を言いながら進に報酬を渡して事務所を後にした。


「これにて一件落着だな」


 忍がふうと満足そうに息をつく。


「そういうこったな……」


 一方進は複雑そうな顔で、依頼人から貰った封筒と睨めっこしていた。


「うん、どうしたのだ? 普通ここは喜んだり達成感に浸るところではないのか?」


 いつもであれば確かにそうしているのだが、今はそんな気分にはなれそうもない。

 よしと一つ頷くと、忍に封筒を突き出した。


「やる」

「む?」


 突き出された茶封筒を見て、忍は不思議そうに目を瞬かせる。


「いらんぞそんな金。これはおまえが必要なものなのだろう?」

「いいから貰っとけって。今回の仕事は、俺はほぼ何も出来なかったからな。仕事にはそれ相応の対価が必要だ。そうだろ?」


 聞き込みから捕獲まで、今回の仕事は全て忍がやっていた。

 進も進で三日くらいあの猫を追っていたのだが、それだけで報酬を我が物顔で受け取るのは居心地が悪いのだ。


「なるほど……だが、そんな風に力を入れられては、取れる物も取れないんだが」


 気付けば、進の指は封筒に万力の如く食い込んでいた。

 血管が浮いたその指からは、絶対に封筒は渡さんという強い意志が感じられる。


「しまった! ついうっかり本音が体に……!」

「しかも本音なのか!?」


 そりゃあ本当のことを言えば、報酬を丸ごと忍に渡す真似はしたくない。

 つねに生活はカツカツで、そんな格好つける余裕はないに等しいが、しかし進自身のプライドの問題でもある――


「まったく、何をやっているんだおまえは。無理にカッコ付けるものじゃないぞ」

「ぐほっ」


 年下のJKに窘められたという事実が、進の心を容赦なく抉る。


「金はいらん。代わりに別のものを寄越せ」

「……と、言いますと?」


 おまえの命だぁーと言われることを覚悟していたが、忍の要求は進の想像と真逆のものだった。


「動画だ。そっちを削除するのが報酬ということにしてくれ」

「えーっと、いいのか? そんなことで」

「いい。不安材料はさっさと消すのに限る」

「なるへそ」


 頷きながら消去しようとして――はたと、思い出す。

 ――これ、普通にヤバくね?

 確かに写真を消せば、黒猫忍が殺人鬼であるという証拠はどこにもなくなる。

 だがそれは同時に、忍の共犯になることに他ならない。

 脅されて仕方なく――と言えば、情状酌量の余地はあるかもしれないが、


「……ちなみにそれを断ればどうなる?」

「この身を脅かす者があれば、私は全力で排除するぞ」

「デスヨネー」


 選択肢なんて最初から存在しないのである。

 ええいままよと、進は忍の目の前で、動画ファイルを削除した。

 ごみ箱フォルダからも消去して、復元が不可能になるところまで見せる。


「寄越せ。他にないか確認する」

「へいへい」


 ほいと忍にスマホを渡す。

 忍はすいすいとスワイプして中身を確認し始めた。

 ……あれ、待てよ。

 あのスマホに入ってる写真とか動画って、人様に見せられないものがあったような。

 気付いたときには、もう遅かった。

 忍の体がぴくんと震え、頬に朱がさしていく。


「……なんだ、これは?」


 進が指さした画面に映っていたのは、鈴音の写真であった。

 しかも派手な赤色&布面積大幅CUTの下着を着用して女豹のポーズをとった、際どさ全開の代物である。

 一応顔は隠してあるが、かえっていやらしさを助長している――


 鈴音ェ――! 


 心の中で絶叫する。

 これは数ヶ月前にダイレクトメールで送られてきた写真だった。

 削除ボタンを押そうとしたが、うっかり保存ボタンを押してしまった。

 そしてうっかり消すことをわすれて今日に至るわけである。


 そう、すべてうっかりによる産物なのである。

 そこに進の煩悩が介在する余地はないのだ。

 絶対、きっと、多分。


「違う落ち着け! これはイタズラで送られてきただけと言うか――!」

「……えっちだ」

「そりゃ、まあな」


 幼稚園生の頃から長い時間を過ごしている幼なじみなのに――いや、幼なじみだからこその破壊力と言うべきか。


「セクハラだ」

「な!?」


 これは紛れもなく冤罪である。

 自分がろくでもない男という自覚はあるが、だからと言ってその事実を認めるのは納得できない。

 そんなわけで、現在の状況を第三者視点から見てみよう。

 JKに幼なじみのえっちな自撮り写真を見せる二十代男性の図。


 普通に有罪だった。

 執行猶予も付きそうにない。

 ――それでも、俺は自身の潔白を証明しなければならない!(くわっ)


「おまえが勝手に見たんだろうが!」


 結果、口から飛び出たのは開き直りに近いそれであった。


「最低だ……」

「おまえが見せろって言ったんだろ!?」

「こんなえっちなものを見せろと言ったんじゃない!」


 ぎゃーぎゃーと醜い争いを繰り返すことしばし。


「よそう、これ以上争っても虚しいだけだ」

「そうだな……」


 この件は双方の不幸な事故として処理することになった。


「と、とにかくだ。目的は果たした……今日は帰る」


 そう言って、忍は帰っていった。

 ガチャリ、とドアがしまる音が


「やっちまったなぁ……」


 結局、殺人鬼を野放しにしてしまった。

 グズグズせずにLINEとかで鈴音に連絡しておけばよかったのだろうか?

 そんなことを思っても後の祭りというものだ。


「けど、過ぎ去っちまったものは仕方ないよな、ウン」


 やっちまったことはもう取り返しが付かないのである……キリッ、みたいな。

 こうやって悪ははびこるのだ……

 もっとも、忍が「悪」かと言われるとかなり悩ましい。

 間違い無く人類の「敵」ではあるのだろうが、


「好きでああなった訳じゃないんだもんな」


 彼女の毒性は紛れもなく致死性であることもまた、事実だ。

 存在するだけで、この社会を蝕んでしまう。


「鈴音にバレたら殺されるな」


 進がトラブルに首を突っ込むのを嫌う彼女がこの事実を知れば、おそらくただでは済むまい。

 物理的に血の雨が降る。


「せめてうまくやれって言ってもな……」


 しかしそれは、人が死に続けることに他ならない訳で。


「あーもう、やめやめ。こういうシリアスは似合わねーぜ」


 がしがしと頭を掻きながら、ソファーに寝っ転がった。

 葛城進は探偵である。

 金にがめつくちゃらんぽらんで、のらりくらりとこの世界を生きている。

 だから、この手の深刻な話題はさっさと忘れるに限るのだ。

 どっちみち、もう二度と会うことは無いのだから。


「――少なくとも、あいつに死ねとは言えそうにねーな」


 ぽつりと、自分以外誰もいない事務所で、進は呟いた――







 そして、翌日。


「コーヒー飲むか?」

「うむ、貰う。練乳をたっぷりとな」

「んなもんウチにゃねーよ」

「なんと、ではコーヒーはどうやって飲むというのだ?」

「そりゃあブラックだろ」

「アレのどこがいいのだ。せっかくのいい匂いも強烈な苦みで台無しになってしまうではないか」

「その苦みがいいんだろうが。長時間の張り込みでも一口飲めば気分がリセット爽快だぜ。練乳なんてかけちまったら、それこそコーヒーの良さが台無しだね」

「おまえの話はいまいち納得出来んな……まあいい。じゃあ砂糖とミルクをたっぷり入れてくれ」

「へいへい。贅沢なやっちゃな」


 よくかき混ぜても若干粒子が残るくらいの量の砂糖をぶち込み、コーヒーミルクも4つ投入する。

 ――いくら甘党っつても、これくらい入れればさすがの甘さにひっくり返るだろ。

 そんな黒い企みを隠して、マグカップを渡す。


「うむ」


 こくりと頷くと、何食わぬ顔で飲み始めた。

 ひっくり返る様子は無い。


「大丈夫なのか? 俺が飲んだら舌が麻痺するくらいの量入れたんだが」

「まろやかさが足りんが、甘さは丁度良いな」

「……マジデスカ」


 恐るべし甘党。

 戦慄しながら、進はもう片方のソファーに腰掛ける。

 ともあれ、穏やかな午後の時間だった。

 猫探しの報酬も入ったし、今月の財政難も乗り切ったと言っていい。

 あー極落極楽――


「待て」

「む?」

「なんでおまえ、ここにいんだ?」

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