第10話 マナー違反には罰則を

「殺すより難易度高くないですかねそれ」


 殺すのならば決着が付いた段階で一安心だが、生け捕りの場合は引き渡すまで心が安まらない。


「でもなんで俺なんです? そっちにゃ沢山人手あるでしょ」

「使える駒は多いのに越したことはねえだろ。こう見えても、おまえの腕は買ってるんだぜ? 人格はともかくな」

「ヤクザのあんたに人格云々を言われるなんて、何の冗談です?」


 周りを固めているスーツ男達の殺意が一気に高ぶり、その中の一人が拳銃――マカロフを抜いた。

 俺の趣味じゃないな――とか呑気なことを言っていられない。

 進は異能力を持っていないただの人間だ。


 眉間を撃ち抜かれれば、その段階で永遠の眠りに付いてしまう。

 内心どうしたもんかと思っていると岸島がゆっくりと立ち上がった。

 もしや岸島直々に始末するつもりか――と思った瞬間、岸島はマカロフの銃身を掴み、スーツ男の顔面に拳をめり込ませた。

 一撃では終わらせず、何度も何度も拳を叩き付ける。


 ばき、という乾いた音が、そのうちぐしゃりという湿り気の帯びた物へと変わっていく。

 カーペットに血が飛び散り、進は顔をしかめた。

 血のシミは中々落ちないのだ。


「俺に恥をかかせるんじゃねえダボハゼが!」


 サングラスと顔面が一心同体になって虫の息になったスーツ男にぺっと唾を吐き、岸島は再びソファーに座り直した。


「悪いな。ウチは手の早いヤツが多くてよ」


 でしょうね、とは言わないでおいた。


「それで、報酬は? こっちもボランティアじゃないんでね。それもあんた達からの依頼だ……ちゃんと貰うものは貰いますよ」

「相変わらず足下をみやがるなおまえは」


 岸島は不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「俺は報酬の高さによって探偵能力が跳ね上がるってことは、岸島さんは知ってますよね?」

「報酬次第で簡単に裏切ることも知ってるぜ」

「そりゃ昔の話ですよ。今じゃ、契約は絶対に守る探偵としてご近所さんから評判ですからね」

「そうかよ……まあ報酬の方だが、成功報酬はこんなところだ」


 おいと側にいた黒スーツに声をかけると、彼はテーブルにアタッシュケースを置いて、中身を見せた。


「おお……」


 中にずらりと並ぶは福沢諭吉の肖像。

 報酬は一千万は確実ということか。

 手を延ばすと、ひょいと避けられた。


「前払いじゃないんですか?」

「失敗したヤツにくれてやる金なんかねえ」


 なんつーケチっぷりだ。

 進が岸島とお近づきになりたくない理由の一つがこれだったりする。


「……分かりました。その代わり、成功したらちゃんと払ってくださいよ」


 進の言葉に、岸島は意外そうに目を見開いた。


「驚いたぜ。てっきり一時間はごねると思ってたのによ」

「今回ばかりは、成功率がメチャクチャ低いですからね。そこんところは理解してくださいよ」

「そうかい。せいぜい期待して待ってるぜ」


 岸島はそう言って、事務所から去って行った。


「ふー……」


 ズルズルと、ソファーからずり落ちる。


「緊張したー……あの人マジでおっかないから嫌なんだよな」


 知り合って随分経つが、未だにあのは虫類じみた目に睨まれると身がすくむ。

 冷や汗を拭っていると、抗議するようにソファーの内側からガンガンと叩かれた。


「やべ、すっかり忘れてた」


 クッションを持ち上げると、そこには不機嫌極まりないとばかりに睨み付けてくる忍の姿があった。


「えーっと……居心地はどうでした?」

「最悪だ馬鹿者。一度入ってみるか?」

「大家さんが来る度に入ってるから遠慮しとく」

「……そんなに、金がないのか?」


 なぜか忍に哀れみを込めた目で見られた。


「探偵ってのは不安定な仕事だからな。けど、仕事によっちゃすげえ額が入るんだぜ」

「なるほどつまり――今日みたいな依頼、とかか?」

「あー……まあ、間違っちゃいない」


 猫探しや浮気調査より、この手の裏の仕事の方が遙かに儲かる。

 その代わりに被るリスクも遙かに大きい。

 例えば、目の前にいる殺人鬼がずももと殺意を放出している、とか。


「ま、まあ落ち着けって。そもそも本気でとっ捕まえるつもりだったら、岸島さんがいるときにソファー丸ごと引き渡せばいい話だろ?」


 しかし結果はご覧の通りだ。

 ソファーも忍も、事務所にいる。


「そう言えばそうだな……もしかしておまえはアホなのか?」

「せっかく助けてやったのにひでぇ言い草だなオイ。つーか、おまえも見境なさすぎるんだよ。なんでよりによってヤクザ殺したんだ?」

「まあ一般人殺すよりはマシかなーと思っただけだ」

「どうしても殺してしまうのならば、せめて悪人っぽいヤツを殺そうってか?」

「いやいや。何回か殺していて気付いたんだ。おや、この手の人間を殺すとニュースになりにくいな……とな」

「ああ、そういう……まあ、岸島のとこはシャブも扱ってるゴリゴリのヤクザだから、一般人殺すよりは色々な意味でマシではあるんだがな。けど、ああいう輩ってのは面子をすっげー重んじるんだぜ? 組員に手を出したら、それは組全体への挑戦ってことになっちまうんだな」

「なんと。非常に面倒くさいな」


 うげっと忍は顔を顰める。


「しかしシャブか……とんでもない奴らだな」

「どういうこった?」

「うむ。シャブというのは薬物だろう? そんなものを流通させるのはダメじゃないか」

「……お、おう」


 意見自体は間違っていないのだ。

 ただ、その発言をしているのが殺人鬼と言うだけで。


「おまえの倫理観って、イマイチ謎だよな……」

「むう、そうか?」


 殺人を行うことに一切合切躊躇いが無いクセに、そこだけは普通の感性を持っている。

 その矛盾に気付いているのかいないのかは、まだ分からないが。


「しかしどうするんだ。せっかくのチャンスをフイにして、結局振り出しに戻っただけじゃないか」

「まあ依頼は引き受けるっちゃ引き受けるけどな。まだ、俺は依頼を一つ終わらせてねーんだよ。だから岸島のはその後だ」

「依頼?」

「猫探しだよ。昨日おまえに邪魔されたヤツ」

「ねこさがし」

「つーわけで、今日はもう帰れ。この仕事を完遂しねーと、家賃払うこともマズくなっちまうんだよ」


 そう言う訳で、事務所に鍵をかけて外へ出たのだが、


「……なんでついてきてんだよ」

「ダメなのか?」


 当たり前のように進と並んで歩いている忍は、こてんと首を傾げた。

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