第9話 招かれざるお客様

「断定したって事は、一度そうなったこともあるってことだよな……」

「ああ。一度この衝動は気のせいで、我慢できたらなんとかなるんじゃないかと思ったんだ。で、気付いた時には、見知らぬ死体が十体くらい転がってた」

「っ……」


 衝動が沸き起こってしまえば、人を一人殺すまで衝動に苛まれることになる。

 それを拒絶すれば発狂して、見境無く殺戮をばら撒く殺人マシーンと化す。


「ちなみにおまえを異能者だって知ってるヤツは?」

「秘密にしてるから、多分いないな。異能のオンオフはできるんだが、衝動ばかりはどうしようもない」


 忍の表情からは、特に悲観の色は見られなかった。

 その姿は、自分に課せられた呪いじみた異能を、受け入れているようでもあった。


「罪悪感とかは、ないのか?」


 このタイミングでこの質問は、割と最悪な部類に入るだろうが、聞かずにはいられなかった。

 忍は特に不機嫌になった様子も無く、首を横に振った。


「ないな、まるで。そんなもの抱いたって無意味だ」

「無意味って」

「無意味だろう。どんなことをしても、結局人を殺すことは避けられないんだぞ? あまつさえ、気持ちいいんだ。人を殺したときはな」

「マジかよ……」

「言っただろう。食事、とな。食べた物が美味いと思えば快楽を感じるだろう? それに、おまえは食事をするときに罪悪感は湧かないのか?」

「あん?」


 投げかけられた質問に、自分の私生活を振り返る。


「……確かに、ほとんど湧かねーな」


 いつも何気なく食べているものにも、かつて命はあったのだ――なんてことはほとんど思わない。

 指摘されなければ、忘却していたものだった。


「だろう? いくら命の大切さとか、感謝していただきましょうとか言われたって、結局それは食う側――殺す側の詭弁だ。バカバカしい」


 忍はそう吐き捨てた。


「まあ確かに。どう飾り立てたって、家畜たちからすりゃ死ぬって結末は変わりないだろうしな。つっても、食わなきゃ死ぬだろ? 動物だろーが植物だろーが、人間はそいつらの命を食って生きてるわけで――」


 はたと気付く。

 自分の言葉は、忍のと大して変わらないということに。

 人間は生きるために他の生物を食う。

 忍は生きるために人を殺す。


 対象が違うだけで、やっていることはまるで変わっていない。

 人間にとって都合が良いか悪いかが違うってだけで。


「はっ、なるほどな。よーくわかったよチクショウ」


 忍は外れている訳でも狂っているのではない。

 異質なのだ。

 他の人間と決定的に違う部分があって、当人はそれが普通であると受容している。


 食物連鎖の頂点は人間だと主張する連中がいたが、あれは嘘だ。

 少なくとも人間の上には、黒猫忍がいる。

 人類の天敵と言う言葉は、目の前の少女に最も相応しい称号なのかもしれない。


「……けど、少し安心したぜ」

「む、どう言うことだ?」

「おまえが、悪意で動いてる訳じゃねーってことだよ」

「それもただの気休めで詭弁じゃないか」

 眉を潜める忍に、進は肩をすくめてみせた。

「そういう言葉遊び、俺は嫌いじゃなのよね。何より気が休まるからな」


 忍はぱちぱちと目を瞬かせていたが、やがてぽつりと呟いた。


「おまえ、変なヤツだな」

「よく言われるけど、殺人鬼にゃ言われたくねーな」

「はは、確かにそうだな」


 くすりと笑う忍に、進も釣られて笑みをもらす。

 昨日からは考えられない穏やかな時間が流れて、


「……じゃあ死んでくれるな?」


 昨日みたいに振り出しに戻った。


「ちょっと待てその理屈はおかしい」


 待ってましたとばかりに立ち上がる忍を手で制す。

 何流れで人を殺そうとしてるんだおのれは。


「どこもおかしくあるまい? 私は殺人鬼だが、一応は普通の人間として生きたいなーと思っているのだ。その障害になるのならば、衝動関係なしに殺すさ」

「おまえ凄まじく身勝手なこと言ってんの分かってる!?」

「身勝手で結構。そうでなくては殺人鬼などやってられるか」


 あかんあかん目がマジだ。

 ここは事務所で出口は忍の向こう側。

 逃げ場はない。


「お、落ち着けって。話せば分かる」

「話しただろう? 分かっただろう?」

「おまえのことはよーく分かった。けど俺が死ぬっつーのはどう考えたって別問題だろうが!」

「なに心配するな。私は一撃で殺すことをポリシーにしている。苦しみを感じる前に死ねるぞ」

「死ぬ事象そのものが嫌だつってんだろうがー!」


 ああ神様仏様。

 よいではないかよいではないかと殺そうとしてくる殺人鬼から、我を救いたまえ――

 その祈りが通じたかのか定かではないが、外からエンジン音が聞こえてきた。

 それは徐々に近づいていき、やがて真下で音は止む。


「ちょ、ちょっとタイム」


 ソファーから立ち上がって窓の方へ向かい、下を覗き込む。


「げっ」


 葛城探偵事務所が中にある雑居ビルの前に停まっていたのは、黒塗りの高級車。


「おお、凄いなベンツだぞ。長いベンツだ」


 ついさっきまで進を殺そうとしていた忍も、進の横に立って車を見下ろしている。

 あまり見たことがないのか、ぴょんぴょんと体が跳ねていた。 


「おまえ、車体が長いヤツ全部ベンツだと思ってないか?」

「む、高いのは全部ベンツだろう?」

「車好きには絶対言うなよその言葉」


 とは言え、進も車に詳しいわけではないのだが、この車に乗っているのが誰かは分かる。

 答え合わせとばかりにドアが開き、中から黒いスーツを着た厳つい男達が出て来た。


岸島きじまか……」

 

 げんなりと嘆息する。


「なんだそいつは」

「ヤクザ」

「なんと。反社か」


 むっと忍が眉を潜める。

 ヤクザ以上に反社会的な殺人鬼がしていい表情かと言えば微妙な所だが、このまま忍が事務所にいるのはよろしくない。

 いきなり殺人鬼とバレることは無いが、ヤクザと鉢合わせなんてことになったら面倒事になることは想像に難くない。

 なにより車から出て来た連中は、ここからでも分かるくらい殺気立っていた。


「帰らせる……のは無理だな。てこたぁこいつの出番か」


 そう言って、ソファーのクッションを持ち上げる。

 その中から、丁度人一人収納できそうなスペースが現れた。

 本来であれば、お酒や日用品を収納できるというものだが、非常事態(主に大家サマの家賃催促)を想定してこのスペースは空にしている。


「おお、秘密基地みたいだな」

「いいからに入れ、すぐに出してやっから」


 進が言うと、忍は口をヘの字に曲げた。


「もっといい隠れ場所があるのではないか? 大分埃っぽそうだし……」

「えーいゴチャゴチャ言うな。いいから隠れてろ!」

「うにゃー」


 バタンとソファーの中に殺人鬼を封印する。

 それと同時に、乱暴にドアが開けられた。


「よう、邪魔するぜ葛城」


 五人のスーツ男を引き連れて入ってきたのは、角刈りのコワモテにサングラスをトッピングした中年の男。

 ここまでコテコテのヤクザ面というのも、今時珍しい。

 と、コテコテのチンピラファッションの葛城進は思った。


「どうも岸島さん。ご無沙汰してます」


 二人の関係は極めて複雑――報酬次第で、お互いに味方になることもあればその逆もありえると言ったところか。

 仕事が発生していない今は、ただのご近所さんだ。

 進としては、積極的に付き合いを持ちたくないご近所さんである。


「何か飲みます? お茶とコーヒーがありますけど」

「昆布茶は?」


 ソファーに腰を下ろして、部下に煙草を点けさせながら岸島が問う。


「ありません」

「……ならいい。どうせ長居はするつもりはねえしな」


 若干負け惜しみっぽく聞こえたのは気のせいだろうか。

 まあこんなカタギの対義語みたいな人間達に長居はしてほしくないので、さっさと帰ってくれるのならそれに越したことはない。

 いっそのことほうきを逆さに立ててお茶漬けでも出してやろうか。


「さっそく本題に入るが……殺人鬼って、知ってるよな?」

「ええ、まあ」


 知ってるというかお知り合いというか現在ソファーに封印中というか。


「そいつがどうしたんです」

「昨日、ウチのがやられた」

「……それは、ご愁傷様で」


 ――アンニャロなんつーことしてくれたんだ!

 ソファーを殴りつけたくなる衝動に駆られるが、ぐっとそれを押しとどめる。


「俺達はヤクザだが、ヤクザにはヤクザなりのルールってもんがある。あの野郎はそれを踏みにじった。言いたいこと、分かるよな?」


 サングラスの奥から、爬虫類の如くギラついた瞳が進を捉える。

 進はこくりと頷いた。

 賛同できるかはさておくとして。


「このままじゃウチの面目も丸つぶれだ。そこで、おまえに依頼したい」

「まさか殺人鬼を殺せってんじゃないでしょうね」


 がたりとソファーが動いた。


「……なんだ?」

「鼠じゃないっスか?」


 黙ってろと念を飛ばしたお陰かは定かでは無いが、それ以上物音がすることはなくなった。

 岸島も興味を失ったように話を戻した。


「殺すんじゃケジメにならねえ。生け捕りにしてウチの事務所まで連れてこい」

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