第8話 探偵と殺人鬼の二者面談

 葛城進の朝は早い――って言いたいところだが、探偵という職業に就いているためか、生活リズムはかなり不安定だ。

 特に昨日は、中々に刺激的な夜だったので、目が覚めたのは午前十一時。

 朝飯と昼飯がごっちゃになったので、一食分食費が浮いたとポジティブにとらえておく。


 万年金欠の探偵にとっては、食費はできるだけ削っときたいものの一つだ。

 節約するには自炊が一番という話をよく聞くが、それは自炊をしようという気力と時間を持ち合わせているという二つの条件を満たしていなくてはならないという話は余り知られていない。


 自営業である故に、仕事が無い日そのまま休みになるので時間はあるにはあるが、自炊をしようという気力がない。

 身も蓋もないことを言えば、面倒くさいのである。

 それに、一人で作って一人で食う行為が、どうも好きになれないのだ。


「あーあ、一緒に食ってくれる奴なり作ってくれる奴なりいないもんかね」


 それも無い物ねだりってヤツか、と思いながらコップをぐいとあおる。

 中身は酒――ではなくただの水道水だ。


「にしても、昨日はとんでもないヤツと遭遇しちまったよな……」


 数年前から巷を騒がせすぎて、最早この街に溶け込みつつある殺人鬼。

 その正体は聞いて驚け、とんでもない美少女だった。

 てっきりメスを持ったイカれ野郎かと思ったんだが、あるんだなそんな二次元めいた展開。

 とは言え、善良なる市民としてはやはり通報するなりなんなりした方がいいんだろう。


 五課に所属している以上立ち向かった方がいいんだろうが、さすがにアレは荷が重い。

 異能を持たない進が、五体満足で生き残っただけでも上出来というものではないだろうか。


 近年頻発している異能犯罪に隠れてはいるが、彼女の手によってコンスタントに人が殺されているこの現状を、止めるか否かと問われたら止めた方が言いに決まっていることくらいは分かるのだが。


「ま、一応切り札はあるんだよな」


 進のスマホには殺人現場の映像が残っている。

 事務所に逃げ帰った後確認したら、殺人鬼の声と顔もばっちり写っていた。

 位置情報も現場と重なっている。

 これを警察に届ければ殺人鬼を引っ捕らえることもできるだろう――彼女が余計な抵抗をしなければ。

 抵抗したならば、殉職者が二、三人発生しそうな気がする。


「まあ、抵抗しそうだよなあ……あの様子じゃ」


 今まで殺人鬼の素顔を捉えたメディアはなかったのだから、仮に捕まえられなかったとしても大きな進展があるのは間違いない。

 ネットにバラまいても、一定の効果はあるだろう。


 しかし進は、昨日からその映像を眺めているだけで何の行動も起こしていない。

 いつの間にやら事務所の壁に設置された時計の短針は午後の四時を指しているが、この前入ったペット探しの依頼も進んでいない。


「そもそも苦手なんだよな猫探し。あいつら軽々と塀越えちまうし、狭い場所に潜り込むし」


 第一、進を見ると逃げるし、触ろうとすると引っ掻いてくるのだ。

 どうも自分はは猫から好かれない星の元で産まれたとした思えない。

 けれどとっ捕まえないと金が入らないのだから、捕まえるしかない。

 この世の無情を噛みしめていると、ピンポーンとインターホンが来客を告げた。


「開いてますよー」


 ガチャリとドアが開く音がするが、足音が妙に聞こえづらい。


「えー、それで何の依頼で――」


 振り向いて、進はそのままフリーズした。


「また会ったな。探偵」


 来客は、昨日会ったばかりの殺人鬼だった。

 その身に包んでいるのは、水浜第二高校の制服。

 共学に分類されるにもかかわらず、男女比は脅威の1対859という、実質女子校と化している学校だ。


 その中に飛び込んでいた一人の男子生徒には勇者の称号を与えてやりたいというのはさておくとして。

 子どもだとは思ってたけど、まさか本当に女子高生だったとは。

 制服と武器の組み合わせっていいよな。

 日常と非日常のマリアージュってヤツさ――なんて思考を明後日の方向に働かせつつ口を開く。


「よくここが分かったな……探偵の才能があるんじゃねーか?」

「いや、おまえに渡された名刺を友人に見せて調べて貰ったのだ。そうしたらここに全く同じ名前の探偵事務所があると教えてくれてな」


 意外な真実。

 どうやら殺人鬼には友達がいるらしい――って今はそっちじゃなくて。

 最近は個人情報保護のために名刺は必要最低限の情報しか書いていない場合が多い。


 進の名刺も、探偵事務所と自分の名前と、仕事用の電話番号しか書いていない。

 それだけで場所を特定することは不可能――という訳では全然なく、葛城探偵事務所と撃ち込めば真っ先にホームページが表示されるので、地図アプリを使ってここまで来ればいいのである。


 本来であれば客がスムーズに来れるようにするためなのだが、このように招かれざる客も来てしまうことは避けられないということか。


「へえ……随分と優秀なお友達だな」


 無論皮肉である。


「うむ、そうだろう」


 皮肉を物ともしていないのかそれとも皮肉とすら認識していないのか、殺人鬼はふふんと胸を張っている。


「えーっと、何の用だ? 悪いが今日は依頼が先に入ってるから、仕事はそれが終わってからにしてくれよ」


 あくまで客として接してみる。


「じゃあおまえの命をくれ」

「それは我が事務所では取り扱っておりません。つー訳で帰ってくれ。シッシッ」

「帰れるか。あの動画を消せ、もしくは死ね」

「動画を消したらどうする?」

「殺す」

「結局死ぬんじゃねーか!」

「顔を見てしまったのが不幸だったな。だがあんな所に飛び込んでくるのも悪い。そうは思わんか?」

「殺人鬼に説教垂れられるとは光栄だね……」


 マキシム9がしまってある机の引き出しに手をかけて、とどまる。

 こんな所でドンパチはNGだ。

 進の事務所は賃貸なので、傷つけられるといくらふっかけられるか分かったもんじゃ無いし、事故物件にされたら大家さんから大目玉を食らう。


「……オーケイ。まず話し合おう。理解は対話によって始まるもんだ」

「私はおまえを理解したいとは思っていないんだがな」


 何事も話し合いで解決するが一番だけど、相手がそのテーブルに着いてくれなきゃ何の意味もないという典型例を見せられている。


「まあそう言うなよ。人生は長いんだ。これくらいの寄り道は誤差の範囲内だとは思わねーか?」


 自分のペースに乗せるべく、進はソファにどっかりと腰を下ろして、殺人鬼に対面のソファに座るよう促した。


「……」


 殺人鬼は釈然としない面持ちだったが、やがてソファーに腰を下ろした。

 さてまずは何を話したもんか。

 ここは定番に自己紹介といこうと口を開く。


「俺の名前は葛城進。歳は二十四で職業は探偵だ」


 殺人鬼はしばし渋っているようだったが、やがておずおずと口を開いた。


「……黒猫、忍だ」

「くろね?」

「黒い猫とかいて、くろだ。水浜第二高校の一年。帰宅部」


 高校は制服から察していたが、随分珍しい苗字だ。


「……」

「……」


 再び流れる沈黙。

 ケッコー気まずいぞ。

 第一ほぼ初対面みたいなもんだから、とっかかりが欲しい。

 せっかくだから、ここでしか聞けない独占情報を聞いてみるとしよう。


「なんで人を殺してんだ?」

「?」

「殺人という結果は同じでも、そこに至るまでの過程は色々あるだろ。怨恨とかテロリズムとか快楽とかさ」


 この職業では、人殺しと巡り会うことも多い。

 そいつらは色々な動機で殺人を犯していた訳だが、殺人鬼――忍はそいつらとはどこか違う気がしているのだ。


「ふむ」


 忍はしばし天井を睨んで言った。


「快楽に近しいものだが…食事、だな」

「食事ィ? でも、おまえが殺した奴の体には致命傷以外の傷がないって言うじゃねーかよ」

「そういう意味じゃなくてなんて言うか……人間は何か食べないと死んでしまうだろう?」

「まあそうだな」

「そういうことだ」


 意味が分からない。

 忍の中では明確な方程式が出来上がっているのかもしれないが、進としてはちんぷんかんぷんもいいところだ。

 それでもなんとか頭を回転させて、自分でもにわかには信じがたい仮説を口にする。


「……つまりなんだ、おまえは人を殺さないと死ぬってのか」


 こくりと忍が頷いた。

 にわかには信じがたい。

 だが目の前にいる少女が、嘘を付いているようにも見えなかった。


 病気――ではないのだろう。

 そんな症例がある病があるのであれば、今頃世界は大騒ぎだ。

 文字通りの殺人ウィルスということになってしまう。


「ウィルスじゃないとすれば、精神病か?」

「私も以前はそう思ったんだがな。診察を受けてみても『異常なし』としか結果が出なかった」

「それっておまえを診察したのが揃いも揃ってヤブ医者だったってオチじゃねーのかよ?」

「五件も回ったんだぞ。ヤブ医者というものはそんな頻繁に転がってるものなのか?」

「確かにそこまでゴロゴロしてるとは思いたくねーな……」


 普通の病気でも精神病でもなければ――


「……異能」


 黒猫忍は異能者である。

 異能の中には宿主の精神を変質させるものがあるが、忍もそのパターンなのだろうか。


「私の異能は、他の人より運動神経や五感が発達していることだな。爪を伸ばして壁や天井に張り付くこともできるぞ」

「なるほどね……」


 すごいことにはすごいが、やっぱ『異能』と言うには随分と地味な力だなーと思ってると、


「むっ、今地味だと思っただろう」


 忍はじとっとした目で進を睨んだ。


「ふっ何のことやら。俺は近年著しい物価高を嘆いてただけだぜ」

「ダウト。心拍数が僅かに上がってるぞ」

「……マジか。天然の嘘発見器じゃねーか」


 強化された聴覚で感じ取ったのだだろうか?


「嘘だ。さすがにそこまでの聴力は持っていない」


 いたずらっ子のように笑ってみせた。


「んだよヒヤヒヤさせやがって」

「まあ、マヌケは見つかったがな」

「……」

「そりゃあ火をぼわっとするとか重力を操るとか、そういうのに比べたら地味だろうがな。だがこう言うのは見栄えより実用性の方が大事だろうに」


 忍はいじけるように、ふんと鼻を鳴らした。

 容姿がは大人びているが、動きがいちいち子どもっぽくて少し可愛らしい。

 けど、尚更分からなくなる。

 話せば話すほど、黒猫忍という人間はただの女子高生であり、殺人鬼とは思えないのだ。


 昨日の動画も、何かの間違いなんじゃないかと思う程に 

 世の中には自分の内側にある狂気を隠して生きているような、そんな人間もいる。

 だが忍は、そうは見えないのだ。

 心のどこかが破綻しているようには見えない。


「とまあ、私の異能は結構便利なんだが、副作用があってな……不定期に殺人衝動が湧き上がってしまうのだ」


 何気ない口調で、忍は自信の異能の利便性を台無しにしかねない爆弾を投下した。


「……マジか」


 うすうすそうなんじゃないかとは思っていたが、本人の口から実際に聞くのでは重みがまるで違う。


「ああ。マジもマジだぞ。これが少し厄介でな、人を一人殺すまで衝動は決して収まってくれないんだ」

「我慢することは出来ないのか?」

「無理だな。少なくとも、私は我慢したくない」


 きっぱりと忍は言い放つ。


「最初は少しイライラするくらいなんだ。けど時間が経つと頭が痛くなって体が痺れてきて、妙に空腹になって最終的には――」

「最終的には?」

「発狂する」


 淡々と、忍は自分が辿る結末を口にした。

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