第7話 すれちがい

「う、うぅ……」


 授業前の賑やかな喧噪の中、忍は一人机に突っ伏しゾンビの呻き声みたいな音を口から垂れ流していた。

 華のJKが出してはいけない音であると思うが、状況が状況なので仕方が無いというものだ。


「スタングレーネード……あれはよくないものだ……」


 探偵に何気なく渡されたスタングレネード。

 爆発の瞬間投げ捨てようとしたが焼け石に水。

 異能で鋭敏になった耳と目にモロに食らった忍は、しばらくその場でのたうち回るハメになった。


 仮に取り押さえられたら猛然と反撃してやろうと思っていたが、探偵はそんなことをせずにすたこらさっさと逃亡したようだった。

 スタングレーネードの轟音で野次馬が集まる前になんとかアパートに逃げ帰ったが、一晩経った今でも、スタングレネードの余波は残り続けていた。


 失明や鼓膜破壊みたいなことにならないだけまだマシかもしれないが、それでもキツいものはキツい。

 そして何より、忍にはそれすら些事と切り捨てられるレベルの事態が立ち塞がっていた。


「……見られた。そして逃げられた」


 細心の注意を払って人を殺している忍だが、ミスをしてしまうこともあるにはある。

 殺人現場を誰かに目撃されるのも昨夜が初めてという訳では無い。

 それでも殺す人数が増えただけで済んでいたのに、今回は逃げられてしまったのだ。


 しかも、動画という特大の証拠を手に。

 今の所、裏路地での殺人は表沙汰になっていない。

 だが忍が現場にいた写真だか動画は、あの忌々しいチンピラ探偵の手の内にある。

 探偵が上司に報告するかもしくはネットにばら撒かれれば、忍は終わりだ。

 あの動画はそれだけの殺傷能力がある。


 直接殺人を撮ったものではない――が、あの現場に黒猫忍という人間がいたと言う情報そのものが致命的なのだ。

 忍が住むアパートに警察の人間が令状を手にドカドカ入ってくる光景を想像して、ぐえっと喉から変な音が出た。

 サバイバルナイフが見つかったら大事だ。


 今も忍愛用のナイフは、腕のホルスターに収めているが……他の隠し場所も検討していく必要がありそうだ。

 他にも見つかったらマズいのは、普段着も兼ねているパーカー……は、映像に映っていたので逆に持っていないと怪しまれる。

 後は薫から借りた、年齢制限ちょい高めな書物くらいだが……ああ言うのは年齢が満たされていない状態で所持していたら罰せられるのだろうか?


「どうなんだろう……所詮本だしなあ……でも十八禁って書いてあったし……っていかんいかん」


 今は美少年同士が絡み合う耽美な書物のことよりも、あの探偵のことだ。


「……」


 あのへらへらした男は、ただ者ではない。

 思い返してみれば、殺せるタイミングはかなりあった。

 しかし殺せなかった。

 心の奥底で、忍は殺したくないと思っていた……なんてことは全然無く、殺る気満々であった。

 それでも殺せなかったということは、つまりそういうことなのであろう。

 さすが異能狩りのスペシャリストと言われる警視庁捜査五課に所属しているだけある。


「しかしあいつは結局どっちなんだ? 探偵なのか警察なのか……」


 民間所属ということは知らないため、忍はうむむと混乱しそうになる。

 まああの男が何者だろうと、状況は忍にとってあまりにも不利だった。

 もしかしたらこの瞬間でも、件の動画が公開されているかもしれないと思うだけで、心臓を死神に弄ばれている気分になる。


 本当であれば学校に行きたい気分ではなかったが、怪しまれる要素は極力減らさなくてはならない。

 ああ本当にどうすれば――と思っていると、


「おはよう、我が友よ」


 聞き慣れた声音だったが、口調は聞き慣れないものだった。

 元ネタは不明だが、ヘンテコな声真似のように忍は聞こえた。


「ああ……なんだ薫か」


 顔を上げてみると、やはり我が友黛薫であった。


「なんだいなんだい。扱いが雑だぞう……って、本当にどうしたの? なんかすごい調子悪そうだけど」


 おちゃらけた様子から一転、心配そうな表情になった。


「ああ、ちょっと色々あってな」


 まさか至近距離でスタングレーネードを食らいました、なんて言えるはずもなし。


「ふうん、色々かぁ……」


 ひょいと薫は忍の顔を覗き込んできた。

 栗色の瞳に、ぐったりしている自分の姿が映り込む。


「ははーん。分かっちゃったぜ。忍の悩み」


 ぱちんと指を鳴らして薫は続ける。


「ずばり、男ですな」

「……」


 全然違う……と否定しようとしてはたと思い出す。

 なぜ忍がスタングレーネードの余波に苦しんでいるのか。

 なぜ忍が愛する日常の終わりにびくびくしているのか。

 それもこれも、全て葛城進という一人の男に収束している。


「まあ、そんなところだ」


 それ以上は考えもせずに返答する。


「えっ、ま、まじっすか」


 薫は目を見開き、あごをかくーんとさせた。


「なんだその反応は」

「い、いやあ。嘘から出た真と言いますか、やぶへびと言いますか……ちなみにどっち? 二次、三次?」


 これは対象が二次元の存在か三次元の存在かと言う問いなのだろう。


「まあ、三次元だな」


 少なくとも葛城進は平面ではなかったし、イラストでもなかった。


「そ、そうかー……忍にも春がやってきたかぁ……」


 妙に遠い目になって薫は言った。

 季節は梅雨に差し掛かろうとしており、春どころかそれを通り過ぎて夏がやってきそうな勢いなのだが……

 自分の発言を振り返る気力すら、今の忍には残っていない。


 朝食を納豆ご飯のみで済ませてしまった程だ。

 普通であれば何か一品作るところなのに、インスタントのお味噌汁にお湯に注ぐのも億劫だった。

 その事象で、忍は自分が心身ともに追い詰められているということを自覚した。


「で、で? どんな人?」

「何がだ」

「惚けちゃってこのォー、その男の人がどんな人なのかってこと」

「気になるのか?」

「すっごく。だって二次元の男にしか興味示さなかった忍が三次元の男に興味を持つって、ある意味赤飯ものだよ」


 なんかとんでもない風評被害がもたらされる予感がした。


「失敬な。ちゃんと三次元にも興味あるぞ。声優さんとか俳優さんとか」

「それを三次元と言っちゃうのは……まあいいや。それで、どんな人なの?」


 言っていいのだろうかと一瞬迷ったが、相手はただの人間である。

 別に問題はないだろう。


「髪が赤い」

「ほう」

「服も赤い」

「服も? どんな服?」

「スカジャン」

「ほーう。顔は」

「イケメンとまではいかないが、そこそこ整っていたな。いかつい見た目だが顔立ちは結構普通というか」


 あれで顔まで凶悪だったら凄まじいことになっていたろうが、やや幼さが残った顔立ちのお陰で、どこか憎めない小悪党みたいな印象に仕上がっている。


「ふぅーん……忍ってそういう人がタイプなの?」

「タイプ?」


 なんでそういう話が出てくるのだろうかと首を捻る。 


「別に。そう言う訳ではないが……気になるんだ」


 奴がいつ動画をばら撒いてしまうのか。


「そうかあ……気になるかぁ……」

「とにかく、奴ともう一度接触したいんだ」

「そして自分の思いを伝える、と」

「そうだな」


 死ね、という思いと共にナイフの一撃をお見舞いしなくてはならない。


「ふーむ。のんびりお昼寝娘の忍にここまで言わしめるとは……おそるべしちょい悪お兄さん」


 忍にとってはちょい悪どころか極悪野郎なのだが、訂正するのも面倒なのでそのままにしておく。


「手がかりとかないの? 貰ったものとかさー」

「貰ったもの……」


 それこそスタングレーネード――だが、あれは投げ捨てたので持っていないし、そんなものが手がかりになるはずもなし。

 八方塞がりか――と思った瞬間、


「あ――」


 ひとつ、忘れていることを思い出した。

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