第4話 猫探しと殺人鬼

 葛城進は探偵である。

 異能者と命がけの戦いを繰り広げる捜査五課に所属はしているものの、優先度が高いのは本業である探偵の仕事だ。


 家事手伝いからヤクザの抗争の仲裁まで、金をくれれば基本的になんでもする進だが、その中でも苦手なものがあった。

 それが猫探しである。


 犬探しならまだいいのだ。

 野良犬がいるという目撃情報はすぐに手に入るし、サイズもそこそこなので捕まえることも容易である(たまに手痛い反撃を食らうこともあるが)。


 が、猫は野良猫はそこそこいるので目撃情報を絞りにくいわ、小さいわすばしっこいわ、進が通れないような細い道に逃げ込むわでいいところが一つも無い。

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの法則で、探偵になってから猫探しどことか猫そのものまで苦手になってしまった。


 これも一種の職業病と言っていいかもしれない。

 しかし悲しいことに、猫探しは進が経営している葛城探偵事務所で一番依頼数が多いのだ。


 食っていくためには引き受けざるを得ない。

 そんな訳で聴き込み調査や野良猫の溜まり場を見て回り、ようやく目的の猫を見つけることには成功した。

 しかし敵もさるもの、進の姿を目にした途端猛スピードでこの裏路地へと逃げ込んだのである。


 やっとの思いで追いついた―と思ったら、標的は一人の少女に抱きかかえられていた。

 フードを被っていて顔はよく見えないが、そのシルエットから女性であることは判別できた。


 さっきの言葉絶対聞かれたよなーと少し恥ずかしくなったが、視線を横にスライドさせた瞬間、そんな些末な羞恥心はいとも簡単に吹っ飛んだ。


 死体があった。

 いかにもヤクザでございと言った風体のスーツ男が、首から血を流して、死んでいる。

 別に動揺している訳ではない。

 死体そのものを見て動揺するには、進はあまりにもそれを目にしすぎていた。 

 身も蓋もない言い方をすれば、見慣れていた。


 麻痺していると言ってもいいだろう。

 だが――死体の側で猫と戯れている少女は全然見慣れたものではなかった。

 まるで死体というイレギュラー極まりないものが、道ばたに転がっている石ころにでも見えているかのよう。

 何より、男は頸動脈を切られて死んでいる。


「――っ」


 心臓が跳ね上がり、口の中が急速に乾いていく。

 血塗れの凶器を持っていたり、返り血を浴びていたりしている訳じゃないが、進の頭の中では一つの確信があった。


 ――こいつだ。

 ――こいつが、殺人鬼だ。


 こんな子どもが、とは驚かなかった。

 ちょうど、進がこの手の世界に首を突っ込み始めたのも、目の前の少女くらいの年齢だった。

 そして殺人鬼――忍にとって進は、犯行の目撃者に他ならない。

 是非とも消しておきたい人物だろう。


「……む、なんだおまえは」


 忍は少しハスキーがかった声で、進に問うた。

 猫を抱きしめながらも、こちらを警戒しているようだった。


 ――あれ、ちょい待てよ。


 進の頭の中に、一つの希望的観測が生まれる。

 もしかしてこれ、誤魔化せんじゃね?

 目の前の殺人鬼は、進を目撃者――と言うよりも猫と戯れる時間を邪魔しに来た乱入者と捕らえている可能性が高い。


「あー……悪ィがその猫、渡してくんねーかな。別にそれ以上どうこうするって訳じゃねーんだ」


 目の前の死体なんてこれっぽっちも気にしておりませんよという態度を前面に出しつつ、こちらの要求を口にする。


「断る」


 バッサリ切り捨てられた。


「理由、聞いてもいいか?」


 よしよし、会話は成り立つっぽいぞ。

 そう思いながらポケットからこっそりスマホを取り出す。

 電源ボタンを二度押して、ショートカットでカメラアプリを起動。

 撮影を始める。


「見ろ。この子が怖がっているじゃないか。それだけで充分怪しい」


 随分な言いがかりである。

 仮に猫が年端もいかない女の子であれば、今日が初対面の男に身柄を引き渡そうとは思うまいが、所詮は猫である。


「それに、だ。おまえみたいなチンピラ全開な格好の奴を信用しろというのは無理があるぞ」

「テメッ、言っちゃならんことを!」


 スカジャンは進の魂である。

 人間いつ死ぬか分からないから、常に一番言い服を着ておけ――と言うのは彼の父(サラリーマン。御年五十八)の言葉である。

 令和の世であるのに昭和の香りを漂わせる父親と進は馬の合わないことが多々あったが、この言葉だけは全面的に同意していた。

 その魂を愚弄され、つい頭に血が上ってしまったが、ここで感情的になってしまったら終わりだ。


「少なくともクソ猫呼ばわりする奴にホイホイ渡す間抜けはいないと思うがな」


 非難全開の視線が痛い。


「あー……それはあれだよ、言葉のあやって奴だ」


 んんっと咳払いをして誤魔化す。


「……」


 忍は進と猫を代わる代わる見ていたが、やがて猫を地面に降ろして小さく頷いた。

 猫は頷き返すように頭を動かすと、しゅたたーと路地裏の奥へと走り去っていった。


「あーっ!? おまえなんつーことを!」


 やっとこさ追い詰めたと思ったのに、振り出しに戻ってしまった。

 泡を食って追いかけようとしても、殺人鬼がその前に立ち塞がる。


「悪いが、やはりおまえは信用できん」


 殺人鬼の瞳には、進は猫の安全を脅かす不審者にでも見えているのだろう。

 猫を逃がされたことには非常に腹立たしいことではあるが、忍の気が完全に逸れているのは不幸中の幸いというべきだろう。

 ここはどさくさに紛れて逃げさせてもらおう。


「……わーったよ。今日のところは出直すとするぜ。そんじゃあな」


 手をヒラヒラさせて去ろうとした瞬間、


「……ところで、その写真をどうするつもりだ?」


 どきーんと心臓が跳ね上がる。

 さっきっからさりげなーくカメラで撮影していたのだが、忍にはバレバレだったようだ。


「……一つ誤解がある」

「何だ?」

「俺が撮っていたのは写真じゃなくて動画だ」

「だからどうしたというのだ」


 このようなシチュエーションでは断片的な写真よりも、音や動作が入っている動画を撮影したままにした方が有力な手がかりになるのだ。


「……ああ、なるほど」


 殺人鬼は進と、転がっている死体を交互に見て、ようやく合点がいったかのように、ぽんと手を打った。


「おまえ、目撃者か」

「あー……まあ、見方によってはそういう可能性もなきにしもあらずというかなんというか――」


 のらりくらりと交わそうとしたときには、忍の体は進の目の前に移動していた。

 ようやく、その全貌が明らかになる。

 短く切られた黒髪。

 夜を凝縮させたような瞳には、驚愕する進の顔が写り込んでいる。


 殺人鬼は、超が付くほどの美少女だった。

 凜々しさとあどけなさを内包させたその容貌は、息を飲んでしまうほどの美しさがあった。


 うっかり惚れてしまいそうになるくらいに。

 しかしそんなことを悠長に考えている場合でもないことを、進はもちろん理解していた。


 ――速い!

 殺人鬼の手には、サバイバルナイフが握られている。

 ナイフが月光を反射し煌めかせながら、進の首元へと迫る。


「やっべ……!」


 咄嗟に捕獲網でガードする。

 痺れるような衝撃が網を通して伝わってきた。

 幸い斬撃を防げはしたが、捕獲網にはかなりのダメージが入っており、ばっちり切り傷がついていた。

 ケチって安物を買うんじゃなかったと、今更のように後悔しながら後方へ下がる。


「ほう……今ので大半の奴は死ぬんだがな」


 殺人鬼は感嘆の声を上げながら、こくこくと頷いた。


「残念ながら、俺はその大半の範囲外らしいぜ」

「おまえ、何者だ。ただのチンピラではないことは分かるが……さては、すごいチンピラか?」


 ずるっとひっくり返りそうになった。


「なんだよすごいチンピラって……俺は、こう言うもんだ」


 名刺入れから名刺を取り出して、殺人鬼に投げて寄越した。

 殺人鬼は地面に落ちる前にキャッチして目を通す。


「葛城探偵事務所所長、葛城進……? おまえがか?」


 疑問符に満ちた殺人鬼の言葉には、前後に『その格好で?』という心の声が透けて聞こえてくるようだ。


「まーな。ついでに、こんな物も持ってる」


 畳みかけるように取り出したのは、ダークレッドの警察手帳――特異手帳。

 それを見た殺人鬼は、僅かに目を見開いた。

 夜の路地裏ということもあって、光源は非常に乏しいのだが、離れた距離でも忍は難なく視認できるらしい。


 特異手帳の存在は、警察が大々的に公にしていないこともあって、色々な噂が広がっている。

 噂の中には、これを持ってる人間は好きに人を殺せるというとんでもないものもあるが、無論そんなことはない。


 異能手帳が効力を発揮するのは、凶悪犯罪を冒した異能者に限られるし、万が一手をかけた場合は逐一報告する必要がある。

 仮に関係ない人間を意図的に殺した場合、手帳は剥奪され、最悪同僚である五課の人間に始末されかねない。


 目には目をの法則で、五課の人間はその大半が異能者なのだ。

 まあ進みたいな例外もいるにはいるのだが。


「……おまえも、私を殺すのか?」

「あん? あー……まあ、そうなるな」


 後頭部を掻きながら、進は肯定した。

 殺すか殺さないかで言えば、相手が異能者である場合どうしても後者に天秤が傾きがちになる。

 そもそも殺す気で立ち向かわなければ、死ぬのはこちらなのだ。

 やむを得ない、というとどこか逃げを感じるが、実際その通りなのだから仕方が無い。


「別におまえに恨みがあるって訳じゃない。親しい人間も殺されてねーしな……けど、ここで殺されるっつーのもゴメンなんでね。全力でやらせてもらうぜ」


 人を殺してまで生きたくない――なんて、進は到底思わない。


「ふむ、なるほど」


 殺人鬼は納得したとばかりに頷いた。


「なら、いいぞ」

「?」

「殺していいぞと、そう言ったのだ」

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