第5話 誰でも出来る回避方法

「はぁ?」


 突然飛んできた言葉に、進の目が点になった。


「……違うな、そうじゃない」


 忍は自分の考えていることを言語化せんと、視線をさまよわせながら続ける。


「おまえには私を殺す権利がある」

「まあそうだな」

「私はそれを受け入れよう」

「ほほう」


 殺人鬼にしては随分と潔い。


「だから、私も全力で抵抗させてもらう」

「……はい?」


 なんか風向きがおかしくなってきた。


「おまえも死にたくないのだろう?」

「まあな」

「だがここでおまえを逃がせば、私の愛する日常が奪われる」

「……愛する日常、ね。他人のそれをぶち壊しまくってるクセによく言うよ」

「それを突っつかれると痛いのだが……まあ、そんなわけだ。だから、私もおまえを全力で殺す」


 殺人鬼が地面を蹴った。


「巡り巡ってスタート地点に逆戻りかよ……!」


 なんだったんだ今までの時間――!

 内心毒づきながらも、再び捕獲網を構える。

 殺人鬼は、常に頸動脈を切断して人を殺してきた。

 どのようなこだわりがあるかは進は知らないが、手口が明らかになっている以上、対策のしようはあるにはある。


 首を狙っていることがあらかじめ分かっているのなら、ガードする場所を首に至るまでの軌道上に絞れば良いのだ。

 がぃん、と、再び進の体が衝撃を襲う。

 ちょっとした鈍器で殴られたみたいだ。


 忍はナイフを突き出す際に、スナップを利かせて繰り出している。

 どこか既視感があると思ったが、すぐに思い出した。

 配信サイトにアップされていた動画で、猫が前足で獲物を仕留めるときによく使っていたものだ。

 通称、猫パンチである。


「猫だとそこそこ可愛げがあるんだろうけどよぉ……人間がやるんじゃ、たただた恐怖だろコレ」


あのスナップが、威力と速度を底上げしていると見て間違いない。


「なら!」


 顔面目掛けて回し蹴りを繰り出そうとした瞬間、殺人鬼の体が視界から消える。


「何……!?」


 どこだ。

 どこに消えた?

 まさか瞬間移動……というのは考えすぎだ。

 視線を落とすと、腰を落としながら反撃を加えんとする殺人鬼の姿があった。


「くそっ」


 刃が煌めく。

 進は捕獲網を棒高跳びの棒に見立てて地面を蹴った。

 直撃こそ避けられたものの、ナイフが打つかった衝撃と共に、バランスを崩して転倒した。

 地面に転がる捕獲網は、真っ二つに切られていた。


「やっぱり安物はこんなもんか……!」


 帰ったら、多少高くても頑丈な物に買い換えようと密かに決意する。

 しかし、殺人鬼の追撃は止まらない。

 倒れている進に向かって、容赦なくナイフを振り下ろしてくる。


「うおおおおおお!?」


 地面を転がって、攻撃を回避する。


 ――すまん、帰ったらぴっかぴかにしてやるからな。


 汚れていくスカジャンに内心謝罪しながら飛び起きる。

 人間を相手取っているような気がまるでしなかった。

 例えるのならば――そう、人間サイズの猛獣と戦っている気分だ。


「いや、あながち間違いじゃねーのか……!?」


 殺人鬼は動物系の能力である可能性が高い――実際、その推測は正しかったようだ。

 そして動物の中でも、狩りをする肉食獣の動きであるという結論に進は辿り付きつつあった。


 殺人鬼は重心を落として進を襲う。

 手袋で覆われた手も、三本目、四本目の脚として殺人鬼の驚異的なスピードに寄与している。


「素手はあまりにも無謀すぎるなこれ……!」


 近くにあったゴミ箱の蓋を手に取り、盾のようにして殺人鬼の攻撃を防いだ。


「ぬっ」

「気分はアメコミヒーロー……!」


 殺人鬼の腹に蹴りを食らわせる。

 ぎゅむっという柔らかい感触と共に、殺人鬼は青ざめた顔で口元をおさえながら後退する。


「おっと気ィつけな。吐いたら、そこからDNA検出されて証拠になっちまうぜ?」


 ごくり、と何かを嚥下した後、殺人鬼は恨みがましい視線を進に向ける。


「き、貴様、卑怯な」

「悪いが、卑怯もラッキョも俺の大好物でね。勝てばいいのよ、勝てば」


 つーか殺人鬼に言われたくねーよ、と内心付け足しながら、打開策を練らんと頭を回す。

 この戦いは一件進に不利なようだが、実際にはそうとは言い切れない。

 身体能力という点で言えば、進の方が劣る。


 そこら辺の分析には一切奢りは存在しない。

 自分がいかに弱く無力な存在であるかを認識することこそが、異能者との戦いで必要なことだと進は思っている。

 長年異能者と戦って生き残り続けているのだから、あながち間違いではない――はずだ。


 一方、異能者である殺人鬼は身体スペックこそ優れているものの、証拠を押さえられるとそれが致命傷になりかねなくなる。

 故に殺人鬼は、繊細な立ち回りを要求されることになるのだ。 


「そろそろ解禁しますかね……」


 進は殺人鬼に向かってごみ箱の蓋を投擲する。


「ふん」


 ナイフであっさり弾かれるが、これも狙い通り。

 殺人鬼の意識がごみ箱の蓋に向いたその一瞬こそが、進の狙いだった。

 ぽすんと、少しくぐもった音が僅かに聞こえる。


「いっ……」


 低く呻きながら、忍はナイフを取り落とす。

 手袋に覆われていても、弾丸が当たった右手の甲は赤く腫れ上がっていることは容易に想像できた。 


「それは……銃、か」


 苦々しい表情で忍は言った。

 進の手に握られていたのは、形状こそ変わっている物の、銃と判別することはそこまで難しくなかった。


「正解だぜ。五課に所属していると、こーゆーオプションがあって便利なんだなこれが」


 当たり前だが、一般人が実銃なんて持っていたら一瞬で銃刀法に引っかかり、警察のご厄介になりかねない。

 だがしかし、警視庁捜査五課に所属していれば、それなりの制限こそあれど銃火器の使用が許可されるようになるのだ。 


「しかもこのマキシム9はサプレッサー内臓銃でね。正に都会向き銃って奴だぜ」


 人類が作り出した武器の中でも、銃は最高傑作と言っても差し支えまい。

 だがしかし完全無欠とは言えない弱点も存在する。

 特に厄介なのは、発砲時に発生する音だ。

 野次馬というのはどの時代どの場所にもいるもので、進が異能者と戦っていると、その音を聞きつけてやってくる人間がいる。


 進は民間人でありながら警察にも所属しているので、そんな一般市民を守りながら異能者と戦わなくてはならないのだ。

 しかしこのマキシム9は最初からサプレッサーが内蔵されており、発砲音を極めて削減できる。

 その角ばってボリュームのある銃身はスマートとは言い難いが、メカニカルで男の子心をくすぐる一品に仕上がっている。


「サプレッサー……?」

「消音器って奴だよ。ほら、よく映画で暗殺者とか使ってんだろ?」

「……なるほど、だからうるさくないのか。そうかそうか」


 こくこくと、腕の痛みも忘れたように忍は頷いた。

 さっきまでは憎らしげに銃を睨んでいたが、随分な落ち着きぶりである。

 銃器を向けられたにしては、少し不自然なくらいに。


「あー……言っとくけどこれ、弾こそゴムだけど、銃自体はモノホンだぜ?」


 一応進が使っているのは実弾ではなくゴム弾であるが、決して侮れるものではない。

 非殺傷用の銃弾だが、それでもプロボクサーのパンチに匹敵する威力があるのだ。

 当たり所が悪ければ、そのままあの世に一直線である。


 接近戦は難しくても、銃ならば――!

 マガジンの弾丸全てを吐き出さんという勢いで、次々と引き金を引く。

 無数のゴム弾が、殺人鬼に向かって飛んでいく。


「……」


 そして殺人鬼は、その場から動かずにそれらを全て避けきった。


「ありゃ?」

「うむ、うまくいった」


 殺人鬼は一仕事終えたように、ふうと息をつく。


「えーっと、今のは?」


 さっきより軽くなったマキシム9を震わせながら、進は問うた。


「うん? 避けたのだ」

「……具体的に頼む」


 そんなのは見れば分かる。

 進が知りたいのは、どうやって避けたか。

 本来こんなところで聞くべきではないんだろうが、進は聞かずにいられなかった。


「悠長なヤツだな……まあいい。銃口の向きと視線で飛んでくる場所は分かるだろう? 後は引き金が引かれるタイミングを目と音で判断して避けるんだ。拳銃のハンマーも見えればなお良しだな……そうすれば最小限の動きで避けられるぞ」


 まるで電化製品の使い方を説明するような口ぶりで言った。

 なるほど、そうすれば理論的には避けられるだろう。

 あくまで理論的には、だが。


「ああ、それにおまえの銃はいいな。音が小さいから避けるのに苦労しない。大概の銃はうるさくて、避けるのに邪魔なのだ」

「……」


 なるほどなるほど。

 おそらく殺人鬼の異能は身体能力強化だけではない。

 視覚、聴覚の五感にまで及ぶものだった。

 さらに彼女は、それを完璧に使いこなしている。

 ここまで思考した進は、一つの結論に辿り付く。


 ――あ、勝てねーわコレ。

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