第2話 殺人鬼の平凡な日常

 黒猫忍は爆睡していた。

 と言っても、どでかいいびきをかいている訳では無く、すうすうとその寝息は静かなもので、よほど接近しなければ聞き取れるものではない。


 授業中の居眠りというのは決して褒められた行為ではないが、忍は四番目にある窓側の席に座っている。

 眩しすぎると一部の生徒からは不評ではあるものの、日当たりの良さは抜群であり、夢の世界に旅立つのはうっての環境なのだ。

 忍に言わせてみれば、そのような環境にさらされて寝ないほうがおかしいのである。


「忍ー。お昼だよー、起きてー」

「うにゃにゃ……む?」


 目を覚ますと、机を挟んで座る黛薫まゆずみかおるの姿があった。

 肩をくすぐるくらいに伸ばされた稲穂色の髪が印象的な、忍の友人である

 

『学園ハーレム物の舞台にははもってこいだよねこの学校』


 これは、入学早々隣の席になった薫の言葉だった。

 この水浜第二高校は共学という体をとっているものの、元女子校ということもあって男子生徒は極めて少ないのだ。


『どうだろうな……実際は肩身が狭くなるのがオチなんじゃないか?』


 いきなりなんだこいつ、と思いながらも私見を述べた。


『それをなんとも思わないのが主人公の素質って奴かもよ?』

『なるほど』


 仮に自分以外全員男子(無論全員イケメン)な学園生活を想像してみた。


『……どうやら私には主人公の素質はないらしい。多分午前中まで保たないぞ』

 

 授業中もキョロキョロと挙動不審になることが容易に想像できた。

 テスト中なんて、一発でカンニング疑惑を駆けられて0点を叩き出すのが目に見えていた。

 しかし薫は眼鏡をぎらーんと輝かせてこう言った。


『ふっ、甘いね黒猫さん。私は一日は保つよ』


 こやつ、できる――と思ったかどうかは覚えていないが、その会話以来忍は薫と学校生活を共にすることが多くなっていた。

 我ながらヘンテコなファーストコンタクトだが、人間関係の始まりというものは案外そんなものなのかもしれない。


「むう、薫か……授業はどうした?」


 意識を失う前は、確か古典の授業が展開されていたはずだが。


「もう終わったよ。気がつかなかったの?」

「うむ。寝ていたからな」


 忍の学校では、授業前後に行われるのはに起立、礼、着席はなく単純に礼だけであるため、このような事がよく起こる。

 中学生の頃はそのタイミングで居眠りがバレてお説教を食らうということがあったが、今はそのまま授業が終わっていることもザラにある。

 おかげで何回か昼休みを丸々消費して、昼食を食べ損ねたこともあった。


「あちらが立てばこちらが立たず、か。世の中とはままならんものだな」


 世の無情を噛みしめながら、リュックからデフォルメされた猫がプリントされた黒い弁当箱を取り出した。

 蓋を開けると、半分ほど敷き詰められたご飯と、その横に鎮座するのは香ばしく焼き上げた焼き鮭。

 さらにいぶし銀の存在感を放つきんぴらごぼうとほうれん草のごま和え――


 ――ふふん、今日も会心の出来だ。


 小学生の頃から一人暮らしをしているので、料理にはかなり自信があるのだ。

 撮影した写真はSNSにアップすることはしないが、スマホの中に保管して、たまにそれを見ながらニヤニヤしていることがある。

 以前その様子を薫に見られたときは、


『よかったね忍。美人さんじゃなかったら通報されてたよ』


 と、褒められてるんだか貶されているんだか分からない感想を頂戴した。

 薫の方が美人だ、と忍は思うのだがそれはそれとして。


「それなら寝なければいいんじゃない?」

「それが出来れば苦労はせんのだ」


 忍はいつでもどこでもぐーすか眠ることができる、というか、気を抜くと眠ってしまう。

 日中だけでも三時間以上寝ていることは日常茶飯事だ。


「だが、寝てばかりなのに腹が減るのは謎だな……」


 最近では一日二食だの一食だのという話を聞くが、忍は一食でも抜いてしまうと体のコンディションに甚大な影響を与えてしまう。

 あるケースを除いて殆ど運動をしていないにも関わらず、だ。


「そうだね。運動してないのによく食べてはいるけど、どこにも栄養溜まっていないもんね」


 どこにも、と言いながらも忍の胸元のみを凝視している薫は、にゅふふ笑っている。


「くっ……」

「大丈夫だよ忍。世の中には人の数だけ性癖があるんだよ。その貧しき乳でも振り向いてくる人はいるから!」


 憎い。

 黛のころころとした笑いに連動して跳ねる胸が憎い。

 友達でなければ毟り取っていただろう。


「大きなお世話だ馬鹿者が。そんなに言うのなら、彼氏の一人でも作ってみたらどうだ? 立体物かつ有機物のな」

「よそう。これ以上は互いを傷つけることになる」

「……そうだな」


 どちらが勝っても虚しいだけだ。

 どう足掻こうが、二人揃って彼氏いないイコール年齢の女子高生。

 環境が変われば、その手の甘酸っぱい青春とやらが味わえるかとも思ったが、年齢を重ねたくらいじゃあまり変わらないようである。


「まああれだよね。恋より友情って奴だよ」

「この流れだとただの負け惜しみにしか聞こえないがな……」


 苦笑しながら、焼き鮭を頬張る。

 これが忍の日常だった。

 睡魔と格闘(だいたい負ける)しながら授業をこなし、休み時間は友人と他愛もない話に花を咲かせる。


 多分、この当たり前に存在する日常が、幸福というものなのだろう。

 漠然とそんなことを思った。

 このことを薫に話したら、


「忍は詩人だなあ」


 と笑われてしまいそうだ。

 無論、そっちの方が普通の感覚であるということは忍も理解している。

 なんでもない日常を幸福と考えることができるのは、よほど感受性が豊かか、その日常を一度失った人間くらいなものだろう。

 忍は知っていた。


 日常というものは、ふとしたはずみで脆く崩れ去ってしまうということを。


「――っ」


 瞬間、奇妙な感覚が体の内側からぞわりと湧き上がってきた。

 体の温度が一気に下がり、間接が悲鳴を上げる。

 視界か明滅し、空気が薄くなったように感じた。

 心臓のリズムまでもが、狂い始める。


「どうしたの?」 


 突然顔を伏せて黙ってしまった友人に、薫は心配そうな眼差しを送った。

 その声に顔を上げる。


 人間だ。

 人間が、いる。

 それを認識した瞬間、喉元にどうしようもない乾きを感じた。


 殺さないと。

 殺さ、ないと。

 震える手が、制服の袖へ伸びる。


 ――いや、だめだ。


 薫は、だめだ。

 頬の内側を噛みしめながら、その衝動を押さえ込む。

 無論、その程度で引っ込んでくれるものではない。

 だが、まだ早い。


 このタイミングで衝動のままに動いてしまったら、忍の日常は脆くも崩れ去る。

 他ならぬ、忍の手によって。


「い、いや。なんでもない」


 笑って取り繕う。


「けど、顔色悪いよ?」

「大丈夫だ。少し食べ過ぎたみたいでな」

「食べ過ぎぃ? 忍がその量でダウンするとは思えないけど……」


 こいつは私をどう思ってるんだ、と思いつつも言葉には出さなかった。


 ――ああ、まただ。

 また始まった。


 身体が異常をきたしているのに、忍は冷静だった。

 この衝動とはそこそこ長い付き合いになってはいるが、この不愉快な感覚は何度味わっても慣れるものではない。


 表面上は辛うじて取り繕う術は身に付けつけたが、衝動に本質的に打ち勝つことは不可能であることを忍は理解していた。

 出来ることは逃げることのみ。


 ――さて、今夜は誰を殺そうか。


 平凡な女子高生にして、長年この街を騒がせている殺人鬼は、そんなことを思いながらきんぴらごぼうを噛みしめた。

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