愛深との出会い(2)

彼女と向かった先は、代官山あたりの商店街の地下にあるお洒落なインテリアのバーだった。天井にはシャンデリアが付いていて、 古風なデザインのカウンターの棚には、数多くの洋酒ボトルが並べられていた。

「いらっしゃいませ」

俺は少し緊張した状態で店員の案内を受けてカウンター席に着席した。まさか女性の方から飲みに誘われるだなんて、人生初の経験だった。

彼女はここの常連だからかメニューも見ずに「いつもので」と注文した。

俺はメニューのページをめくりにめくって、値段を見てからぎくりとし、急いで適当に「ウィスキーロックで」とバーテンダーに注文した。 彼は軽くうなずいた後、巧みな手つきでテキーラをシェーカーに入れシャカシャカした後、カクテルグラスにソルトとレモンの皮をつけて「マルガリータとなります」と言いながら彼女の前に置いた。

まもなく俺が注文したウィスキーが氷の入ったロックグラスに注がれてくると、彼女はグラスを手に持ってほのかに笑った。

「乾杯しましょう?」

「あ、はい。乾杯」

「乾杯〜」

俺はグラスを口にあてビールを飲むかのようにごくごくと飲み始めた。ウィスキーがいきなり食道に入ってきて、ケホケホと咳が出てしまった。

「大丈夫ですか?」

「大丈夫です。久しぶりにロックで飲んじゃって」

「ゆっくりでいいですよ」

不格好な姿を見せてしまって俺は少し縮こまった。なんで俺はこんなに見栄を張ろうとするんだろう。いつもの自分じゃなかった。女の子の前だといつもこうだ。 しかし、今回ばかりは相手のレベルがあまりにも高過ぎた。彼女のスタイルや容姿もそうだし、上流階級独特の言動が、俺にとっては越えられない障壁に見えた。だが俺は同時に、彼女と並んで座っているという事実に対してハイテンションになっていた。

店内には陽気で穏やかなピアノ曲が流れていた、音楽が鳴り止まると俺はは少しうつむきながら話した。

「実はこんな場所にくるの、あんまり慣れてないんです。ほぼ宅飲みか普通の居酒屋くらいしか行ったことなくて」

「え、ごめんなさい。負担じゃないですか?」

「いいえ、ただ場所的に自分とは似合わないから、なんかちょっと……」

俺が言葉に詰まると愛深は頬杖をついてこっちをじっと見つめた。

「そんな負担に思わないでください。潤平さんを連れてきたのは私ですから、今日は私の奢りです」

「いいえ。そういうわけには。割り勘にしましょう」

その言葉に一瞬でも彼女に抱いていた疑念と警戒心が解かれた。もしこれが新手の色仕掛けだったとしたら、多分対処法なんて思い浮かばなかっただろう。彼女はただ単に俺と話がしたいだけのようだった。それはそうと初対面なのに名前で呼ばれるって、なんか嬉しいな。

「自己紹介でもしましょうか?私20歳です。呼び捨てで愛深って呼んでください。潤平さんは?」

「25歳です」

「年上だったんですね!なんか同い年に見えたんだけどなぁ」

「はい。でも大した差はないですから、タメで」

「じゃあ、潤平さんからどうぞ。私の方が年下ですから」

「じゃあ、そうするね」

穏やかな曲が終わり、早いテンポの曲が続いた。俺たちはカクテルを飲みながら,本格的に話を進めた。

「愛深さんってどこの大学?」

「女子大だけど。実践わかるかな?」

「もちろん知ってるよ!何学部なの?」

「んと、心理学部かな」

「おーすごいじゃん!」

「人間観察が好きなの。潤平さんは何が好き?」

俺はその質問を受け頭の中のグーグルで自分が好きなものを検索し始めた。そうしている間、愛深あどけない瞳で上目使いになってこっちを見ていた。

「当ててみようか?」

「え?」

「潤平さんは……画家かな!」

一瞬にしてすべてを見破られた俺は呆然とした顔をするしかなかった。

「え、どうして?なんでわかったの?」

彼女はふふと笑い、俺のシャツの袖を指差した。

「絵の具がついてるよ」

「え、うわ!マジか。気づかなかった」

袖の後ろには黄色の絵の具がついていた。 おそらく家を出る前、絵の具を絞り出したパレットを片付けた時についたのだろう。

「私は初めて見た時から気づいてたよ?」

「おおぉ、すごいね。心理学部の子ってこういう細かいところもすぐ分かっちゃうんだ?」

「まさか~ただの勘ですよ。さっき絵を鑑賞してた時もそうだし。あ、この人絵描いてるんだなってなんとなく思ってたんだけど、正解だったんだね」

俺は少し恥ずかしくなり、彼女の勘と鋭さに驚きを隠せなかった。貧乏ゆすりしそうな足を俺は懸命に手で押さえつけた。

「潤平さんの話もっと聞きたいなー」

魅惑的な言葉だったが、ドギマギした。 俺は身構えて、おどおどとした声で聞き返した。

「ん……えーと……例えば、どんな?」

「んーそうだな。今は他になんの仕事してるの?」

俺は躊躇なく画家だと答えようとしたが、 自分自身の状況を整理してから自信がなくなり、 ある程度ストーリーを練って、自分の弱い部分を語ることにした。

「もともと製薬会社の内定決まって、入社後になんか自分って組織社会に向いてないなって気づいて研修中に辞めた。この歳だけど、未だにコンビニでバイトしてる。絵は趣味で描いてるんだ。画家になりたいってのも、まああるっちゃあるんだけど。現実ってそんな甘くないね」

「え、本当?すごいじゃん!夢を追いかけてるんだね」

愛深は興味深そうな眼差しで俺を見つめた。意外な反応だった。

「現実的なビジョンがないだけだよ。でも今も自分なりに作品作ってる。まだ志望にとどまってるけど」

「現に作品を描いてるなら、それこそ画家じゃないの?」

「さぁ、どうだろ。少なくとも俺の作品は世の中に出たことがないからね」

俺は腹を割って話した後、ウィスキーを一気飲みした。俺の話を静かに聞いていた愛深は、バーテンダーに「オリジナルを一杯お願いしてもいいですか?」と注文した。

「私からの慰めの一杯。飲んでみて。きっと美味しいから」

「え、ありがとう」

年下の子に酒を奢ってもらうなんて、妙な気分だった。

「当店オリジナルカクテルのイリスポンシブルでございます」

滑らかで厳つい名前のカクテルグラスを手に取ると、愛深は俺の肩にそっと手を置いて目を合わせた。

「ほら、私のおすすめだよ?」

俺はその言葉に濃密な香りを感じた。

一体どこでそんなセリフ習ったんだ。くそ、勃起しちゃうじゃねぇか。

胸が早鐘を打ち、一気に酔いが回って来た。

「そうだね。酒って会話のための道具でもあるしね」

俺はそう言いながらグラスに口をつけた。 柑橘系の果汁の酸味と独特のシャンパンの香りがのどいっぱいに広がった。俺はほろ酔いの状態になった。つま先から頭にのぼる微弱な熱気を感じた。

「美味しいねこれ」

「でしょ?」

雰囲気にのまれて、また一気飲みしてしまった。

「飲むの早すぎじゃない?」

「あ、ごめん。飲むの早い方なんだ」

「緊張してるからじゃなくて?」

俺は一瞬沈黙した。実はそうだった。 愛深はすべてをお見通しのようだった。この感覚は一体なんなんだ。俺はそこそこ女の子には免疫があるはずだ。彼女は何か俺に新しい感情を吹き込もうとしているようにも見えた。

「俺、実を言うとちょっと緊張してる。愛深さんみたいな人と出会ったのは人生で初めてだからさ。なんか愛深さんって群を抜いて綺麗だよね、他の女性より。初めて喋った時もそうだったけど、今この状況、本当に現実なんかなって思うもん」

「そうなんだ。ふふ。可愛いね潤平さんは」

俺はどんどん早口になっていた。理性の抑えが効かなくなり、益々露骨な質問が飛び出した。

「愛深さんって彼氏とかいる?」

「ん?」

彼女は聞こえなかったのか耳に手を当てた。

「なんでもないよ」

俺は原点に戻りスコッチウィスキーを注文した。今度はストレートだった。

「大丈夫なの?」

「まあ、これくらいはね」

酔った勢いで根拠のない自信さんが湧いてきた

「顔、赤いよ?」

「すぐ顔赤くなるってよく言われるけど、酔っぱらってはないよ」

俺は酒に強そうなふりをし、グラスを半分空にした後、肩を伸ばした

「なんかカッコいいね」

「かっこよくはないよ。あ、タバコ吸ったら嫌?」

「嫌いじゃないよ?」

愛深の許しを得た俺はたばこをくわえ、彼女から顔をそむけたまま火をつけるとふーと一息煙を吐き出した。

「ね、美味しい?」

「味で吸うもんじゃないよ」

「そうなんだ」

彼女は悪戯っぽく尋ねた。

「この後どうする?」

「この後って?」

「ここから出た後」

その言葉に俺はまたしても動揺し、頭を捻った。ここから出た後って?何をする?カラオケでも行くか?いや、それはちょっと今はない。店を移して飲み直した方がいいのかな。でもそうしたらさすがに酔っぱらって寝てしまいそうだ。泥酔した状態で誘ったら絶対にひくだろうな。

「ん……愛深さんはどうしたいの?」

俺が聞くと彼女は照明を眺めながら答えた。

「潤平さんの作品見てみたいなー」

俺は完全に酔いがまわり、またウィスキーを一気飲みしてしまった。

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