第14話 磐船に足かけし夜叉姫
ゆっくりとコーヒーを口に運ぶ。初めて父の秘密を聞かされた時と違い、今度は和梅の心には、話を聞きながらもコーヒーを楽しもうとする余裕が生まれていた。
「まず、前提として、文異能者が継神を召喚できることは知っていたかい?」
和梅は首を横に振る。
「そもそも、神がいることすら知らなかった。……「精霊」的なアレとは違うの?」
白花は再び頷く。
「優れた研究家には、人ならざる存在から特別な力、俗にいう文異能が与えられる。異能を与える存在を、人は「精霊」「文学の精」などと呼ぶ。……ここまでは分かるね?」
和梅は頷いた。頻度こそ非常に少ないながらも、絶えず生まれ続ける文学とその作品の研究の第一人者を讃えて文異能者自体は日々増え続けている。
現代小説や新たに生まれた短歌の力を司る異能者も少なくない。そのため、この世において異能者の誕生自体は珍しいながらも奇怪なこととは言い難い状態であった。
科学的に証明できない現象を納得させるには、「人ならざる者」の所業だと結論付けるしかない。人々は、人に異能を与える「人ならざる者」のことを「文学の精」「異能の精」などと呼んでいた。
――ここまでは、和梅でも分かる、常識の範囲内の話である。
「異能者は、「精霊」を「神」に昇格させることができるんだ」
「……」
一つの文学に関する異能を与えるために、一体精霊が生まれる。異能が増えることは、精霊が増えることを意味しており、遺伝等で被っていない純粋な「継承文学」の数に比例するものだと白花は説明した。
「現在我が国で生まれた文学を継承するには、三千ほどいる。数十年に一度、その中から一体だけ、継神として顕現させることができるチャンスが訪れる」
「そのチャンスってのが、今ってこと?」
和梅は問いかけた。今というか、と白花は少し言葉を探す。
「三か月後、月食が訪れるのは知ってる?」
和梅ははっとした。あの日父の書斎で見た、卓上カレンダー。八月七日の欄に、小さく書かれた二文字。注釈書の仕掛けや最近の怒涛の変化に慣れない生活のせいですっかり忘れてしまっていたが、今になって、あのカレンダーに感じた違和感を思い出す。
「……それが、関係してるの?」
ご明察、と白花は淡く笑みを浮かべ、すぐに真剣な顔に戻る。
「ただの月食なら何年かおきに観察されるね。でも、継神の召喚に必要な条件を揃えるとなると、そうはいかないんだ」
一旦言葉を切って、コーヒーを飲む。ごくりと喉を鳴らしたところで、白花は説明を続けた。
「精霊を継神に昇格させるには、月食の日が、一年で一番大きな満月が見える日と重なっていなければならないんだ。スーパームーンって言えば分かるかな?尚且つ、継承文学が生まれた文化圏で皆既月食が観察できる状態であることも必須条件となってくる」
「それが今度の月食ってわけ」
「そういうこと」
「……それで、神を顕現させると、国が滅ぶわけ?」
白花はため息を吐いた。
「それが、実のところ、俺にもよく分かっていないんだ。神の顕現が可能であるという事実自体、政府に隠されて知る人も殆どいない。宗教や文化圏によって「神」であったり「大精霊」だったりと呼び方は変わるけど、国連とか多分その辺の、とてつもなく強い力によって人々に知られないようにしているのは事実だよ」
「……白花のことを疑うつもりはないけど」
一言前置きをして、和梅は尋ねる。
「あんたどこでそんな情報仕入れてくるの」
ああ、と思い出したように白花は答えた。
「死んだ父の手記を読んだんだ……諸事情があって見せてあげられないのは申し訳ないんだけど」
何でもないことのように白花は返す。しかしその目が一瞬――本当に一瞬、
ごめん、と口を開きかけ、何も言わずに噤む。白花が隠そうとしている弱みに触れるのは、何となく違う気がした。今は気づかないふりをしておくのがよいだろう。いつか、彼が話したいと思ってくれるのなら。そんな少しの期待と共に、和梅は今見たものを胸の内に仕舞い、再び白花の言葉に耳を傾ける。
神の召喚の記録も、ごく一握りの者しか見ることが出来ず、白花も何が起こるか分からない。しかし、国一つ滅ぼせるほどのエネルギーが動くことは確かで、それを止める必要があると彼は締めた。
そこまで聞いて、和梅はぎり、と歯を軋ませた。
「……そんなの、止めるしかないじゃん」
自分の親を人殺しになんてさせてたまるか。そう思うと同時に脳裏によぎるのは、母の顔だった。
和梅に向けてくれる笑顔を、父にも同じように向けていた母。家族に対し、愛情を――それは父に対しても言えることだ――惜しむことなく注ぎ続けてくれた母。
そんな母が愛した父に、罪を犯させることは、和梅には許されざる大罪のように思われた。
(絶対に止めてみせるよ、母さん)
ぎゅっと左の拳を握る。ごくごくっとコーヒーを喉に流し込むと、すうっと頭が冴えていった。
「白花、やるよ、私。一緒に来て」
和梅は白花に言った。母が亡くなって以降初めてに近い経験なのに、人にものを頼むという自身の行為にすら気づかなかった。
そんな和梅の様子が、白花は内心嬉しくてたまらなかった。しかし、頼ってくれたこと、それを自分にだけは自然とできたことを彼女に指摘すれば、また好感度が振り出しに戻ってしまいそうなのを彼は恐れた。
そんなわけで白花は、ただ微笑んで頷くだけに留めておいたのだった。
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