第13話 薄紗捨て、目見開けり

 二人が気を失ったのを確認すると、白花はそっと和梅から手を離した。そのまま右手を、和梅の左の二の腕にかざす。


「遅くなってごめんね。……間に合わなかった」


 白花の右手から、数枚の白い花びらが落ちる。ふわふわと舞うそれらは、セーラー服の袖、血に染まる切り口から中へ入っていく。そのまま和梅の左腕へまとわりつき、傷口を少々圧迫するように貼りついた。


「ちょっときついけど我慢してね」


 それだけ言うと白花はゆっくりと立ち上がった。


「……どこへ」


「大丈夫、置いていかないよ。ただ、あいつら、そろそろ起きてきちゃうから」


 振り返り、動かないでね、と和梅に向けたプラタナスのような微笑みも、前を向き終える前に電光朝露でんこうちょうろと消える。一瞬見えたその目は、銀蛇ぎんだのそれのように星火せいかの少女を漢宮かんきゅうの幻からうつつへと引き戻した。


「う……」


 低く呻きながら目を覚ました蛍の方へと足を進めていく。もう芝蘭しらんの友は、和梅の方を振り向いてはくれなかった。意識を取り戻した敵方二人の前まで来たところで、徐に白花は、右手を天高く伸ばした。


「!」


 その動きだけで、和梅には分かってしまった。間違いない。白花は、二人に追い打ちをかけようとしている。


 無意識のうちに、和梅は立ち上がっていた。動かないでと言われたことは、最早頭からすっぽりと抜け落ちていた。


 白花のもとへ駆け寄りながら、確かにその方が合理的だ、と頭のどこかで考える。放っておいたら和梅だけでなく、今度は白花にも危険が及ぶかもしれない――最も、白花の能力を前に、目の前の二人は全く歯が立たず、こうして倒れこんでいるのだが、この時の和梅にはそのようなことを考えている余裕はなかった――そう思えば、白花は正しい選択をしてると、和梅にも分かっていた。


でも。


「なんで意識が戻っちゃうかなあ。そのまま気絶してくれてれば、そっちだって楽だっただろうに」


 早波さなみのように淡々と、しかし確実にこちらの不安を煽るように白花は呟く。その台詞、イントネーション、抑揚。口から漏れたその一言から感じ取れる全てが、白花の明確な殺意をありありと物語っていた。


「ま、待て……待ってくれ……」


「嫌……死にたくない」


 敵方二人の怯える声さえ、和梅の耳には届かない。何故自分を殺そうとした二人を庇おうとしているのか、自身にも分からなかった。


 無我夢中で、和梅は白花の背中にしがみついた。振り下ろされかけた手が、はたと止まった。


「……二人を殺さないで。……お願い」


 振り返った白花は、切れ長の目を見開いた後――何故か、どこか悔し気な顔をして手をおろした。


***


「……ごめん」


 ボーンチャイナに目を落とし、和梅が呟く。


「なんで謝るの」


 コーヒーに口を付け、白花は口の端を上げて見せた。その目がいつもの優しさを湛えていないだけで、和梅の心ははららいでしまいそうになる。


 蛍と黒髪の少女をたすけてやってくれと和梅に懇願された白花は、結局二人を殺すことはなかった。生まれて初めての殺人さえ厭わなかった少年の怒りは、隅田珈琲に一旦避難して、和梅を手当てしてもらって尚、収まることはなかった。


「肩、出てるよ」


「えっ?……あ」


 唐突な白花の指摘に、和梅はどきりとして視線を自身の肩におろす。先ほどまで着ていた制服のトップスは、袖を裂かれた挙句、夕焼けに染まって尚強烈に自身の存在を主張する鮮血によって見事な辰砂しんしゃに染まってしまい、使い物にならなくなってしまった。


 その代わりにと、實彦が貸してくれたグレーのTシャツが大きすぎたのだ。身長こそ女子高生にしては高い方だが、肩幅は意外にも華奢な和梅には、成人男性のシャツでは肩からずり落ちてしまうのだ。


「新しい制服、注文しなくちゃね」


「……そろそろ制服、半袖にしようと思ってたから。ちょうどよかったよ」


 相変わらず昏冥こんめいのような目で笑いかける白花に、和梅は何とか答える。重苦しい雰囲気の中でも、少々だらしない姿を人に見せてしまったことへの恥じらいから、和梅の紅玉のはだえは更に赤みがさしていた。


「……白花」


 槿花むくげの唇からぽつりと零れた声に、白花ははっとしたように、再び目を見開く。初めて呼んだはずの彼の名は、着なれた唐衣が心地よく肌に馴染むように、不思議なほどあっさりと和梅の舌に溶け込んだ。


 まっすぐに白花の目を見据える。人との関わり方が分からない和梅にも、今自分が何を伝えなければならないか分かっていた。


「白花が、私のために、あいつらを殺そうとしてくれたのは分かってる。だから、それを止めてごめん」


 先ほどより更に頬が熱くなっていくのは何故だろう。一緒にいると、時間が短く感じたり、今まで考えたこともないような疑問が頭に浮かんだり。不思議だ。


 嫌われたくないと思った。たった数日しか関わっていない中で、こんな風に思うのは、一般的には変なのだろう。それでも、あんなに笑いかけてくれて、自分が知らないことを教えてくれる白花の存在が、自分の中で日に日に大きくなっていたのだと、和梅は気づいてしまった。


 蛍に裏切られた時に感じた、少々残念に感じつつも捨ててしまった期待とは違う。和梅は、この気持ちを大事にしたいと思った。そのためには、白花にされた通り、自分自身も彼に歩み寄らなければならないと判断した。


「でも、助けてくれて嬉しかった。ありがとう。白花の言ってること、信じてみようと思う。……父さんの企みってやつ、詳しく聞かせて」


 きゅっと閉っていた白花の瞳孔が、徐々に大きくなっていった。漸くいつもの真珠星の光を取り戻した目をにっこりと細めて、白花は返した。


「こちらこそ、信じてくれてありがとう。……聞くのが辛くなったら、いつでも言ってね」


 こうして、和梅は、自分でも気づかぬうちに目を逸らそうとしていた問題に、向き合うことになったのだった。

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