第8話 深淵の薄氷踏みし二つ星
「……ほんとにここで合ってんの」
スマホの中でピンが指し示しているのは、多摩川沿いの小さな喫茶店。投稿された写真の通り「隅田珈琲」と書かれた看板がかかったその店の、
和梅の委員会のミーティングの関係で普段より1時間ほど下校時間がずれてしまったにもかかわらず、『少し遅れる、ごめんね。この店の前に集合でいいかな?』と送られてきたメッセージ。共に送られてきた地図サイトのリンクに従ってやって来たはいいが、既に三十分は待たされている。
店内に入るでもなくひたすら突っ立っているのも迷惑なので、和梅は、ぶらぶら近くを歩いては時折店の前に戻って確かめてを繰り返していた。一度店に戻っては、今度は別のルートを歩いてみる。
大通りを曲がったり、ちょっとした小道に入ってみたり。そうこうしているうちに、和梅は、ベンチのあるちょっとした広場を見つけた。
「ここ、暇つぶしによさそう」
ここなら喫茶店からもそう遠くないし、ベンチに座って読書もできる。最初からここを指定してくれればよかったのにと思いながら、和梅はベンチに座った。
教科書や体育服を一緒くたに入れている大きめのリュックサックから、文庫本を取り出したところで、ふと思い至る。
「……一言、言ってた方がいいかな」
白花が急用を済ませた時、
ポケットにしまっていたスマホを再び取り出し、ロック画面を見つめる。
「……」
ふい、と目をそらし、再びちらりとスマホを見る。
「……」
目線を上に遣ると、
「だああああっ!」
半分やけくそでメッセージアプリを開く。勢いのまま『近くの広場にいる』と打って、人差し指を送信ボタンに叩きつけた時。
「和梅、見つけた!」
後ろから、ぴこん、という電子音と共に、聞き覚えのある声。振り返ると、白花が、肩で息をしながら立っていた。昨日会ったときは制服らしい服装をしていたが、今日はグレーのトレーナーを身に纏い、A4サイズのクリアファイルが入る程度の大きさの、キャンバス生地のトートバッグを肩にかけている。
「遅くなってごめんね」
申し訳なさそうに眉をハの字に下げ、両掌を顔の前で合わせながら、白花が近づいてくる。散々躊躇った結果、生まれて初めて送ったメッセージが無意味になってしまい、和梅は何となく気まずくなって、目をそらす。
「じゃあ、行こうか」
待たされて怒っていると思ったのか、困ったように微笑んで白花は進行方向を向いた。何故だか分からない。しかし和梅は、ここで何かを言わなければいけないような気がした。
白花の隣へ駆け寄り、目を合わせる。気まずさが抜け切れていないせいか、上目遣いになってしまう。
「えと、勝手に場所変えてごめん」
咄嗟に出てきた言葉はそれだった。この場合の「何か」というのは、会話であれば何でもよかった。別に謝罪である必要性はなかったのだが、事実無断で場所を変え、白花を走らせてしまったことには変わりないので、まずは謝っておく。
ぱっと、白花の表情が明るくなった。西日が当たっているせいか、目がキラキラと輝いている。
「ううん、待たせたのは俺だから。気にしないで。こちらこそごめん」
再び謝罪の言葉を口にするも、その笑顔はさっきとは違う。どことなく嬉しそうだ。
その笑顔を見ていると、今朝の心地よいそわそわを思い出してしまう。しかし、先程のように、何かを話さなければならないような衝動は感じない。
言葉少ないながらも、二人は、隣同士歩いて喫茶店へと向かっていった。
***
「脚を出し過ぎじゃぁなかか」
「は?」
開口一番発された言葉がそれである。和梅は、カウンターで豆を挽いている
「白花、おまん、そげな品のないおなごに引っかかっちょっとか」
「……あ?」
和梅の吊り目が、きっと細くなる。
「何な、その目つきは。ちぃと指摘されただけで怒りよっとな」
「……」
「そんにおまん、顔に髪がかかっちょって邪魔臭かど。上げるなり括るなりせんか」
次々と見た目に難癖をつけてくる老人に、和梅の額にビキビキと血管が浮いていく。
「……ごめん、和梅。この人、ちょっと口が悪く」
「黙って聞いてりゃ調子に乗ってんじゃないわよ」
売られた喧嘩をばっちり買うことにした和梅に、しまったと白花は頭を抱える。
「別に私だって好きでこんなカッコしてんじゃないわよ!スパッツだって履いてるし、スカート長いとバッサバッサして動きづらいのよ!初手いきなりセクハラしてんじゃないわよクソジジイ!」
「銭も稼げん子どんが大人に突っかかっとんじゃなかど。年配の言うことは聞かんといかん」
「はぁあ!?何こいつムカつく!コッテコテの方言がなんか猶更ムカつく!!」
烈火のごとく怒れる少女とこんこんと説教を続ける初老の男。それを興味深げに観察する、常連客二、三名。若干引いている新参客数名。
新参客に悪い噂を流されては、店が潰れてしまう。溜息を吐いて、白花は
「和梅、ブラックコーヒーは飲めるかい」
怒りのまま好き勝手に飛び出していた言葉が、はたと止んだ。持て余したように口を半開きになったまま和梅が振り返る。
宥めるような穏やかな笑顔に、和梅は少し冷静になる。
「……飲めるけど」
「じゃあ實彦さん、ブラックコーヒー二つ、お願いします」
はン、と鼻を鳴らして、實彦はキッチンへと入っていく。その様子を尻目に、白花は囁いた。
「別に全員に対してあんな感じではないんだ。もうちょっと外面いいんだけど。……嫌な顔しないであげて。あの人、結構和梅のこと気に入ってるみたいだから」
顔を顰めていた和梅の眉間の皺が深くなる。その様子を見て、白花は苦笑した。
「實彦さん、芯のある子は嫌いじゃないんだ」
そう言う彼の姿は、何だか優し気で、あれで気に入られてるのは理解に苦しむと考えつつも、和梅は、何故この少年だけは、こんな顔を自分に向けるのだろうと不思議に思うのだった。
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