第36話  プラネタリウム 2


「ここくるんやったら、誘ってや」

 ふいに、隣で声がした。


「家に行ったら、ここやって言うてはったから、すぐに来てん。間に合ってよかった」

 想太だった。

 隣の席に座った想太が、私に笑いかける。

 いつも通りの優しい笑顔。びっくりしたせいで、いつのまにか、私の涙も引っ込んでいた。


 だから、いつものように返す。

「ごめんごめん。今日もレッスンかな~と思って」

「うん。ほんまはギターのレッスン入っててんけど、先生が急きょお休みで。やから、やったぁ~。休みや~って。で、みなみ誘って、ここに来ようって思ってん」

「そっか。ごめん。行くよってメールしたらよかったね」

「オレ、『何してる?』って送ってんで」

「え。ほんと?」


 スマホを見ると、想太のメッセージが表示されていた。

「気づかなかったぁ……」 

 ちょっと、いや、けっこう残念。……1人で泣いてる場合じゃなかった。

「でも、ここで、会えたからいいや」 想太が嬉しそうにつぶやく。

「うん。そうだね」 私も嬉しい。すごく。すごくすごく……

 

 上映開始まで、あと数分。静かな音楽と、爽やかなオレンジのような香りが漂う。

「気持ちいい香り。音楽もいいね」

 今日は、香りも音楽も、ちゃんと感じられる。私は、そっと深呼吸する。

「うん。めっちゃええな」

 想太も深呼吸する。

 しばらく黙って、2人で深呼吸を繰り返しているうちに、上映開始のブザーが静かに鳴った。


 穏やかで優しい声の解説が始まる。

 頭上に広がる空。夕焼け空は少しずつ色を変え、やがて、降ってきそうなほどたくさんの星が輝きはじめる。その星々の間をゆったりと流れる銀河。空のあちこちに数々の物語の主人公である星座たちが浮かび上がる。


 久しぶりに、私は、ちゃんと最後まで解説を聞けた。想太もちゃんと起きていたようだ。

 上映が終わって、座席の背もたれから、ゆっくり体を起こした想太が、

「めっちゃよかったぁ」 

 ため息のように言った。

「うん。めっちゃよかったね。」 

 私も言う。


 想太が私の方を見た。顔を見合わせると、お互い、自然に笑顔になる。

「みなみ」 

「ん?」

「笑っててな」

 想太が、ぽそっと言った。そして、その顔が一瞬切なそうに、くしゃっとなる。

「……泣かんとってな。ひとりで……さっきみたいに」

「え?」

 ……気づいてたのか。想太。

「みなみが笑ってくれるから、オレも笑える、って前に言うたやろ」

 想太が続ける。

「やから。みなみ。……泣きそうなときは、言うてな。オレ、きっと、みなみを笑わせるから」

「想太……」

 私は、想太の言葉に思わず泣きそうになりながらうなずいた。

 そんな私を見て、彼はホッとしたように笑った。

   

 

 プラネタリウムをでると、想太が言った。

「なあ、いつか、本物の星空も、見に行こな」

「うん。そうしよ。それまでは、ここの星空をいっぱい見よう」

「そやな。でもさ、オレ、今日は、寝やんと、ちゃんと最後まで解説聞いたで」

 想太がちょっと得意げに言った。

「私も。おじさんの声、気持ち良すぎて、いつも眠くなるもんね。今日は、オレンジの香りのおかげかな?」

「そうかも。なんかスッキリ気持ちよかったな」

「ミチコさんの香りの選択、今日はバッチリ、目が覚めた」

「ふふ。おじさん、起きてる人おるって、今日は喜んではるかもな」

 

 マンションに戻って、いつものエレベーターホールのところまできた。

「じゃあ。また明日」

「うん。また明日ね」

 手を振りながら、私たちは右と左に分かれる。

 帰って行く、すらりとした後ろ姿。少し背が高く見えるのは、前より姿勢がよくなったから? 少し伸びてはきたものの、まだ髪が短めなので首の長さがひきたつ。頭が小さい。

 その後ろ姿に向かって、心で声援を送る。

(想太。がんばれ。私は、大丈夫。さみしくなったら、今日のこと、思い出す。だから……大丈夫! 想太、がんばれ!)

 

 私の心の声が届いたのか、想太が振り向いた。そして、ニコッと最高の笑顔で笑うと、次の瞬間、こちらに向かって走ってきた。


「みなみ!」

 そして、びっくりしている私を、ふわっと両腕で包んで言った。

「大好きやで。めっちゃ」

「想太……」

「見ててな。オレ、がんばるから。……見ててな」

 想太の真っ直ぐな気持ちが伝わってくる。だから、私も一生懸命返す。

「うん。見てる! めっちゃ応援してる! それと」

「それと?」

 想太が、薄茶色の瞳をキラキラさせて首を傾け、私の目をのぞきこむ。

「……私も、大好き! 想太」

 想太の笑顔がはじけた。


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