第32話  プラネタリウム

「笑わへん」

 力強く断言すると、想太が振り向いて、真っ直ぐに私の方を見た。

「あのな、オレ、オーディション受けるまでは、それが第一目標やったから、それで必死やった。何も思わへんかった。ただひたすら楽しみやってん」

「うん」

「でも、今日、正式に書類にサインしたら、なんか、急に不安になってきてん。……オレ、ちゃんとやっていけるんかな、楽しいばっかりとちゃうの、分かってるっていいながら、ほんまに、覚悟できてるんかな、って。もう、後戻りは……できへんのに」

 一瞬言葉を途切れさせて、想太は続けた。

「そう思ったら、……オレ、……こわくなってん。すっごくやりたい、って思ってきたのに、でも、なんか急に――――こわくなってん」

 絞り出すように、想太が言った。


 いつもゆったり余裕で笑っているような想太が、楽しいから平気だって、なんでも軽やかに乗り越えて行こうとする想太が、こわい、と言った。

 そんなことは、初めてな気がする。


「想太」

 私は、手を伸ばして、そっと想太の手を握る。静かに、ぎゅっと力を込める。

「大丈夫だよ。想太。大丈夫」

 想太の手はひんやりとしている。

「あのね。想太」

 私は続ける。

「一つ訂正だよ。後戻りは、できる」

「え?」

「後戻りも、方向転換も、なんだってできるよ。想太さえ望めば」

 想太は、私の方をじっと見つめている。

「やり直せないことなんて、ないんだよ、想太。後戻りできないって、自分を追い詰めなくていいんだよ。……覚悟なんて、少しずつ出来ていくんじゃないの? そんなのいきなり出来る人なんて、いるのかな?」


 黙っている想太に、私は一生懸命ささやく。その手をじっと握りしめながら。

「だからね、想太。大丈夫だよ。思い切りやってみて、ダメだと思ったら、そのときまた、選び直したらいいんだよ。戻れない道なんてない。もし戻れなくても、ちがう道、通ればいい。だから、大丈夫だよ」

 想太が、静かに、座席に背中をつけた。

「そっか……。そっか……。オレ、なんか知らんけど、覚悟せなあかん、ってめっちゃ思ってしまってた。そやな。まずは、選んだ道、行けるとこまで行けばええんやな」

「そうそう。後戻りでも、何でも自由自在。やりたいようにやったら、いいんだよ~」

「そうか。そやな」

 繰り返しながら、想太は、うなずく。

 想太の両手がそっと私の手を包んだ。

「みなみ、ありがと。オレ、がんばってみるわ」

「うん。応援してる」

「うん」

 それぞれの席の背もたれに、想太も私もホッとしてもたれる。

 そのとき、ブザーが鳴って、上映開始が告げられた。


「始まるね」

「うん」

 うなずいた想太が、小さな声で耳元で言った。

「なあ。手、つないで観るの、あり?」


 一瞬ドキッとした私が返事する前に、想太の手が、私の手を握った。2人の間の肘掛けにつないだ手がのっかる。

 きれいな音楽と解説が始まったけど、さっきから、胸がドクドクいってる音が大きすぎて、何も耳に入ってこない。

(もう! 想太ってば)

  つないだ手に、ぎゅっと力を入れたら、想太が、ぎゅっと握り返してきた。そして、頭をそっと、私の肩に傾けてきた。

 ふわふわの柔らかい髪が、私の頬をくすぐる。

 アロマは? ラベンダーは? それも何にもわからなくなった。

 だって、想太の柔らかい髪から香る、かすかなシャンプーの香りしか、今の私には、わからないんだもん。


(こら。想太)

 私は、うす暗い会場で、そっと肩の上にある想太の頭を横目で見る。


(……甘えん坊なのか。なんなのか。

 こんなに人をドキドキさせといて。

 ん? なんか、すうすういってない?

 もしかして寝てる? ほんとに、もう・・・・・・)


 肩には想太の頭を乗せ、手はしっかり想太に握りしめられたまま、私は、プラネタリウムを鑑賞した。ミチコさんに言われたとおり、ちゃんと最後まで起きてたけど。

――――ごめん。解説、全然聞いてなかった。

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