第31話  笑わへん?  


 私は、部屋を出て、玄関のところで、リビングにいる両親に声をかける。

「ちょっと、エレベーターホールまで、出てくる」

「はいはい」 「どうぞ~」

 テレビを見ている2人からは、のんきな返事が返ってきた。


 エレベーターホールまで来ると、いつものソファの前に、想太が立っていた。

「はやいね」

「うん。すぐ来た」

 想太は、にこりとほほ笑む。

「そっか。座る?」

 なぜか突っ立っている想太に私が言うと、

「ん。いや、……ちょっと出かけへん?」

 想太が応えた。

「え? どこに?」

「となり。プラネタリウム。今なら、最終の上映に間に合う」

「ん。いいね。行こう」

大急ぎで、『想太とプラネタリウム行ってくる』と、お母さんのスマホにメッセージを送る。

『行ってらっしゃい』とクマが手を振っているスタンプが返ってきた。

 マンションの建物を出て、すぐ隣の建物に走って行く。3分もかからない。


 私たちのマンションの隣にある建物には、小さなプラネタリウムがある。

 子どもの頃から星が大好きだったというオーナーのおじさんが、星空の解説をどうしてもしたくてつくったというプラネタリウムだ。

 おじさんは、趣味の延長線で、といつも笑っているけど、収容人数は少なめでも、けっこう本格的なプラネタリウムで、めちゃくちゃステキなのだ。趣味のレベルじゃない。

 私も想太も、結構小さい頃から、家族と一緒に観に来ているので、すっかり顔なじみだ。


 私たちの姿を見ると、おじさんの娘さん、ミチコさんが受付にいて、

「あら、いらっしゃい。想太君は、久しぶりね」と笑顔になった。

「こんばんは。久しぶりに、どうしても見たくなって」

 お財布を持っていなかった私の分まで、さらっとチケットを買いながら、想太が笑顔で応える。そして、チケットの半券を渡してくれる。

「ありがと」

「いや、急に誘ったんオレやし」

「今日はね、アロマサービスデーだよ。ラベンダーとレモングラスと、え~となんだっけな、あ、でも、すっごく気持ちのいい香り。うっかりすると寝てしまうかも」

 ミチコさんが言う。

「やったあ~。アロマサービスデー、大好き」

 私が言うと。

「気持ちよすぎて、み~んな寝ちゃうから、解説聞いてくれないって、お父さんがちょっとスネちゃうの。だから、なんとか、2人はがんばって起きててあげてね」

 そう言って笑った。でも、それちょっと難しいかも。


 だってね。プラネタリウムの会場の中に、どこからともなく気持ちのいい香りが漂ってきて、きれいな星空が見えて、アナウンサー並みに心地よい、きれいな声の解説が聞こえてきて、ふかふかの椅子の背もたれに埋もれるようにして座ったら。どう?

 これは、もう眠れる要素そろいすぎじゃない?


「ごめん。ミチコさん、自信ないけど……がんばってはみるよ」

 私たちがそう言うと、

「ふふふ。癒やしの時間を、どうぞ」

 そう言って、ほほ笑んでくれた。



 会場に入ると、わりと遅めの時間なので、オトナの人が多い。カップルの人たちもいるけど、どちらかというと1人で来ている人も多い。

 多いと言っても、少しずつみんな離れて座れるくらいで、会話しても小さい声で話すなら、あまり他の人には、聞こえない。

 私たちのあとにも、何人かお客さんが入ってきて、みんな適度な間隔を置いて座った。


 上映開始にはまだ少し時間がある。

「久しぶりに、どうしても見たくなってん」

 想太が、受付で言ったのと同じ言葉を、小さな声で言った。

「うん」

 私は、短く答える。そして、訊く。

「想太。なんか、迷ってる?」

「え?」

 想太がハッとしたように、私を見た。


「想太、なんか考え事や迷ってることがあるとき、よくここへ来たがるよね?」

「……そっか。知ってたん?」

「うん。……研修生になること、ほんとは、迷ってるの? ……書類サインして後悔してる、とか?」

「いや。後悔は、してない」

「してないのか。……じゃあ?」

 想太が、隣の席で、少し体を起こして前を見ながら言った。

「後悔はしてない。でも。……今さら、何言うてるんて、笑わへん?」

「笑わへん」 関西弁で、力を入れて答えた。


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