第14話  楽しんできてね。  

 金曜日。想太と私は2人で、家まで帰ってきた。私たちは、マンションの同じ階のエレベーターホールで、右と左に分かれる。


「いよいよ、だね」

 私が言うと、

「うん」

 想太は、にっこり笑ってうなずいた。数日前に、髪をカットしたので、前髪が少し軽くなって、目元がスッキリとして、瞳がいっそう大きく見える。

 私が、面接官なら、この笑顔だけで、一発合格だ。なんてことを、一瞬思ってしまう。


「緊張してる?」

「うん。でも、それよりももっと楽しみや」 

 想太の目がキラキラしている。

「いいね。楽しんできてね」

「うん。ありがとう」

 手を振って、想太は、帰って行った。



『楽しんできてね』

 思わず、その言葉が出た。

『がんばってね』ではなく。


 前に、想太のお父さん、圭さんの舞台の前に、想太のお母さんが、そう言っていたのをふと思い出したのだ。


『がんばれ』という言葉は、もうすでにめちゃくちゃがんばっている人に、言える言葉じゃないと思った。少なくとも、私に言える言葉じゃない。


 想太は、すごくがんばっている。しかも、その努力も緊張も、楽しいと言えるくらい、前向きな気持ちでいる。

 そしたら、私に言える言葉は、『楽しんで! いい時間を過ごしてね』、それだけかなと思ったのだ。


 そう言いつつ、私は、心の中では、繰り返していた。

(想太、がんばれ! がんばれ! めっちゃ応援してるからね。想太。……大好きだよ!)

 私の『大好き』にどれほどの効き目があるのかわからないけど、いっぱい応援してるって気持ちは、きっと想太を守ってくれる、そんな気がする。

 

 その晩、私は、自分がオーディションを受けに行くわけでもないのに、なんだかドキドキして、なかなか寝付けなかった。羊を何匹数えても、眠れなくて、何度も寝返りを打った。(想太は、ちゃんと眠れてるのかな? どうかしっかり眠れていますように)

 そうやって祈っている間に、いつの間にか、私も眠っていた。

 


 翌朝、目覚めるとすぐ、私は想太にスタンプを送った。ポンポンを持って応援している、パンダのスタンプだ。何もしてあげることはできないけど、せめて、想太の好きなパンダで、応援しよう。

 少ししてから、同じパンダがガッツポーズをしているスタンプが、想太から返ってきた。

 

 

 想太に『行ってらっしゃい』のスタンプを送ったあと、やっぱり落ち着かなくて、気分を切り替えようと、私はピアノを弾いていた。

 そして、弾きながら、私は気づいてしまった。私が、これほど落ち着かない気持ちになる理由に。


 今回のオーディションは、想太の夢への第一歩になる。そして、その一歩は、きっと大きい一歩になるだろう。

 想太は、きっと合格するはず。こんなに可愛くて、カッコよくて、歌もダンスもピアノもできて、誰からも好かれている、想太。

 人から愛されることって、アイドルには、一番必要な才能だろう。それを持っている、そんな想太なら……きっと。

 

 今まで、うちの学校の中だけのアイドルだった想太が、本格的にその道を進み始めたら、もう、うちだけの存在じゃなくなる。そしたら、今までみたいに、私がそばにいることは、できなくなるかもしれない。いや、たぶん、できない、と思う。


 彼の合格を祈りながら、一方で、さみしいと思ってしまう自分がいる。


(ごめん、想太。私は、自分勝手だ。こんな気持ちで、応援してるなんて、言えるの?)

 

 2人で弾いた連弾曲の、1人分のパートだけを繰り返し弾きながら、私は、心の中で、何度も、ごめんとつぶやいていた。



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