馬鹿者
普段は理系の学生が行き来しているはずの廊下には、幾つもストレッチャーやら簡易ベッドが並べられていた。
その上に寝ているのは、どう見ても重傷な人々。
だが、鎮痛剤が効いているのか想像以上に静かだった。下の喧騒がよく聞こえるほどだ。
オークリーは、廊下の中ほどのストレッチャーに寝かされていた。毛布に包まれ、腕には点滴の管が繋がれている。
「……酷い低体温症でしたっけ」
ここまで連れてきた女医に、容態を確認する。
「そうです。絶対安静ですが、話すぐらいならなんとか」
俺達の声が聞こえたのか、オークリーが目を開ける。
「アカ……ヌマさん……」
か細い声だ。この場で命を繋ぐのが、やっとなのではとすら思える。
「よう」
「生きてたんですね……」
「それはお互い様だろ。お前、今の今まで、なにやってたんだ」
「仕事ですよ、仕事。これから起きるであろうことに備えて、調査してたんですよ。……結局、防げませんできたけどね」
自嘲げに笑おうとしたのだろう。しかし、彼女の表情筋は溶けていないようで、僅かに口角が上がっただけだ。
「で、何調べてたんだよ。軍隊がうようよいた街で」
「……事態があそこまで進行してしまっては、犯人の目的を探るのは時間の無駄です。なので、犯人がどう動こうとしているかを探って……それをアカヌマさんに、伝えようと思ったんですよ」
「なんで俺なんだ?
自分で言うのもナンだが、俺なんて腕っぷしが立つだけの元自衛隊員だ。ISSに入ってから、事件捜査に関わってはいるが本職には負ける。
俺に伝えたところで、せいぜい班長に報告するのが関の山だ。
しかしオークリーは強張ったままの表情で、自信ありげな声で。
「それは、アカヌマさんが真に信頼できる仕事人だからですよ。」
「信頼、ねぇ……」
たかだが数日の付き合いでそこまで信頼を寄せられるというのは、気味悪いを通り越して気持ち悪い。
「真っすぐで、正義感に溢れていて、いつも血が滾っているのに、たまに目に優しい光が宿る。……数日の付き合いでも分かるぐらい、アカヌマさんは良い人なんですよ」
オークリーの人物評は、当の本人からすれば的外れもいいところだった。弱くて、感情的で、兇暴。これが俺の自己評価だ。
「……それで?」
しかし、ここを突っ込んでもしょうがないので話を進める。
「地上は警察や軍隊でいっぱい、空も軍や警察のヘリでいっぱい、海も沿岸警備隊や秘密裏に出動してる海軍の警戒網に引っかかります。残るは、地下しかないでしょう」
読み自体は当たっている。
「マンハッタンの地下と言えば地下鉄ですが、鉄道以外にもハイウェイの地下トンネル、上下水、ガス、通信ケーブル共同溝に加え、それらのメンテナンス用の通路もありますし、ホームレスが住み着いている用途不明の地下空間もあります」
「ちょっと身を隠すには、うってつけって訳か」
「ええ……。それで私は、市の都市交通局に行きました。地下の図面を手に入れるために。けど、手に入りませんでした」
「なんでだ」
「棚から綺麗さっぱり無くなってました。おまけに、図面の管理担当者は、数日前に地下鉄に飛び込んで自殺したそうです」
思わず、顔面の筋肉に力が入る。
「なに?」
「遺書も何もなかったそうですが、状況は自殺で間違いありません」
「口封じじゃなくてか」
「……気になったんで、ちょっと調べてみたら、銀行口座に多額の振り込みがありました」
「報酬、か……」
「担当者には、大学進学を控えた娘がいました」
「多額の学費か。アメリカの学費は国公立、私立問わず高いからな」
アメリカの奨学金は条件が厳しく、学費ローンで借りたとしても多額過ぎて返しきれるかは怪しい。
「更に、担当者には多額の生命保険が掛けられていました。……妻と娘の当面の生活費と、四年間の学費なら賄えるくらいのね」
「……自殺で入るのか? 生命保険」
「十年以上前に掛けた保険です。免責期間は終わってます」
「……続けてくれ」
「地下路線の工事を施工した建設会社を回って、なんとか断片的ですが図面を手に入れ、地下に潜りました」
「んで、成果は?」
「図面になかった空間に並べられた大量の武器弾薬と、白いプラスチック爆弾。そして、多くの戦闘員らしき人影」
「ほぅ」
「探ったところ、その空間は工事作業員の休憩所として作られ、電気も水道も通っていました。そして、戦闘員の連中はブルックリンやニューアークと繋がってる地下トンネルから連中は来たそうです」
「州の外の人間か」
「南部とテキサスの訛りが多かったです。あと、これは個人的な印象になりますが……」
「言ってみろよ」
「スラングや下ネタを多用していて、馬鹿丸出しで田舎者っぽかったです」
俺はそのストレートな物言いに、思わず吹き出しかける。そんな反応が面白かったのか、オークリーは個人的印象を付け足した。
「いっちょ前に星条旗付きのキャップ被ったレッドネックや、金にしか目が無いホームレスばかりでした」
静かに頷いた俺は、彼女に合わせ皮肉気に言う。
「とてもじゃないが、こんな状況を作り出す作戦を考え付くとは思えない連中か?」
「ええ。その通りです」
その後に彼女が語ったのは、電気が消えた地下での大立ち回りと低体温症の恐怖だったが、俺の意識は既に別の方向に向いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます