黒き使者

 またマンハッタンの地を太陽が照らした。

 ただ、その地にあるのは平和ではなく、戦いの跡だった。

 地面には大小様々な金色の空薬莢が転がり、幾つもの弾痕が空いた車が黒い煙を上げている。

 戦いの過程で生まれた死体は、魚河岸の鮪のように路肩に並べられている。そこに民間人、兵士の区別はなく、中には年端も行かぬ子供の物まであった。

 早くも死体の上にはハエが周回し、肉が腐るのを待っていた。気が早いものは、頬に止まって楽しみを表すかのように手をこすり合わせている。

 街に人気はない。

 火薬や鉄の臭いと、腐敗臭とはまた一線を画す死の臭いが辺りに立ち込めている。

 そこから少し行った先の交差点。その真ん中には、燃料切れで放置されたM1エイブラムスが砲塔を真横に向けたまま鎮座している。砲塔上にある重機関銃と、主砲と同軸の機関銃の弾は無く、燃料が切れた後も戦っていたであろうことが伺えた。

 車体には血しぶき飛んで奇っ怪な模様を作っており、そばには血の手形も添えられている。下には戦車兵の無線マイク付きヘルメットが転がっていた。

 主砲の先に一羽の鳥が止まった。それは、頭から尾まで真っ黒なカラスだ。

 カラスはしきりに首を回し、周囲を見渡した。

 廃墟同然のビル、放置された車の数々、そして並べられた死体。

 彼は死体に目を留めたが、凝視するようなことはせず、静かに逡巡するように目を閉じた。

 それから、彼は主砲から飛び上がった。黒い羽が一枚、身体から落ちアスファルトの上に着地する。

 彼は羽を羽ばたかせ、北へと飛んでいく。

 マンハッタンの古参で死の街の墓標と化しているエンパイアステートビルの脇を通り抜け、人々の死体が各所で折り重なっているタイムズスクエアを抜けたカラスが羽を止めたのは、セントラルパークの真ん中に建つ東屋の屋根だった。

 つい数時間前には軍の移動司令部として機能していた場所だが、今はならず者テロリスト達のたまり場となっていた。

 ならず者達は武器を持ち、略奪品を品定めし、昨晩犯した殺人を武勇伝として語ってる。まさに、外道の衆ら。

 口では文明人を気取っているが、本質的には山賊と変わりない。

 下衆な人間から目を背けるようにクチバシを北西へと向け、彼は再び飛び立つ。

 大空に舞う彼の視線の先にあるのは市立大学の校舎だ。

 彼がまた羽を休めたのは、ある校舎の側に生えていた一本の樫の木だ。枝から校舎の中が窺える。

 窺える部屋には、多くの人々――ISS本部強襲係が眠っていた。

 彼が目に留めたのは、壁に寄りかかって毛布に包まって寝ている二人だ。金髪をウルフカットにした若い女と、黒髪を短く刈ったガタイのいい男。

 安らかな寝顔とは言い難いが、二人ともぐっすりと寝ていた。

 カラスは二人がどういう人物か知らない。

 名前はおろか、年齢も性格も好物も、二人がどうして修羅の道を歩むに至ったかも、出会ってからどういうことを経験してきたかも、何も知らない。

 だが、カラスは鳥類で一番頭が良い。諸説あるが、知能は人間の七歳程度あるという。

 人の善性を見極めるには、十分な年齢だ。

 彼は鳴いた。ひときわ大きい声でだ。外にいた何人かが顔を上げ、彼を見た。


「よく鳴くカラスだなぁ」


 兵士の一人が、眠そうな目をこすりながらぼやく。

 それに反応するかのように、彼は枝を離れ、大学の敷地から出た。

 彼から見て西の方。ハドソン川の河川敷から、チヌークやオスプレイなど色々なヘリが離陸する。白やグレーの機体には、「Air Force空軍」や「Marine海兵隊」と書かれている。

 しかし乗っているのは、完全武装の兵士ではなく、不安げな眼差しの民間人である。軍隊が民間人の避難を開始したのだ。

 更に北の方からは、何台ものトラックが列を成して走っている。

 荷台に乗っているのは、負傷兵と中身が入った死体袋だ。トラックにいる者は、生死問わず一様に死んだ魚のような眼をしている。

 実際に死んでいるか、そんな目をするまで疲れ果てているのだ。

 そんな光景を見下ろしていたカラスは、周囲を二・三度旋回してから、南へと戻っていく。

 市立大学を過ぎ、軍が定めた最終防衛ライン沿い。

 そこのある地下鉄駅の階段で、彼は足を止める。足の先には、一人の女性が倒れていた。

 パンツスーツを身に着けているが全体的に薄汚れており、そこかしこが破け、擦れてけば立っている。しかも、大雨に振られたかと思うほど全身びしょ濡れ。肌は水でふやけ、青白い。

 右手にホールドオープンしたグロック22を握り、ベルトには壊れたL字型の懐中電灯が挟んであった。

 つい先程まで戦っていたかのようだ。

 カラスは彼女をクチバシの先で突いた。


「う、うぅ……」


 微かなうめき声を漏らす。声を聞いたカラスは、もう一度大きな声で鳴いた。

 何度も何度も鳴いた。

 すると、防衛戦から二人の兵士が駆けてくる。兵士は女性を見つけると、無線を手に取った。


「要救助者発見! 担架を持ってこい!」


 カラスは女性が兵士に抱えられたのを確認すると、空へと消える。

 抱えられた拍子に、女性の懐から身分証が落ちる。

 もう一人の兵士がそれを拾い、中身を確認した。ハッジにはFBIとあり、氏名はリサ・オークリーと記載されている。

 顔写真は救助された女性で間違いはなかった。

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