太平洋を隔てて

 日本国。青森県航空自衛隊三沢基地。

 この基地には、航空自衛隊の北部航空方面隊北部航空警戒管制団が置かれている。

 警戒管制団というのは、各所に設置されたレーダーサイトを監視し、領空侵犯しそうな国籍不明の航空機を見張り、場合によっては近隣の航空団にスクランブル発進の発令をする機関だ。

 令和四年度版の防衛白書によると、2021年の空自機によるスクランブル回数は1,004回。内訳としては、中国機に対し722回、ロシア機に対し266回、その他16回だ。

 一日に三回ほど、スクランブルが行われている計算になる。

 警戒管制団は日夜、日本の空へ無断で立ち入ろうとする不届き者に目を光らせているのである。


 赤沼が遠く離れたNYの地で、火傷の中佐の言葉を聞いている頃。

 北海道、奥尻島分屯基地に配置された第29警戒隊のレーダーサイトが防空識別圏に侵入した三つの国籍不明機を捉えた。

 直ちに三沢の北部航空警戒管制団司令所へ連絡が入る。

 民間機でないことが確認されると同時に、北海道千歳基地の第2航空団第201飛行隊にスクランブルが発令される。

 千歳基地待機所の赤電話ホットラインが鳴り響き、「HOT S/C」のランプが光る。パイロットや整備員が駆けだす。

 深緑色のフライトスーツを着たパイロットが、F-15J戦闘機に乗り込み、酸素マスク等の装具を身に着けていく。

 整備員が梯子を外し、機体を手際よくチェックし発信準備を整える。

 一分ほどで、甲高いエンジン音を奏でながら二機のF-15Jは滑走路へ出た。

 そして、イーグルはアフターバーナーをふかしながら大空へと飛び立っていく。


『こちら防空指揮所、エルフ各機へ。unknown国籍不明機は、進路120、速度720ノットで進行中。国籍確認、写真撮影の後に警告を実施せよ』

『エルフ、了解』

『エルフ2、了解』

『防空指揮所、こちらエルフ1。現在、高度32000』

『エルフ、こちら防空指揮所、誘導を開始します』

了解ラジャー

『高度そのまま、方位310へ転回せよ。unknown、領空進入まで70マイル約112キロ


 二機のF-15Jは順調に飛び続け、北海道上空から日本海上空に出る。


『エルフ、こちら防空指揮所。同高度、方位110方面に、機影が見えないか』

『防空指揮所、こちらエルフ1。機影を三つ確認。これより、国籍と機種を確認する』

『了解』


 コールサイン「エルフ」が確認したのは、Tu-22M戦略爆撃機が一機とMiG-29戦闘機が二機。それらは尾翼と両翼に赤い星のマークがあり、ロシア空軍所属機であることが分かる。

 ミグは二機ともR-27空対空ミサイルを装備しており、ツポレフも機体後部の砲塔にGSh-23機関砲が付けられている。

 これを見たイーグルドライバー達は、嫌な予感を抱いた。

 仮想敵国を挑発しに行く都合上、武装するのは当然だが、今日のそれはいつもと違って見えたのだ。

 ルーチンワークのではないことに。


『防空指揮所、こちらエルフ1。機影は、Tu-22M戦略爆撃機が一機とMiG-29戦闘機が二機の計三機。いずれも武装しておりますが、ツポレフが爆装しているかは不明です。続けて、写真撮影に移ります』


 しかし、相手がどうであろうが、やるべきことはやらなければならない。

 エルフ1のパイロットは懐からデジカメを出し、三機を撮影する。


『防空指揮所、こちらエルフ1。只今より、警告を開始します』

『エルフ1、こちら防空指揮所。了解。対象が領空侵犯するまで、残り30マイル約48キロ


 国際緊急周波数121.5MHzから、エルフ1のパイロットはまず最初に英語で警告を発した。


『アテンション、アテンション。我々は航空自衛隊である。飛行中のロシア空軍機に告ぐ。現在、貴機は日本の領空に近づいている。直ちに反転せよ、繰り返す、直ちに反転せよ』


 無線は届いているが、ツポレフもミグも反転する気配はない。


『防空指揮所、こちらエルフ1。警告一回目終了、対象機三機とも変化なし。警告を続けます』

『エルフ1、こちら防空指揮所。了解』


 パイロットは続けて、ロシア語で警告する。


『オブニマーニャ、オブニマーニャ。我々は航空自衛隊である。飛行中のロシア空軍機に告ぐ。現在、貴機は日本の領空に近づいている。直ちに反転せよ、繰り返す、直ちに反転せよ』


 ロシア語の警告も無視。三機は飛び続ける。


『防空指揮所、こちらエルフ1。警告二回目終了、しかし、対象機三機とも変化なし。警告を続けます』

『エルフ1、こちら防空指揮所。了解。領空まで残り10マイル約16キロ


 このタイミングで、コールサイン「エルフ」のパイロット達が無線を介して話す。


「しぶといな」

「爆撃機に護衛機まで付けてるんだ、10マイルごときじゃ引き返さんだろ」

「元KGBのクソハゲめ。兵隊の教育がなってないぞ」


 文句を言っても、三機は止まりも引き返しもしない。警告を繰り返したが、とうとう領空を侵犯した。


『エルフ1、こちら防空指揮所。現時刻をもって、対象三機を領空侵犯機と認定する。所定の警告を行え』

『了解』


 エルフ両機は翼を振り、ミグ達へ警告する。


『警告、警告。貴機は日本国の領空を侵犯している。我の指示に従い、速やかに領空から退去せよ、繰り返す、我の指示に従い速やかに領空から退去せよ』


 更にエルフのパイロットは、F-15Jのバルカンを用いての警告射撃を行う。

 20ミリ曳光弾の帯が空に輝く。ここまでしても、ミグもツポレフも帰る気配を見せない。

 自衛隊法において、領空侵犯機に対する行動は進路変更を促すか、強制着陸しかない。撃墜は国土国民への攻撃が認められたか、攻撃を受けた際の正当防衛でしかできない。

 つまり現状、その三機をただ飛ばすしかできないのである。


『警告、警告。貴機は日本国の領空を侵犯している。我の指示に従い、速やかに領空から退去せよ、繰り返す、我の指示に従い速やかに領空から退去せよ』


 何回目かの警告をした時。不意にミグがロールしたかと思えば、エルフ1のコックピット内にアラーム音が響く。

 それはミグがF-15Jを空対空ミサイルのターゲットとして、ロックオンしたことを示す警告音だ。


「背後に回られた! ミサイルロック!」


 二機のF-15Jは回避のために急上昇する。猛烈にGが掛かる中、パイロットはミグとツポレフが針路をロシア側へと取ったのを見た。


 結局、ロシア空軍機はそのまま日本の領空から出た。

 しかし、あのまま領空を進んでいれば、空軍機は針路からして三沢の米軍基地上空に飛来していた。

 日本と米国を同時に挑発する行為は、これまでの侵犯行為とは一線を画している。

 防空指揮所の人々は、JADGE自動警戒管制システムのモニター画面と無線で一連の動きを見ており、嫌でも軍事のパワーバランスが乱れているのを思い知った。

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