煙草休憩

 戦闘はマンハッタン島の南側で集中しているらしい。細切れに流れる無線を聞く限り、治安部隊は反乱や指揮系統の混乱から劣勢に立たされているようだ。

 士気の高い部隊は前線となっているタイムズスクエア周辺へと赴いているようだが、大半の部隊は敗走にしろ戦略的退却にしろ、市立大学へと下がっている。

 腕時計を見る。時刻は八時を少し回ったところだった。

 周囲を見回す。通りは避難民で溢れていた。

 避難民と言っても、着の身着のままの住民というよりか、仕事を休めなかったサラリーマンが多い。

 なんかのジョークか小説で、「たとえ第三次世界大戦が勃発して、東京に核が落とされようとも日本人は仕事に向かう」と生真面目さと習慣を慮る国民性を嘲る文を目にしたことがあるが、どうやらそれはアメリカ人も同じらしい。

 それと同じことか市警本部は占拠されてその機能を停止したが、警察官全員が死んだわけじゃない。

 警察官がおそらく自主的に誘導棒を振り、交通整理をしている。パトカーの車載無線に「応答願う」と話しかけている者もいるが、雑音しか返ってきていない。


(軍も警察もガタガタ。完全にしてやられたな)


 幸いなのは、数はこちら側の方が勝っていることだろうか。劣勢でも、ここまで敵がなだれ込んできてないのが、なによりの証拠だ。

 戦術もクソもない、数でのゴリ押し。

 だが、退避中の身としては敵の心配をしなくていいだけ安心できる。

 こちらとしても、自分達と避難民の世話でいっぱいいっぱいだ。

 そんなそばから、何人かの避難民が縋り付いてくる。


「赤沼大尉! 怪我人です、トラックに乗せますか?」

「ああ、さっきも言ったように、女子供と怪我人が優先だ! 他は悪いが、歩かせろ」

「大尉、もうトラックには乗りませんよ」

「詰めて乗せろ。ゴネるようなら、あと二・三キロの辛抱だと、説得しろ」

「分かりました」


 マンハッタンの人口は、おおよそ百六十万人。軍の治安出動のゴタゴタで、半分近くの人間が逃げたとしても、八十万人の人間が残っている計算だ。

 政令指定都市の人口と変わらない数だ。

 そんな数の人間を一度に避難させるなど、前例もマニュアルもない。それに、この混乱では実行するのは難しいだろう。

 マンハッタン区内に空港はない。避難民を安全圏に移すとなれば、大型ヘリによるピストン輸送と中・大型バスによる輸送しかない。

 だが、バスの場合は路線バスも接収したとしても数が少ない。

 しかしながら、陸軍だけでなく、海軍や空軍や海兵隊もヘリを出してフル稼働させても一週間以上は掛かるだろう。ヘリ一機に四十人乗れると仮定して、八十万人の人間を運ぶには単純計算で二万機のヘリが必要になる。

 バスなどの車両を使ったとしても、何十万という数は変わらない。いくら米軍いえど、ヘリも何万機は揃えられない。


(……市民が避難しない限り、大規模な戦闘は難しいな)


 振り向けば、南の空は紅く染まりかけていた。

 日が昇る時間でも方角でもない。戦闘によって、火災が起きているのだ。消防も機能せず、燃えるがままなのだろう。

 

「……燃えてる」


 マリアは悲しみに満ちた目で、その空を見上げている。


「……………………」


 俺は何も言えなかった。



 最終防衛ラインとなっているウェスト125番ストリートには、急ごしらえのバリケードや50口径重機関銃の銃座が備わっていた。

 兵士が緊張の面持ちで歩哨に立っている。バリケードの内側では市民が家族や友人と再会したり、名を呼んで探している。


「市民の皆さんはこちらへ!」

「大学の体育館を開放しています」


 軍の発電機が稼働しているらしく、最低限ながら大学には文明の光が灯っていた。

 俺とマリアは、車両に乗せて連れてきた怪我人などを救護所に案内する。

 俺達が運んだのは比較的怪我が軽い人ばかりだったが、救護所には包帯をグルグル巻きにされた人や、血まみれで浅い呼吸を繰り返している人もいた。

 そこに兵士、一般市民などの属性も、年齢も性別の区別はない。

 ただ生きている者と死す者がいるだけである。

 キリスト教徒に念仏が効くかはことだが、俺は心の中で念仏を唱えた。

 それから、俺とマリアは他の同僚達と合流する。

 聴けば激戦地から少しとはいえ離れていたおかげか、ISS本部の面々はほぼ無事に避難できたらしい。機密情報もワシントン支部にバックアップを送信した後に、物理的に消去できた。

 しかし物資は運び出すのに時間が掛かるため、放置したままのようだ。


「使われないことを、祈るのみだな」

「武器弾薬は、米軍に借りるしかない」

「軍に貸しを作るのは嬉しくないが、仕方ない」


 軍みたいに戦車やら攻撃ヘリがないだけマシに思えるが、弾丸一発と発射する銃さえされば人を簡単に殺せる。自分達の弾がテロに使われる可能性は、否定できない。

 不安だけが積み重なっていき、精神を蝕んでいく。

 おまけに懸念していた不安が形と成り、それでいて原因が分からないままだ。


「酒でも飲まねぇとやってらんねぇよ」


 溜息交じりにぼやくと、マリアがパーラメント煙草のパッケージを差し出した。


「……煙草ならあるよ」

「いつの間に」

「禁煙は失敗だね」

「二年近く我慢したんだ。上出来だろ」


 いつぞや口にした安煙草とは、比べ物にならないニコチンの味だ。


「沁みるな」

「ね」


 街路樹に二人揃ってもたれかかり、紫煙を吐き出した。

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