ハウマッチ
戒厳というのは、有事または有事に準ずる事態に際して法律や憲法を一時的に停止させ、司法権と行政権の一部ないし全てを軍隊に委託することを指す。つまり、軍に国の運営を一部任せるのだ。戒厳令というのは、そのことを記した法律のことだ。
だが、米国憲法において非常法は存在しない。仮に戒厳令を布告しても、それを仕切る法律が存在しないということだ。
何でもありに思える戦争にすらルールがあるのに、今、マンハッタン区に展開する兵士はルール無しで戦場に放り出されたようなものだ。
そして、個人主義と自由主義の権化たる米国において、人権はどのようなことがあっても厳守される。アメリカ合衆国憲法1条9節2項「人身保護令状の特権は、反乱又は侵略に際し公共の安全上必要とされる場合のほか、これを停止してはならない。」にあるようにだ。
しかし現状況は侵略ではなく、反乱かも判断がつかない。
つまり、この状況において軍はその力を市民や霧の向こうの敵に使うことも許されないまま、立っていることになる。
目的のない軍隊は瓦解する。
軍の組織は、敵と戦うために作られたものだ。その目的が達成できない、もしくは備えることが許されなければ、瓦解してしまう。
それが世界最強のアメリカ軍だったとしてもだ。
マンハッタンに米軍が展開してから二日目。
俺とマリアは食料品が詰まった段ボール箱を、バンに積んでいた。
米軍が展開すると同時にISS本部に所属する者に対して、無期限の本部内待機が命じられた。シャワーや休憩室や仮眠室があるので、泊まり込むのに不自由はないものの、飯の問題がある。
個人個人でスーパーに買い物に行くわけにもいかないので、問屋に平和的協力を願い出て特別に食品を融通してもらっているのだ。
そんでもって、当番制でそれを受け取りに行くようになった。
「これで最後」
「あいよ」
開けっ放しにしていたトランクを閉め、車に乗り込む。
マリアと狭い空間で二人っきりになれるのは嬉しいが、それを素直に喜べる状況ではない。
大通りに出れば、嫌でもカービン銃を持った兵士や戦車が目に入り、仮にも今が有事であることを思い知らせてくる。
「これから、どうなるんだろうね」
マリアがポツリと漏らす。これまで気丈に振舞っていた彼女だが、来るところまで来てしまった現状に参りかけているのだろう。
付けたままのラジオからは、不穏なニュースが流れている。
下がる一方のドル。米国全土で起こりつつある、物資の買い占め売り渋り。そして、生えつつある暴動の芽。
そのくせネットやニュースの検閲も無く、危険人物への予防検束も無し。市民・経済活動に極力影響を与えない治安維持活動など、もはや妄言に過ぎない。
数日前の俺のように、不安に駆られても無理はない。なんと声を掛けていいか分からず、とにかく彼女の気を逸らそうと思ったことを口に出す。
「この状況も長くは続かないさ」
「……どういうこと?」
俺は顎で、M1A2戦車を示した。
「エイブラムスって戦車は、ガスタービンエンジンを使ってる。小型で軽くて、パワーも出るが、如何せん燃費が悪い。一リッターあたり、二百メーターちょっとしか進まない」
「そんな少ししか!?」
マリアが素っ頓狂な声を挙げる。俺もこの話を初めて聞いた時には、同じような反応をした。主力戦車というのはとかく燃費が悪いものだが、エイブラムスはその中でも最も有名かつ悪名高い。
「アパッチやらチヌークやらのヘリもそうさ。燃料を垂れ流して、空を飛んでるに過ぎない。トラック類はそれに比べりゃマシだけど、このバンと比べたら圧倒的に悪い」
「………………」
「隊員達のメンタル面もそうだな。いつ終わるか分からない状況の中で、寝心地悪い床やらトラックの荷台やらで寝かされる。演習の一日二日ならまだしも、一週間、一か月ともなってくると、ストレス溜まるぜ。体調崩す奴も出てくるだろうな」
「………………」
「トドメは、飯だな」
「飯?」
「お前、戦時下の兵隊が一日に何食食うか知ってるか?」
「基本の三食に、おやつ入れての、四食」
「惜しい。夜食入れての五食だ」
「結構、食べるね。……って当たり前か、軍人さんって本来はあちこちライフル持って走り回るものだし」
「その通り。腹が減っては戦は出来ぬだからな。まぁ戦闘が起きていないから、まだレーションには手が出してないだろ。あれはあくまでも、戦闘中にサッと食うためのものだからな。だから、何処かの広場で野外炊具動かして飯作って、各部隊に配ってるはず。おやつや夜食は市販のクッキーやらクラッカーでどうにかなるにしても、三食はキッチリと作らないといけないからなぁ」
飯というのは、食うのは楽しくても作るのは面倒くさい。しかし、食わなかったりおざなりにすると後々辛い目に遭う。
「それでだ、お前、今まで俺が言ったものに掛かる金はナンボすると思う?」
「えーと、燃料代と食費?」
「その二つと、兵隊に掛かる諸々の金だな。給料や医療費とかだ」
マリアは少しだけ考えてから、怒ったように言う。
「……見当もつかない。とにかく、沢山ってことだけは分かる」
「まぁ、何千万ドルじゃ済まない金がたった一日で消えるわけだ。しかも、これって戦闘せずにただ町中に駐留しているだけでだぜ」
彼女の顔が真っ青になる。
「けれど、政府の連中だってアホじゃないんだ。このくらいの金勘定ぐらいはしてるだろうさ。そんでもって、安いと判断したんだろ」
「何と?」
「世界の警察という立場の価値を失うよりさ」
自分でも驚くぐらい冷たい声が出た。もしかしなくても、オークリーの奴に毒されたのだろう。
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