奇妙な有事

 翌日。

 大統領がニューヨーク州ニューヨーク市における非常事態宣言を発令した。

 同時に、同州と近隣の州に駐留している陸軍駐屯地に出動命令が下り、ニューヨーク州兵と大西洋方面第1管区沿岸警備隊は連邦軍の指揮下に組み込まれ、同様に出動命令が下る。


『陸軍の治安維持出動に際し、ニューヨーク州内で大規模な交通規制が行われます。幹線道路付近にお住いの皆様は、軍の配備が終了するまで警察もしくは州政府の指示に従ってください』


 ニュースでこんなことが報じられる中、兵隊達は移動を開始する。

 各駐屯地のグラウンドには仮設のヘリポートが作られ、「H」のマークや発煙筒目掛けて、ヘリが集結する。

 CH-47チヌーク輸送ヘリとUH-60ブラックホーク汎用ヘリには、フル武装の歩兵部隊が乗り込み、空へと羽ばたく。

 高速道路をストライカー装甲車やハンヴィーにJLTV、トラックが爆走する。

 移動開始から数時間後。

 輸送隊の第一陣が、セントラルパークや川沿いの公園やビルの屋上に到着し、マンハッタン区内への展開を開始した頃。

 少し離れたジョン・F・ケネディ空港の滑走路には、次々と輸送機が着陸しだした。

 C-5ギャラクシーC-17グローブマスターC-130Jスーパー・ハーキュリーズと、中大型問わずだ。

 どれも空軍のものであるが、今回の出動で用いられる大量の兵器や物資を輸送するには使わざるおえなかったのだ。

 輸送機から降ろされたのは、武器弾薬や食料といった消耗品。そしてM1エイブラムス戦車やM2ブラッドレー歩兵戦闘車、M3ブラッドレー騎兵戦闘車などの装甲車両だ。

 それら装甲車両は滑走路からそれぞれの配置地点まで、本来であれば戦車運搬車によって運ばれるのだが、なんと自走して向かいだした。

 交通規制によって生まれた渋滞にハマった運転手達が、その雄々しいフォルムに呆然と見惚れる。

 ただの治安維持名目の出動であれば必要ないはずの戦車であるが、今回に限っては理由があった。

 国内有数の大都市でされるがままにテロを起こされたままでは、国の威信に関わる。というか、既に「アメリカなどおそるるに足らず」と騒いでいる連中は世界中にいた。

 舐められっぱなしではいられない、俺は強いんだ、凄いんだと、国民や世界に示すために、わざわざ連邦政府は大飯喰らいの戦車を引っ張り出してきたのだ。

 聞けば呆れる理由なのは間違いないが、そうしなければならないのが国家運営なのだ。

 こうして車両類や兵隊がほぼ集まりかけた頃、マンハッタンの空にAH-64アパッチ攻撃ヘリが編隊を組んでやってきた。

 数日前こそ悪やテロの象徴として扱われていた機体であるが、人間現金なもので味方として来てしまえば口々に「頼もしい」と言う。

 こうして丸一日でマンハッタン区は、米陸軍の装備品見本市と化した。

 無いのは榴弾砲やロケット弾発射機ぐらいなものだ。

 その様子を目撃したニューヨーク市警の警官達は、悔し紛れに「軍の示威行為」だと吐き捨てる。無理もない。彼等からすれば、お鉢を軍に完全に奪われてしまった形になるのだから。


 セントラルパークに移動司令本部が設置され、通信車両やら指揮車両やらテントやらで芝生は埋め尽くされる。


『A-14から各員通達』

『移動終了。配置確認せよ』

『到着順で燃料補給を開始』


 無線が各所からひっきりなしに入り、それらのノイズはスーパーの有線放送にすら混線しだす。

 地下鉄の構内にはカービン銃で武装した兵士が立ち、雨風を地下で凌いでいるホームレスを銃口で小突く。

 大通りには装甲車や戦車が鎮座し、その存在を誇示する。

 それ故か、観光客や市民がエイブラムスやストライカーを写真に収めようとした途端、MPの腕章を付けた強面のおっさんがすっ飛んできて、パスポートの提示や写真の削除を求めてきてトラブルになったというケースも、一つや二つではなかった。

 また、市庁舎などの重要施設には臨時の警備隊が配置されることになっているのだが、警察施設においては「自分達の身は自分で守れる」と一部の警察幹部が反発して、やってきた兵士を追い返してしまうこともあった。

 警察署によっては、殴り合い、下手すれば撃ち合いにも発展しかねないことも起きる。

 当然、それらの報告は市警のお偉方に届くのだが、市警副長官が数日前に倒れた都合上、長官に報告が集中する。そんなストレスもあってか、とうとう長官も泡を吹いて緊急入院するハメとなった。

 結局、警察委員(日本でいう公安委員会)から「連邦政府の命に従うべし」という通達が出され、警察署の前に兵隊がいるという奇妙な構図が完成する。

 それに対し、ISSは素直に従い、それどころか一階のロビーを兵士が自由に使ってもいいとまで言った。野宿の辛さを知っている、軍隊OB・OGの優しさだった。

 マンハッタン島を挟むようにして流れるハドソン川とイースト川には、沿岸警備隊の巡視船が級問わず浮かび、海からの来訪者を警戒する。

 殺気立つ陸と異なり、海は妙な呑気さが蔓延していた。川沿いの遊歩道から手を振る住民に、警備隊員も手を振り返す。


 敵の姿が見えず、目的も分からない奇妙な有事の始まりは、混乱と騒乱と僅かな安穏によって幕を開けたのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る