結局は自分

 警察署。中年刑事は取調べを俺に任せると言って、去っていった。

 俺を信頼しているとかではなく、時間が昼飯時だからだろう。去り際、「腹減ったなぁ」と呟いていた。

 あくまで彼が気になるのは事件の真相であって、犯人の言い訳ではないのだろう。

 犯人のプライベートな部分に触れて感情を揺さぶられてきた身としては、その考えに理解こそすれ、実際にされると腹が立つ。

 取調室に連れていくと、最初こそ「弁護士を呼べ」だの「人権侵害」だのわめいていたが、俺が腕組みしたまま黙って一時間ぐらい睨みつけたところ、観念したのか全てを吐いた。

 男は教員生活二十年以上の大ベテラン。

 つまり二十年以上も、若者を見てきたのだ。そして、時に人生相談を受けることもある。

 ただでさえ多感なお年頃。これからの人生に不安を感じたり、本人にとっては真剣でも冷静に考えるとどうでもいいことで「死にたい」と口にすることもある。

 男も昔は「自殺したらいけない」と言っていた。

 しかしそれでも、一人の教え子が自殺した。

 しかも、男の目の前で。飛び降りる際の顔は安らかで、死に顔は頭が潰れて判別できなかったという。

 そこからだった。男が「死が救いになる」と思うようになった。

 昔は直接、最近はメッセンジャーアプリを通じて不特定多数に向けて死が救済であると布教して、自殺幇助をしてきたという。

 最近でも八人、自殺の手伝いをしたらしい。


「――死んだら、この世の全ての苦しみから解放される。だから、私はやってきたんです」


 俺と向かい合う男は、話をこう締めくくった。

 息を大きく吐いてから、俺は口を開いた。


「死んだら解放される……確かに、論理的にはそうだろうな」

「でしょう」

「けどな、間違ってるよ」

「なにがです」

「全てがだ」


 机の上に置いた拳を握りしめる。


「人間ってのは、生きるべき生き物なんだ。生きるべきだから、生まれてくるんだ。そこにルールや法律や決まりなんてない、。それを、いくら自分で決めさせるからって、『死が救済』なんて言いやがって……」

「生きてるだけで苦しいのに、そこから逃げて何が悪いんだ!」

「悪いとは一言も言ってねぇ! 間違ってるって言ってんだ! 逃げても何してもいい! だが、死んだらこの世では何も出来ないんだよ!」

「………………」

「苦しい、死んでしまいたい、その気持ちは分かる。皆苦しいとか言われても、人間は自分の感情しか感じられないからな。それは戯弁さ。だから、死ぬことを選ぶことも分かる! だがな! 死んじゃいけないんだよ!」


 死んではいけないことに、ちゃんとした理由はない。だから何故、死んではいけないか説明は出来ない。

 強いて言うなら、死んでよければいつかこの世界から人間がいなくなってしまう気がするからだ。

 例え言葉が響かずに目の前で死なれてしまっても、俺は「死ぬな」と言い続ける。

 それが俺に出来る、生者のための行動のだと信じているからだ。


「……分からないな」

「そうかい。……別に、理解してほしい訳じゃないからいいがな」

「それは私もだよ。理解者が欲しい訳じゃない。……ただ、さ」


 男の言葉を聞き、俺は乾いた笑いをこぼした。

 皮肉なものだと思ったからだ。

 一人の男を諭して実行に移した言葉と、自殺の手伝いをしてきた奴から出た言葉が一緒なのが。



 素直に自供して、黙秘する気配もない。

 あらかた聞き終わった俺は、聞いたことを記録して後を警察に任せた。

 そもそも、自殺云々の調査は警察の管轄だ。中年刑事に手柄と後の手続きを押し付けて、俺は警察署を去った。

 ISSのオフィスに戻ると、デスクの引き出しに仕舞ってあるチョコバーをマリアが食べていた。


「……俺のだぞ」

「いいじゃん、チョコバーぐらい」


 そう言いながら、新しく開けようとした物を彼女の手から奪い返す。


「ケチ」

「食うなって言ってんじゃない。一言言ってから食えって言ってんだ、いつも」


 おやつとして仕舞ってあるチョコバーは貴重なエネルギー補給源だが、気が付いた時には袋が空というのも、一度や二度じゃない。

 俺が便所に行っている間とかに、マリアがコッソリとつまんでいるのだ。


「はいはい。今度同じの買ってあげるから、それで許して」

「食った奴の言い草じゃねぇな」


 とかなんとか言いつつ、俺はホッとしていた。戻るべき所に戻れたという気がしたからだ。

 しかし、心のどこかで引っかかっていることがある。

 俺が信じているものは、本当に信じていていいものか。

 甲乙付ける問題ではないのは分かっているが、自分を信じ切れるほど俺は自分を信用していない。


「なぁ」


 チョコバーを齧りながら、マリアに話しかける。


「なに?」

「生きるのが嫌になって、自殺しようとしてる奴が目の前にいたとして……お前は、それを止めるか?」

「勿論よ」

「……それで、その場で思いとどまってくれたけど、後日、結局そいつが自殺しちまったら?」

「……心理テスト?」

「真剣な話だ」

「うーん。……それは、しょうがないんじゃないかな」


 マリアは目を伏せ、語り続ける。


「私達がどうこう言ったって、結局は言われてる側が判断することだからさ。……私、目の前で死のうとしたら止めるけど、それ以上はどうにもできないよ。私は私、向こうは向こうなんだからさ。それに、責任の取りようもないしね」

「……だよな」

「私に出来るのは、『生きて』って言うことだけだよ」

「………………」


 言い終わったマリアが浮かべた表情は、悲しみに満ちた笑みだった。


「……だよな」


 俺は小さく息を吐き出し、頷いた。


「どうかしたの?」

「……いや、なんでもない」


 マリアは俺のつまらない言い訳を真に受けるような女ではないが、同時に。


「そっか」


 つまらない言い訳の理由を問いただすような女でもない。

 俺達はそのまま、お互いの仕事に戻った。

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