生者の行進

 着信音で叩き起こされたのは、草木も眠る丑三つ時から三十分過ぎた頃だった。

 こういう時だけ、着信音を騒々しいロックにしているのを恨めしく思う。

 布団から手だけを出して、携帯を引きずり込む。番号は個人のものではなく、「オフィス」と登録してあるものだ。


「はい、赤沼……」

『アカヌマか』


 電話を掛けてきたのは、強襲係の同僚だ。


「なんすか……。緊急招集っスか?」

『違う。……お前に客だ。緊急だと』

「誰ですか? 警察? FBI? 軍隊?」


 なんだかんだ色んなところで敵やら味方やらを作っているので、誰が訪ねてきても不思議ではない。


『どれも違う。若い男だよ、今日……いや、もう昨日か。とにかく、昼に会ったとか言ってるぞ』


 ものすごく心当たりがあった。こんな夜更けに訪ねてくる非常識性を小一時間ほど問い詰めたくなるような衝動に駆られるが、昨日の今日なのでよほどの事態が起きたのだと思い直してベッドから下りる。

 ジャンパーを着て、外に出た。

 眠らない街を走り抜け、本部のドアを開ける。

 人気の無いロビー。そこのソファーに座る、一人の男。


「アカヌマさん」


 ニット帽男が立ち上がった。もっとも、彼は今ニット帽を被っていないが。


「どうした。……こんな夜更けに呼び出しやがって」

「すんません。ただ、どうしても……助けてほしくて」


 出会ったばかりや今日の昼のような卑屈さはなく、純粋に困っているようだった。

 俺はまだ眠気が貼りつく顔を手で拭い、ニット帽男を見つめる。目が腫れぼったいのは、ご愛敬だ。


「なんだ」

「見てほしいものがあるんです」


 そう言ってニット帽男が差し出してきたのは、彼のスマホだ。

 画面に映し出される文字を読み、意味を理解すると同時に俺は絶句する。

 スマホの画面から、白い腕が伸びてくる幻覚が見えそうだ。広い海の底に佇み、仲間を欲して生者を引きずり込む亡者の如き白い腕が。


「お前……これ……」

「………………」

「……分かった。これは、俺達の領域だ」


 俺はニット帽男の肩に手を置いた。


「よく行動してくれた」

「うす……」

 

 彼は小さく頷いた。


「あとは俺に任せろ。……そんで、忘れるんだ。コイツのことを」

「はい」


 世の中には、覚えていても損しかしないことがある。これがその一つであることには、間違いないだろう。

 俺は「JD」のアカウントIDなどをメモして、アプリをアンインストールさせるとニット帽男を家へ帰した。

 その背中を見送り、大きな欠伸をしてから俺も家路についた。

 こんな夜中では、調査しようにも誰も彼も寝ているからだ。



 三日後。

 俺はパトカーの車窓から、ブルックリンの街並みを見ていた。摩天楼立ち並ぶマンハッタンと川一つ挟んだブルックリンは、どこか懐かしい空気が漂っている。

 パトカーを運転しているのは、ニット帽男の件で調書を取った中年刑事だ。


「まさかねぇ……」


 彼がポツリと呟いたので、俺は視線を彼の頭頂部へと向けた。


「なんです?」

「ちょっとね、ここんとこの連続自殺に疑問を持ってたんですよ……。それが、繋がってたんでね」

「……刑事の勘ですか」

「そんなもんです」


 「JD」のデータを元に開示請求をして、ついでにこれまでのログも露わにした。そこにあったのは、「JD」の自殺幇助の証拠。

 実際にやり取りしていた人物が自殺していたことから、逮捕状を請求するに足りるものだと判断し、逮捕状を持ったうえで馳せ参じようとしている。

 駐車場に車を停め、エンジンを切る。

 書類が入った紙袋を小脇に抱えて、建物の中に入った。

 ミリタリージャンパーにジーパン姿の俺とスーツ姿の中年刑事に、受付のオバハンは眉間にシワを寄せる。

 それを、身分証を突き付けて黙らせた。

 被疑者の居場所を聞き出し、そのまま進む。背後で「責任者を呼ぶ」という声が聞こえるが無視する。

 階段を登り、廊下を歩く。

 若者の声がそこかしこでしている。場所も場所なので、否応なしに昔を思い出す。


「それでは、授業を開始します」


 そんな声が漏れてきた扉を、勢いよく開ける。

 教室内の視線が一気にこちらへ向けられた。


「だ、誰ですか、貴方達は」


 ハゲ散らかした頭に、黒縁メガネと中年太り体型の教師が俺の前に立つ。


「……お前が、『JD』か」

「は、はぁ……?」


 教師の口から出た裏返った声は、ハンドルネームに聞き覚えが無いというよりも、突然ハンドルネームをバラされて戸惑っている感情が如実に表れている。


「自殺幇助でお前を逮捕する」


 紙袋から逮捕状を出し、印籠よろしく見せつける。

 教師の目が大きく開かれ、その身体が動いた。中年刑事が咄嗟に、扉の前へと身体をスライドさせる。

 俺の横をすり抜けようとするが、足を引っかけさせる。

 中年太りをそのままにしているあたり、運動能力はお察し。受け身も取らないまま、その場で倒れる。

 眼鏡のレンズが割れる音がした。


「ジタバタすんじゃねぇ!」


 刑事が腰に提げた手錠を抜き、教師の手首に掛けた。

 ブルックリンの一角に建つ高校。どよめきは他の教室にも伝播していっているようだった。

 駐車場にJDを連れて戻る。視線を感じて見上げてみれば、学校の窓という窓から生徒達が顔を覗かせていた。

 疑問や疑惑の表情を浮かべる者。好奇の視線を俺達へ投げかける者。携帯で撮影している者もいる。


(市中引き回しって、こんな感じなんだなぁ)


 どうでもいいことを思いつつ、俺はJDをパトカーに押し込んだ。

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