死への執着
休憩を終えて、俺達はまた歩き出した。今度は地下鉄の駅に向けてだ。
「結局、あーだこーだ言ったけど……死ぬ奴は死ぬ」
「………………」
「けどな、俺はそれを『ふざけんな』と思うと同時に『仕方がない』とも思っちまうんだ」
「え?」
「どうしたって、最後に決断するのは自分だからさ。俺はこうして話して、説得するしかない。それでダメだったなら、それまで。……悲しいけどな」
意志薄弱のフラフラ人間でもない限り、自分の決断は自分でするものだ。心理学において自由意志云々は存在しないだのと言われているが、専門外なのでそこは知らんぷりをする。
必死の説得も心に響かなければ、空気の振動に過ぎない。
空気の振動を受けて意思が揺らぐかと言われれば、答えはNO。
本当にそれまでなのである。
「……アカヌマさん」
「一応言っとく。――死ぬなよ」
「……もう死にませんよ。こうなったら意地でも編集部に行って、『そんなにオカマが好きなら、家に来て親父をファックしてもいい』って言ってやります」
ニット帽男の言葉に、俺はまた笑った。
ニット帽男もつられて笑う。その笑顔は、年相応のものだった。
地下鉄の駅の前で、ニット帽男と別れる。
もう会うことはないと思いながら、来た道を戻る。
その道中、たまたまあったゴミ箱に煙草と吸い殻を捨てた。ライターは、取っておくことにした。ニット帽男が確かにいたことを思い出すために。
自宅に帰ったニット帽男は、まず自分の部屋を片付けた。
それからネットでアルバイトを探し、残った財布の金で履歴書を買うことを心に決める。
短期的とはいえ、目的を決めれば心が軽くなることをニット帽男は思い知った。
飯を食べ、シャワーを浴びて、ヒゲを剃る。
いつもならこれごときでホッとすることはなかった。しかし、今自分がホッとしているのを自覚するニット帽男。
そして、寝る直前になって気が付く。
ISS本部で赤沼を待っていた時以来、スマホを弄っていないことに。
赤沼と再会してからはずっと話通しで、別れてからも身体の奥底から付きあがる情動に任せて行動していたので、携帯のことを今の今まで忘れていたのだ。
(……JDさんに、報告しておくか)
ニット帽男とJDの関係は、そう深くない。
ニット帽男が仕事を辞めた直後。ネットで愚痴を書き込んでいた時に、「私でよければ何があったか聞きますよ」とやってきたのがJDである。
知り合いではあるが、友達ではない。二人の関係性はこれに尽きた。
ニット帽男がやり取りしているチャットアプリを開くと、JDからメッセージが届いたという通知があった。
届いていたのは『調子はどうだい? 死ねそうかい?』というメッセージ。
いつもなら苦笑交じりに受け止められた言葉だが、ニット帽男の胸には微かな嫌悪が芽吹いていた。
『もう少し、生きてみようと思いました』
そう打ち込んで、送信する。返信はすぐに来た。
『どうして』
たった四文字の言葉なのに、ニット帽男の背筋は凍った。なにか理由があるわけじゃないが、怖いと彼は感じたのだ。
『目的ができたんです。それ叶えるためには、絶望してる場合じゃないって思ったんです』
だが、疑問形には答えなければならない。マズいと思いつつも、ニット帽男は返答を送った。
またすぐにDJからのメッセージが届く。
『その目的が、必ず実るとは限らない。また絶望するかもしれない。君はまた、世界に裏切られるんだ。その苦しみから逃れる方法は、一つしかない。死ぬことだ』
ニット帽男の口元が引きつる。DJからのメッセージは立て続けに送られてくる。
『一人で死ぬことが心細いなら、仲間を紹介できる。道具も提供しよう』
『死は救済だ』
『苦しまずに死ねるよ』
ニット帽男はスマホを部屋の外へ投げ捨て、毛布を頭から被った。
じっとりと濡れている額を拭い、ゆっくりと息を吸って同じように吐き出した。
(なんなんだよ……)
何故あれほどまで「死」に執着するか。何故あれほどまで自分を死なそうとするのか。
疑問が次々と湧いてくるが、ニット帽男の脳はそれを考えることを拒否した。考えてしまい、うっかりと答えでも出してしまおうものなら人でいられなくなってしまうと、本能が判断したのだ。
(どうすればいい……)
心臓の鼓動が速くなると同時に、昼間に別れた男の声が再生される。
『行動あるべしだがな』
赤沼は頑張れとか、努力しろとかではなく行動しろと言った。
最初に極論をぶち当てながらも、自身の経験や聖書からの引用を駆使しながら最後には具体的な目標を示してみせ、ニット帽男を納得させた。
その中でも、彼はニット帽男と同じ歩調で歩き、不味さに叫んだが同じ煙草も吸って彼と同調しようとした。実際に言葉を交わしたというのも大きい。
故にニット帽男は、自身でも気が付かないうちに赤沼を信用できる人のカテゴリに入れていた。
ニット帽男は毛布から出て、画面を見ないようにしてスマホを回収する。
「……行かなきゃ」
ニューヨーク市地下鉄は二十四時間運行しており、緊急事態を除いてそれが止まることはない。電車賃を使うことになるが、それでも履歴書を買うだけの金はあると、勘定しながらニット帽男はジャンパーを引っかける。
赤沼も、数時間で自分のことを忘れるような薄情者ではない。話したいことがあると言えば、来てくれるという経験もある。
残る問題としては、日付が変わるような時間帯に赤沼が本部内に残っているかどうかだった。
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