赤沼ニズム
大通りはいつもと変わらず、多くの人々が行き交っている。
ネクタイを締めたホワイトカラーに、ところかまわず写真を撮りまくっている観光客、客待ちで退屈そうなタクシーが路肩で列をなしている。
「適当に、歩きながら話すか」
「……おう」
二人揃って、セントラルパーク方面に歩いていく。
五分くらい歩いていたが、わざわざ来たくせにニット帽男は一向に話そうとしないので俺が口火を切った。
「それで、何を物申したいんだ?」
「……俺のこと」
「お前のこと?」
「昨日、俺のこと散々言ったじゃん」
「……言ったな」
「俺のこと知らねぇクセに、散々言ってよぉ」
「知らねぇから散々言えるんだろうが。知ってたら、もう少し言葉選んでたよ。俺、優しいから」
俺からしたら、昨日の時点でニット帽男は自殺志願者でアホなことを言う奴でしかない。これで優しく諭してやれるのは、余程心が広い人か詐欺師ぐらいだろう。
「よく言うよ。……俺のこと、知らねぇクセに」
「じゃあ教えてくれよ。そんなに言うんだったらさ」
「ああいいよ、教えてやるよ」
ニット帽男は、あまり面白くないギャグを交えながら自らの過去を語りだした。
男は昔から漫画が好きだったらしい。特にアメコミが好きだと。
しかしながら、絵もストーリーを考えるのもからっきしな男。それ故に、漫画を創るお手伝いがしたいと思うのは必然と言えるだろう。
男は出版社への就職を志した。
だが、現実はそうはいかない。出版社に入るには、大学を卒業しなければならなかった。大学全入時代と日本で言われて久しいが、アメリカはそうではない。
大学の学費を払えるのは極僅かの富裕層。根本的に大学のレベルも高く、奨学金の条件も厳しく、一般家庭の中くらいの学力の人間が大学に入るのは難しいのだ。
リングにすら上がれないまま、男は真っ当な方法での出版社への就職を諦めざるおえなかった。
高校を卒業して、近所のスーパーに就職した。
でも、給料も少なく、勤務状況も悪い。すぐに辞めて、今は無職。
やりたいことが出来ない怒りと憎しみ。男の心は、その不協和を「出版社の仕事を大学を卒業できないぐらい頭が良くないと、出来ないんだ」と納得させようとした。
納得しようとするも、彼が就職を望んだ出版社は流行りのLGBTの要素を作品に取り入れさせて、かつての傑作を駄作へと変貌させてしまい、挙句、最後までLGBTを作品に取り入れることに反対していた作家が「自分の作品を自分の手で穢すくらいなら」という意思と創作界への抗議として自殺したのを、「作家の勝手」と切って捨てた。
頭の良し悪しではなく、人間としての道徳が欠如しているとしか思えない振舞いに、男は怒りに震えた。
あんな奴らが大卒というだけで就職して、作品に対する情熱も愛もある自分が就職できずにやりたくもない仕事に就かなければならない。そんな理不尽も感じたという。
「ふざっけんなよ!」
話しているうちに天下の往来にいることを忘れたのか、男は叫んだ。
周りにいた何人かが驚き、携帯から目を離したり、振り返ったりする。
「こんな世の中おかしいだろ! 俺だって、やりたかったよ! けどできなかった! ふざけんなよ!」
「それで、やる気なくして自殺未遂か」
男は顔を真っ赤にして返す。
「ああそうだよ、悪いかよ!」
「悪い」
即答してやる。
「あっ――」
俺の回答に、男は叫んだ時の口のまま固まった。
ここからは俺の手番だ。
「お前さ、そんなに漫画好きならさ、行動しようとは思わなかったワケ?」
「行動した」
「してない。お前、そんなに編集者になりたかったらさ、出版社行って編集者四・五人病院送りにしようとは思わないのか?」
「はぁ?」
「いきなり四・五人もいなくなれば、編集部は大騒ぎだ。たぶん、バイトでもいいから人が欲しいってなるだろ。そこに潜り込めばいいだろ」
「………………」
「顔隠して、鉄パイプで後ろから一発。それで財布でも盗めば、警察は物取りの犯行だと判断して、本来の意図には気が付かない。うまく逃げて、出版社で働けるようになって、ようやく行動したって言える」
「………………」
「他にも方法はある。シンプルに学歴詐称するとか、爆弾でも火炎瓶でも投げつけて『大卒未満も雇わなかったら、皆殺しにする』って脅すとか、今流行りの平等主義者の皆さんに泣きついて『あそこの会社は学歴差別のクソ企業』って圧力かけてもらって就職するとか……あとは……」
「……もういいっス」
「そう? まぁ、行動が浅いんだよ。本当に好きなら、そんくらいやれ」
「……捕まりますよ」
「圧力掛ける方法は捕まらないだろ。恐喝じゃないんだから。皆、やってるだろ」
「………………」
男はドン引きを通り越して、唖然としている。
「『絶望した』ってのはな、家族恋人親友全員死んで、手足全部失って、五感も感じられなくなってようやく言える。……って、俺はレンジャー課程で言われたよ」
俺は笑った。
「まぁ、気持ちは分かるよ。俺も親父に、やりたい仕事をやるなって言われたから」
突拍子もない話からの、共感できそうな話に男の眼に興味の色が浮かんだのを、俺は見逃さなかった。
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