修羅の地方

 ライアンの変わりように、俺とマリアは戸惑うしかなかった。


「危険地帯……」

「そんなにヤバいのか?」


 俺は出発前に目を通した資料の事を思い出す。

 ここデトロイトには不況や資本主義の落とし子とも呼べる、有象無象のギャング団が存在していた。しかし最近、ある組織がそれらの有象無象をまとめだしたのだ。

 それがフアレス・カルテルとロス・セタス。メキシコの麻薬カルテルである。

 フアレス・カルテルはアメリカへの販路を多く持つカルテルで、ロス・セタスは元特殊部隊の人間が設立したメキシコで最も残虐なカルテルだ。

 その二つのカルテルは、メキシコ最大のカルテル「シナロア・カルテル」に対抗するために手を組んだ。

 そして、麻薬製造に必要な場所や人員が揃っていて、なおかつカナダとも国境を接し新たな販路開拓も望める、ここデトロイトへ目を付けた。

 カルテルはデトロイトのギャングをその力でまとめ上げ、資金援助や装備提供を行い自身らの傘下に置いたのだ。

 俺達が受けた指令は、デトロイトからカルテルを一掃すること。

 いつものように飛び込み、大暴れする。

 それだけだと思っていたのだが、どうやら事態は俺達が知らぬ間に変容していたらしい。


「約一週間前。メキシコ本国から、カルテルお抱えの殺し屋……あっちメキシコじゃシカリオというんですがね、来たんですよ。三人」

「三人? カルテルは二つだろ」

「フアレスのは、兄弟で一組なんですよ」

「兄弟か」

「ええ。カラベラ兄弟と呼ばれているそうです」

「カラベラ? 確か、メキシコ語で骸骨の意味だっけ」

「そうです。骸骨は死のイメージであり、メメント・モリの精神の象徴でもある」

「『死を恐れるなかれ』ってか」

「殺し屋にはピッタリでしょ。カルテルもどうして、馬鹿じゃない」


 ここでライアンは表情を崩し、愉快そうに笑う。


「……ロス・セタスの方は?」

「ああそうだ。ロス・セタスの方は、女で『ブラッドバス』って呼ばれてます」


 かのエリザベート・バートリーのように、殺した標的の血を絞って風呂に入っているのだろうか。エリザベートは美容目的だったが、この場合は滋養強壮目的だろう。


血の風呂ブラッドバスとは、随分と豪気な名前だ」

「写真とかは無いんで、人相は分かりませんけど……。まぁ会ったら分かるでしょう。得てして、そういう人間ってのは意外と目立つモンでしょうし」

「……それで? そんな危険人物が現れたから、ここが危険地帯になったと?」

「そうなんだ。本国から、武器や装備や兵隊も次々と送られてきてる。高威力な武器じゃないと歯が立たないくらいの」

「とんでもない場所ね……」


 マリアはそう言って、苦笑した。


「ギャングなんざ所詮はチンピラの集まりですが、カルテルは本当にヤバイ。何処で仕入れてきてるのか、重機関銃や爆発物や装甲車まで揃えてやがる」

「凄いねそりゃあ……」


 俺が純粋にたまげていると、マリアが付け加える。


「メキシコ本国じゃ、戦車に武装ヘリまで揃えてるみたいだしね。それに、ロス・セタスは元軍人が設立したそうだから、武器や兵器を仕入れるルートを確立しているんじゃない?」

「……なるほど」


 それにしたって、戦車やヘリをタダを手に入れられる訳がない。麻薬というのは想像以上に儲かるらしい。


「このまま放っておけば、ここもメキシコと同じ様になっちまいます。暴力が支配する、危険地帯を通り越した無法地帯に」


 俺は無法地帯となったデトロイトを想像した。

 燃え盛る建物。路上に転がる無惨な死体の数々。街中で動くモノと言えば、旧式の装甲車と軽機関銃やアサルトライフルで武装した荒くれ者達だけ。

 そして、半壊した建物の陰には力無き子供達がその小さな身体を震わせ、襲われない事を祈っているのだ。

 無論、そんな状態でキリストも仏もアッラーも無いのだが、何も知らない子供はただひたすらに祈り続けるのだろう。ああ、無情。まさに弱肉強食。

 無法地帯のボキャブラリーが、マッドマックスや北斗の拳しかないのでいささか偏りが過ぎるものの、間違ってはないはずだ。


「絶対にそうさせちゃいけんな」

「そうそう。……麻薬が生むのは、汚い金と悲劇だけだからね」


 二年だけとはいえ、パトカーに乗ってお巡りさんをやっていただけあってマリアの言葉には説得力がある。

 俺としても、麻薬絡みの事件には色々と思うことがある。マリアほどでは無いが、麻薬が生む悲劇というものを理解しているつもりだ。

 俺達の意気込みを感じ取ったライアンは、目を細める。


「まぁ、とりあえずは本部に行きましょうや。そこで、装備の調整の方を――」


 ライアンがそこまで言った時、センターコンソールを弄って付けられた無線が呼び出し音を鳴らした。

 受話器をライアンが取る。


「はいライアンです。あっ、主任。どうしました? …………なんですって?」


 会話の熱量から察するに、どうやらやんごとなき事態が起きたらしい。


「俺今、本部から来た人達連れてるんですけど。…………はぁ、分かりました」

「……どうしたんです?」


 マリアがライアンに訊ねる。彼は困った顔をしながら、話し出す。


「いやね。男女の死体が見つかったみたいなんですが……。それがどうやら、カルテルが絡んでるらしくてね」

「それで?」

「現場に出る人間が訳にもいかないんで、見て来いと言われましてね。……ついでに、お二人もデトロイトのリアルを見せてやれとの御達しも出ましてね」

「俺達は構いません。……だよな」

「ええ」


 そんな俺達の言葉に、ライアンは本格的に困った顔をした。


「……お二人がそう言うならいいですけど。いいんですか? 昼飯食えなくなっても知りませんよ」

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