幕間

縋り付くモノ

 銀行強盗とその共犯二名を捕まえた翌日。

 俺は班長から、連絡を怠ったお叱りを受けていた。

 その件に関して、自分からは申し開きも口ごたえする気も無く。というか、俺が全面的に悪いので平謝りするだけだ。


「――以後、気を付けるように。戻っていいぞ」


 一時間にも渡るお叱りの終焉は、班長のその一言によって訪れた。


「失礼します」


 俺は一礼してから、班長に背を向けた。

 俺が悪いとはいえど、一時間のお叱りは堪えたようで脳が「甘い物摂ろうぜ」という衝動を垂れ流してくる。

 幸い、ズボンのポケットに小銭が幾つか入っており、チャリチャリと音を立てる。

 

(休憩室でコーヒーでも買うか)


 俺は自分のデスクに戻らず、その足で休憩室へ向かった。


 紙コップの自販機でコーヒーを買う時は、俺は絶対に砂糖とミルクを大盛りにする。欲を言えば、地元千葉で売ってる練乳入りのコーヒーが飲みたいが、アメリカには売ってない。

 豆から抽出された黒い汁にミルクや砂糖がブチ込まれていき、コーヒーとカフェオレの境を彷徨いだす様をボンヤリ眺めていると。


「……アカヌマさん?」


 声を掛けられた。聞き覚えはあるが、いまいち思い出せない女性の声。

 答え合わせと振り向くと、そこに立っていたのは。

 俺と同世代の女性。栗色の髪をそこそこの長さで保ち、セーターにロングスカートといった落ち着いた格好。


「お久しぶりです」


 アリソン・ワイルズ元軍曹だった。

 元米陸軍の軍曹で前職はCIAだ。色々あってCIAを辞め、今はフリーのライターをしている。


「元気してた?」

「ええ。アカヌマさんこそ、元気そうで」

「まぁな。……今日はどうしたの?」

「ハリーに着替えを届けに来たんです」


 ハリーことハリー・イートン。ISSの工兵こと、調達係の副主任である。

 彼女は、男物のシャツが詰まった袋を提げている。中の衣類は畳まれておらず、しわくちゃなので、着替えと交換に受け取った洗濯物だろう。


「……仲良くやってるみたいだな」


 ハリーとアリソンは結婚を前提にお付き合いしており、俺はある意味その仲を取り持った立役者なのだ。


「おかげさまで」


 アリソンははにかんだ。

 俺がいなければ、彼女は今頃こんな表情を浮かべることは出来なかったであろう。

 路上に自身の血液をぶち撒け、冷たくなっていたか。鉄格子の内側で泣いていたか。

 どちらにしろ、明るい未来は無かったはずだ。


「なら、よかった」


 それなら、頭をぶつけたカイがあったものである。

 コーヒーを自販機から取り出し、一口啜る。人によっては吹き出し、「味音痴」とブチギレる甘さだが、俺は美味いと思っている。

 糖分が脳みそに行き渡り、思考力が上がる。

 すると、あることを思いついた。


「なぁ、アリソン」


 俺は彼女を呼び止め、質問を投げかけた。


「チョイと聞きたいんだが。……軍隊辞めた後の生活ってどうだった?」

「藪から棒に……」


 アリソンは苦笑する。思いもよらない人物から、変な質問を投げかけられたからだろう。

 俺も同じ状況になったら、同じような曖昧な表情をするはずだ。

 しかしながら、アリソンは真剣に考えてくれた。


「……しばらくは、何もする気が起きなかったかな。でも、貯金だって無限じゃないし、働かなきゃいけなかった。それに、嫌な夢もチラホラと見たしね。忙しさで気を紛らわせたかったの」

「それで?」

「後は、アカヌマさんも知っての通り。たまたま、CIAにリクルートされてパワハラ上司にこき使われる日々」

「……………………」


 手に職を付けられて、麻薬や酒や無意味な正義に溺れなかったという意味では、彼女はマシな部類に入るのだろうか。


「まぁ、今となっては過ぎ去った日々ですけどね」

「……それも、そうか」


 今の彼女はただの退役軍人でも、CIAのパシリでもない。ニューヨークの郊外に婚約者と共に暮らす、しがないフリーライターだ。


「ですけど、なんで急にそんなことを?」

「ちょっとな、思うことがあって」


 深くは語らないぞという意志表示のため、俺はコーヒーを飲んで見せた。

 それを汲んでか、彼女は別の話題を切り出してきた。


「でも、たまに思うんですよね」

「なにを?」

「私も、落ちぶれていった退役軍人も結局同じだったんじゃないかと」

「まさか」


 仕事柄、何回か落ちぶれた退役軍人と相対したことがあるが、そんな連中とアリソンとでは天と地の差がある。

 色々あったとはいえ、彼女は地に足のついた生活や考え方をしているように思えるが、そんな俺の凡庸な思考を斜め上をいく回答を投げられた。


「退役軍人の少なくない数が酒や麻薬に縋るように、私はなのかもって」

「……縋りついた、ね」


 その見方はなかったと、少し関心する。


「人は何かに依存する生き物だと言いますけど、私もまた依存してただけなんじゃないかなって。だから、あんなに苦しかったのに仕事を辞めなかったんじゃないのかって」

「……なるほど」


 何に縋るかによって、破滅するか社会性を保てるか左右される。

 アリソンの言葉を真に受けるならば、彼女自身はまだ幸運だったということだ。

 酒は分からないが、麻薬を使った人間は目にしたことがある。同じ人間とは思えない姿を晒していた。

 全身が黒焦げになっても息をしていたある者を思い出し、俺は慌ててコーヒーを飲んだ。もっとも、そのコーヒーに苦い記憶を押し流してくれるほどの味は無いが。

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