抽象的な感情

 男はヴィンセントの存在に気が付くと会釈をして、身分証を提示した。

 その身分証は間違いなくISSの物であり、顔写真も男の物で違いはない。少し古い写真のようで、男が着ているのは見たことのある迷彩服だった。


「ISSのヒロシ・アカヌマです。……貴方が責任者?」


 日本訛りが端々にあって少し早口だが、流暢な英語だ。

 ただの筋肉馬鹿ではない。ヴィンセントはそう感じ取った。と同時に何か焦っている印象も受けた。


「市警のヴィンセントだ。責任者ってより、現場指揮官ってところだ。俺達の尻を拭いてくれる奴は、市警本部でふんぞり返ってコーヒー飲んでる」

「……それもそうですね」


 冗談にもあまり乗ってこない。アカヌマと名乗った男、今はあまり余裕がなさそうだった。これはさっさと本題に入るべきだ。ヴィンセントは口を開く。


「と、こ、ろ、で。ISSが何の用で? 出動要請はまだ出してなかったはずだが」


 すると赤沼は気まずそうな顔をした。


「……ISSとは名乗りましたが、実のところ、ISSとしては来てないんです」

「どういうことだ?」

「限りなく私用に近い……いや、ほぼ私用です」

「だからどういう」


 煮え切らない赤沼の態度にヴィンセントが苛ついていると、赤沼が銀行をピッと指さす。


「あの中に、大切な人がいるんです」


 想定の斜め上をいった答えに、ヴィンセントは上唇を舐めた。


「……大切な人?」

「はい」

「お袋さんか恋人かなにか?」

「恋人です。仕事の相棒でもあります」


 真顔でそんなことを言う赤沼。その様子は、実にギャップが激しい。

 「大切な人」という言い回しも、ギャップに拍車をかけている。ストレートな男らしさの中に秘める、女々しさが垣間見える。

 やはりただの筋肉馬鹿ではなかった。


「……彼女の名前は?」

「マリアです」

「じゃあ、マリアさんは銀行で人質になってると」

「ええ……。これを見てください」


 赤沼はポケットから携帯を差し出した。メッセンジャーアプリが開かれており、やり取りが見れる。


『助けて、銀行にいる』


 改めて考えると、なんてシンプルで機能的な文面だろうか。

 緊急事態を伝える文字として、必要最低限の機能だけがある。それはスピードに特化したスポーツカーやF1カーというより、移動だけを考えた格安のママチャリに近い。


「時間は、十二時六分か。強盗が入ったのとほぼ一致しているな。けど、これだけじゃあ証拠にはならんですぜ」

「今日はアイツは休みで、家にも行ったが留守だった。……今も電話もメールも通じないし、メッセージも既読にならん」

「『助けて』のメッセージ送ってるから、痴話喧嘩してるとも考えられんな」

「……ふざけんでくださいよ。自分、結構焦ってるんですから」


 顔を引きつらせながら赤沼が言う。表情は若干コミカルだが、目には怪しい光が宿っている。


「……悪いがね、アカヌマさん。こっちも、やることを始めたばかりで、内部の様子を探ってる最中なんだ」


 ヴィンセントが正直に事情を打ち明けると、アカヌマは納得した。


「そう……ですか……」


 だが、落胆もした。露骨にガッカリした顔になり、肩を落とす。見ているヴィンセントが罪悪感を抱くほどだ。このまま追い出すのも気が引け、ヴィンセントは自身の罪悪感を紛らわすためにアカヌマに話しかける。


「貴方にとって、マリアさんは本当に大切な人なんですね」


 最悪、惚気でもなんでも聞こうとヴィンセントは覚悟を決めていたが。


「ええ……」


 赤沼の反応は想像していたより重たいものだった。


「大切な人……。彼女は俺にとって、恋人でもあり、相棒でもあり、恩人でもあります」

「恩人?」

「……何度も崩れそうになった俺を支えてくれた、恩人です」

「………………」

「彼女がいなかったら、俺は今頃、に成り果てていたかもしれない」

「獣」

「善悪の判断がつかない、人喰いのね」


 ヴィンセントにとって赤沼の話は抽象的だった。

 赤沼とて、自身が抱えるマリアへの想いを具体的に話したいと考えた。しかし、想いを語るのには自分が辿ってきた物語を一から語らなければならず、それはあまりにも長い。短く語るには、どうしても抽象的になってしまうのだ。


「俺は……マリアに一生、いや来世掛けても返しきれないほどの恩がある」


 赤沼はこれまで幾度となく傷付き、悩み、苦しんだ。人間としての道を踏み外しそうになったのも一度や二度じゃない。

 その度にマリアは赤沼を引き止め、諭し、癒してきた。


「だから、アイツの身に何かあると気が気じゃなくなる。自分の身が切られる以上の痛みを感じる。……それほどまでに大切な人を失ってしまうのかと思うと、怖くてたまらないんです」


 相変わらず赤沼の話は抽象的だったが、ヴィンセントには赤沼がどれほどマリアを大切に思っているかが伝わった。指示も聞かずに現場に来るなんて、組織人として逸脱した行為に走るのも無理ない話だと。

 潤んだ目をした男を前にして、どんな言葉を出そうかヴィンセントが考えていると。赤沼の来訪を告げた巡査が駆け寄ってきた。


「銀行内の様子が分かったそうです!」


 報告にヴィンセントは当然として、赤沼も強い喰い付きを見せた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る