電話の相手は誰ですか?

 すっかり春の陽気に支配された街を歩く。商業ビルのショーウィンドウには、「スプリングセール」の文字が躍っている。


(春だなぁ)


 ぼんやりとそんなことを思いながら、本部の正面扉をくぐる。


「おはようございます」


 いつもの様に強襲係のオフィスへ挨拶と共に入る。既に仕事をしている同僚が挨拶を返す。  

 奥の席に座るメリッサ班長がパソコンから顔を上げ、俺を見据える。

 俺が席につこうとすると、班長に声をかけられた。


「アカヌマ。マリアと一緒じゃないのか?」

「いえ……。どうかしたんですか?」

「いやな、さっき電話が回ってきたんだ。お前とマリアの出勤を聞いてきた奴がいたみたいでな」

「俺とマリアですか?」


 組み合わせとしてはおかしくは無い。でも、それを聞いてくる奴の存在は奇妙だ。


「……名前とか、名乗りませんでした?」

「いや。電話取った奴の話だと、女の声だったらしい」

「女?」


 ますます奇妙な話だ。俺とマリアの事を知っている女で、わざわざISSに電話を掛けてくる奴なんていないはず。

 というか、それなりの知り合いなら俺達の携帯に直接掛けてくるだろう。


「……その様子だと、思い当たる節は無さそうだな」

「ええ」


 班長が眉間にシワを寄せ、俺が首を傾げていると。


「おはよーございまーす」


 マリアが出勤してきた。


「丁度いいとこに。……マリア!」


 班長がマリアを呼び付け、俺にしたのと同じ話をする。だが、マリアの反応も俺と対して変わらないものだった。


「浩史。誰か分かる?」

「知らねぇって言ってるだろ」


 俺達の事を知ってる女でパッと思いつくのは三人ほどいるが、一人は拘置所、もう一人も今は香港の拘置所、残りは日本の警官だ。

 そもそも電話出来ない奴の方が多いし、残った一人も絶対に名乗るはずだ。

 俺とマリアが揃って首を傾げていると、班長の内線が鳴った。


「はい強襲係。…………ええ、はい」


 班長は電話の相手と二・三言葉を交わした後、受話器のマイクを押さえ俺達を見た。


「例の女だ。掛け直してきたらしい」


 班長の言葉にマリアと顔を見合わせる。


「総務に『いない』って言わせることも出来るが、どうする?」

「どうするって言われても……」

「……とりあえず、名を名乗らせる事は出来ません?」


 マリアの指摘に班長は「確かに」と、受話器から手を放し再び言葉を交わす。それから少ししてまたマイクを塞いだ。


「FBIのリサ・オークリーと名乗っているそうだが、心当たりは?」

「FBI……」


 班長が口にした名前には憶えがあった。一昨年の冬にテキサス州の人身売買組織への突入作戦を執行した時の、FBI側の現場責任者だったはずだ。

 お互いに知らない訳では無いが、何故俺達の所在を尋ねてきたのかは分からない。


「なんでまた?」

「私は知らないよ。でも、オークリーとやらはすぐそばまで来ているらしくてな。会いたいそうだが、どうする?」


 疑問こそ残るものの、俺達に断る理由は無い。マリアとはアイコンタクトで意思を確認し合い、答えを出す。


「会います」


 俺の返事を受け、班長は電話口から手を放した。



 NYPDニューヨーク市警通信指令室。

 ニューヨーク市警察では、九一一番に年間約千百万件の通報が寄せられる。一日あたり、約三万件にものぼる通報は全て市警本部内に設置されている通信指令室に集約される。

 その他にも警ら中のパトカーからの無線を始めとした、警察関係の通信は必ず指令室に届く。

 そんな場所に時を同じくして、二つの通信が飛び込んできた。

 一つは九一一通報。公衆電話からだった。オペレーターが通話ボタンを押し、通報を受ける。


「はいこちら九一一番です。事件ですか? 事故ですか?」

『……………………』

「もしもし?」


 この時オペレーターは電話口から応答が無いこの状況に、二つの可能性を思い浮かべていた。

 いたずら目的での通報か、通報者が応答出来ない状況に置かれているか。

 前者は論外だが、後者はもしかすると一刻を争う事もありえる。事件や事故で深手を負い、やっとの事で九一一をプッシュしたけれど気力を尽かせてしまい応答が出来ない……。といった事例が無い訳ではないからだ。


「もしもし? 大丈夫ですか?」


 オペレーターは冷静に且つ、冷徹になり過ぎない絶妙な声を電話の向こうの人物に届ける。しかし、返ってきたのは再配達依頼の電子音声みたいな声だった。


『ブルックリン橋に自動車爆弾を仕掛けた』


 オペレーターの脳はいたずらにしては現実味のある単語を耳にして、一瞬だけ職務を抜きにした素で反応をしてしまう。


「はい?」


 だが、相手は不機嫌になる様子もなく淡々と話を続ける。


『ブルックリン橋のブルックリン行きの車線に、自動車爆弾を仕掛けた。午前十時ピッタリに爆発をする』


 我に返ったオペレーターは先程より声を低くして応対する。


「悪戯ですか? 悪戯なら、公務執行妨害で貴方は逮捕されますが」

『これは悪戯ではない。橋の中間地点に停められた黒のバンに爆弾を仕掛けてある。人を近づけさせるな。これは警告だ』


 言うだけ言って、電話は切れた。オペレーターはすぐさま指令長を呼び、今の電話の事を伝えた。指令長も最初こそ質の悪い悪戯だと思っていたが、ある無線手の報告によって顔色を変えた。

 時計の針は九時丁度を指している。

 ブルックリン橋を走行中のパトカーが路上駐車中の黒いバンを発見。

 窓にはスモークフィルムが貼られており、車内の様子は確認出来ないとの事。パトカーの警官がナンバーの照会を求めた無線連絡が、もう一つの通信だった。

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