28.決着

 埋橋唯愛は百那と二千花が一対一で戦うのにギリギリまで反対していた。


『危ないよ! よりによって一対一とか、……そうだ、この銃で狙撃するとか!』


 唯愛はそう言って中島ハルが遺した九七式狙撃銃を指差す。


『……これ、3km先まで撃てるの? ていうか、そんなにボロボロなのに狙撃とか無茶なんじゃないの?』


『……それは』


 この木製の骨董品ボルトアクションライフルはおそらくそこまでの性能はないし、体調も最悪で、こうして喋っているのが限界だった。いくらマシになったとは言っても、腹に開いた3つの穴は思った以上に唯愛の体力を削り取っていた。


『じゃあ、狙撃が出来るとこまで移動するとか――』


『――バレバレだよ。あっちには位置情報が見えてるんだから。怪我も何故かバレてるし、わたしが一人で片付けたほうが良い』


『……でも』


『いいからさ、わたしを信頼してよ。いい作戦があるんだ――』


 そう言って百那が提案した作戦は悪いものではなかったが、それでも唯愛は心配で仕方がなかった。


 かつて殺し屋時代にバディを組んでいたアオイ――彼女が組織を捨てて失踪したときも、自分が怪我をしたせいで、アオイが単独で仕事に出たのだ。


 百那もまたアオイのようにいなくなってしまうのではないか――そんな不安がまとわりついて離れなくて。


『大丈夫だよ、唯愛。わたしはちゃんと帰ってくるから。だって約束したでしょ?』


 百那はそうやってウインクして、ひとりで待ち合わせ場所へ向かった。


 ずっとスマホ越しに二人が織りなす音が聞こえて、色んな嫌なものを聞かされて。


「……ただいま」


「おかえりっ!」


 それでも、そんな不満はちゃんと無傷で帰ってきた百那を見たら霧散してしまった。


 唯愛はおぼつかない足取りで百那に駆け寄り、そのまま彼女の小さな体を、返り血にまみれた体を、抱きしめる。


「ちょっ、危ないって! 怪我してるでしょ、怪我!」


「だって、だって!」


 普通こういうのは帰ってきたほうが傷だらけで痛い痛いと言うものだろうが、実際は唯愛のほうが痛くて仕方がなかった。


 だけど、そんな痛みさえも消え失せるくらいにうれしくて。


「……百那が帰ってきたのが、うれしくて、うれしくて」


 気がつけば、唯愛は涙を流していた。


 いつぶりだろうか。それこそ、アオイを殺せなかったとき以来かもしれない、そんな涙を。


「……ええっと、じゃあ、許してくれる?」


「何が?」


「……キスされたんだけど」


「忘れてたのに!」


 あれだけ下品に音を立てていたらスマホ越しでも聞こえるものだ。

 だけど自分がなにか言える事なのだろうか。別に付き合ってるわけでもないのに。


「ていうか、していいの?」


「したいなら別にいいけど?」


「……本当に?」


 思わず喉を鳴らす。


「まあ、二千花の唾液まみれでいいなら」


「めちゃくちゃ萎えること言わないでよ」


 言いながらも、ふたりとも笑顔で。


 こんなふうに心の底から笑いあえる日が来るなんて、このデスゲームに巻き込まれるまでは思いもしなくて。


「……ねえ、唯愛。見せたいものがあるんだけど」


 百那が唯愛から離れる。名残惜しさを感じながらも唯愛は百那の口調が一転真剣なものになったことに緊張を覚えて。


 そのまま百那はポケットからカードを取り出し――


「――ッ!?」


 唯愛がそこに書かれた名前を確認するより早く、その耳をつんざくような凄まじい銃声はやってきた。


 ※


 それは、リリィの仇だった。


 針井舞々は琴子と深百合の応急処置を終えると、愛沢夕を伴った4人で百那たちとの合流を目指していた。


 目指していたはずなのに、眼下にいるのは這いつくばって進む宮沢秋羽で。


 宮沢秋羽は烏丸リリィを殺した二人組のひとりで。


「……針井さん?」


 心配そうな夕の声が、ひどく遠い。


 頭が痛い。顔が熱い。何も考えられそうにない。


 怒りに支配されている。


 一方の秋羽の顔は真っ青で、舞々の顔など覚えてないだろうが、それでもこちらを睨みつける顔を見たら自分が何をしたのかおおよその察しはついてしまって。


「……うあ」


 声が出なかった。


 当たり前だ、おそらく自分が殺した相手の仇がアサルトライフル片手に目の前で固まっているのだから、普通ならば死を覚悟する場面である。


 リリィならどう言うだろうか。


 そんなの、決まっている。


『この子だってあーしがしくったせいであんな凶行に出たんだから、許したげてよ。だいたい、このデスゲームがなければこんな事にならなかったんだからさ』


 本当にそうだろうか?


 少なくともこの二人は自らの残虐な本性を晒しただけではないのか。


 ……いまわの際のリリィの言葉が頭に蘇る。


『あーしはね、もう長くないよ。他のみんなだって、死んじゃった。……だけどさ、このゲームにはまだ生き残りのクラスメイトがたくさんいる。だからさ、ハリハリには、あーしの、烏丸からすまリリィの跡を継いでほしいんだ』


 出来るとは思えなかったけれど、そんなこと言えるはずもなくて。


『ハリハリなら、出来るよ。……だってあーしを殺して、このデスゲームをクリアするんでしょ?』


 そして舞々まいまいは、その言葉でリリィの言わんとしてることを悟って。


『……ああ、もう、わかったよ』


 そのままリリィのすっかり冷たくなった体を抱きしめて、舞々はこのゲームをクリアしたのだ。


 リリィは、西尾杏里と宮沢秋羽さえも救おうとした。


 そんなリリィが、自分にすべてを託したのだ。


 ……だったら、自分がやれることはひとつしかなくて。


「……愛沢さん」


「は、はいっ」


 ゆえに舞々は手に持ったM4カービンを動かして、


「ひ、ひいいいいっ」


「これ持ってて」


 夕に手渡した。


「……こんなの持ってたら、助けられないもん」


 そう言うと舞々はしゃがんで、秋羽に手を伸ばすと――


「……え?」


 背後で発砲音が鳴り響いた。


 見やれば愛沢夕の胸が撃ち抜かれていて。


 銃弾は向こうの林からさらに飛んできて。


(位置情報には何も無かったのに)


 当たり前だ。彼女はゲームをクリアしたのだから、位置情報は表示されない。


 神長琴子が、姉岸深百合が、構える間もなく撃ち殺されて。


 手を差し伸べた宮沢秋羽も撃たれて、


「……なんで?」


 針井舞々は撃ち殺された。


 その答えは簡単で、彼女は――山田千明はずっと付かず離れずの距離で舞々たちを追跡していたからで。


 そしてM4カービンという一番の厄介モノが一番の弱者に手渡されたから、その隙を逃すはずもなく発砲した、それだけで。


「……あと二人」


 黒光りする大きなゴツゴツした銃――M4カービンを拾い上げて、千明は呟いた。


 M4カービン。それはアメリカ軍で正式採用されているアサルトライフルであり、わずかに一瞬で30発の弾丸をフルオート射撃する――つまりこの銃は厳密にはM4A1モデルなのだが――、プロテクターも何もしていない一般人相手に使うには過剰な武装で。


「……ごめんね、針井さん、愛沢さん、神長さん、姉岸さん」


 山田千明は、静かに涙を流し、密やかに歩を進めた。


 ※


『あなた達は、自分が一番好きな子を殺せば、それで脱出できるのです』


 その言葉を初めて聞いたとき、唯愛はかつて自分の身に降り掛かった災難を思い出していた。


 組織から脱走したアオイを殺さなければ、自分の身も危うい――そんな状況に追い詰められた、あの日々のことを。


『……私には、殺せないよ』


 結局アオイを撃ち殺すことも出来ず、かといって組織を完全に捨てることも出来ず、そのまま逃げていく彼女を見送ったあの日のことを。


 アオイが逃亡先で殺されたと組織から通達されたときの悲しみを。


 だから本当はわかっていたのだ。


 ゲームが始まったばかりの決意――もし百那が他人のカードを所有していたら、彼女を殺したあと、自決するつもりだった。


 そんなのは大嘘で、出来るはずがないことくらいわかっていた。


『……ごめんユア。わたし、好きな人が出来たんだ』


 そう言われてもなお、引き金を引くはずの指は微塵も動いてくれなかったのだから。


「――唯愛、唯愛っ!」


「……怪我はない、百那?」


 あのとき引き金は引けなかったけれど、守るためならば体は勝手に動いて。


「うん、唯愛が守ってくれたから、何も痛くない! だけど、だけど!」


 今にも泣き出しそうな百那に、唯愛はやっと気づく。先程までとは比べ物にならないほど多くの穴が体に開いてることに。もはや取り返しがつかないほどに巨大な血の池が出来ていることに。


「……ごめんね、埋橋さん。でも安心して。すぐに水庫さんも送ってあげるから」


 視線の先、山田千明はM4カービンのマガジンを交換して、言う。


 あと一人だった。


 クラスメイト同士の殺し合いなどという地獄に巻き込まれた哀れな魂を、ひとつ残らず天国に送る。


 それが山田千明が見出した使命であり、存在理由だった。


 千明はクラスメイト全員を心の底から好いていたが、それでも。


 いいや、だからこそ。


 だからこそ、彼女たちを一人残らず救ってやらねば――


「……あ」


 千明が引き金を引くより早く、百那のデザートイーグルが彼女の頭を打ち砕いていた。


 それはそれは見事な、惚れ惚れするほど美しい、ブレのない射撃姿勢で。


 それこそが、唯愛に叩き込まれた、必要最低限の射撃であった。


 百那はそのまま唯愛に駆け寄ると、


「唯愛、唯愛ッ!」


 血に塗れた、誰がどう見ても絶対に助からない彼女の、すっかり冷たくなってしまった体を、ひたすらに揺する。


「……そんな真っ青な顔しちゃって、撃たれたのは私なのに」


 今にも泣き出しそうな百那に対して、唯愛はあくまで微笑みを浮かべていて。

 そのまま優しく百那の頬に手を当てると、続けた。


「そんなことより、さっきの続きをしようよ、見てほしいものがあるんでしょ?」


「……そんなことって!」


「だって私、もう助からないし」


 分かりきったことを、唯愛はあえて口に出していた。


「だから最期に、ちゃんと見たいんだ」


「……唯愛」


 百那は涙を拭くと、ポケットからそれを取り出した。


 それは、そのカードは、決して見慣れた白紙ではなくて。


「……『埋橋唯愛』ってちゃんと書いてある」


 唯愛は、感無量で呟いた。ほろりと、静かに涙が一条流れる。


 ああ、単なる偽名のひとつだったのに、今はこんなにも愛おしい。


「……良かった、本当に良かった、百那に好きになってもらえて」


「わたしも、唯愛を好きになれて、本当に良かった」


 だけど、それがこのゲームで示すものはあまりにも残酷で。


 だけど唯愛は、その残酷ささえも愛おしみながら言葉を発した。


「……だから、私を殺して、百那」


 そうだ、水庫百那は、埋橋唯愛を殺さないといけない。


「でも、唯愛」


「早く殺さないと、死んじゃうよ」


 唯愛も、百那も。


「……でも、その前にひとつ、いいかな」


 唯愛は少しだけ躊躇ったあと、続けた。


「キスをして。……佐々木さんだけじゃズルいし」


「……うん」


 百那の小さな唇が、柔らかな唇が、そっと優しく唯愛の唇に触れる。


 それだけで、未練はなかった。


「……ありがとう。あとは――」


「唯愛、出来ないよ」


「でも、やらなくちゃ。だって死んじゃうもん」


「唯愛、わたしは、わたしは」


「……せっかく人を好きになれたんだ、だったら外に出て、もっと色んな人を好きにならなくちゃ」


「わたしは、唯愛以外好きになれなくていいよ」


「……そっか。でも人を好きになるって楽しいから、きっと止められないよ」


「同じくらい、苦しいよ」


「……そんなんだよ。人を好きになるって、楽しくて、苦しいんだ。だからやめられないし、だけどやめられないんだ――」


 そこまで言って、勢いよく唯愛は血を吐いた。体はどんどん冷たくなっていって、まるで氷を触っているようで。


「……お願い、百那。私を殺して」


 百那の手を精いっぱい――しかしひどく弱々しく――握って、唯愛は彼女を見つめる。


「私を殺して、生きて」


「……分かったよ、唯愛」


 百那はその深い色の瞳から一条の涙を流し、その頭を撃ち抜いた。

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