8.銃は拳より強し

 銃はけんより強し――それは、白鷺まほろが辿り着いた、ひとつの真実であった。


 彼女は中学時代、同じ空手道場に通う一人の少女に、どうやっても勝てなかった。

 中学一年生で突然やってきた彼女はメキメキと頭角を現していき、わずか半年で、今まで同世代相手には負けなしだったまほろを下すに至る。


 一度なら偶然、こっちが油断していただけ――そんな言い訳も出来たが、いくら練習を積んでも、自分が10強くなる間に彼女は100は強くなっていて、何度挑んでも、まほろが勝つことはなかった。


 自分は幼稚園児の頃から空手をやっているにも関わらず、半年そこらの初心者相手にこの体たらくはなんだろう。

 もう練習なんかしたくなかった。いくらやっても敵わないのだから。道着を見るだけで、道場の畳を見るだけで、気分が悪くなった。


 その頃ちょうど、親がクレー射撃にハマっていて、それでまほろも勧められたのだ。


『ビームライフル射撃っていうんだけど、やってみないか?』


 ロボットアニメではない。光を照射する光線銃を使った、射撃競技だ。

 弾を使用しないため誰でも始めることが出来る、銃規制がある日本ならではの競技である。


 射撃という言葉を聞いて、まほろは最初にこう思った。


『そうだよ、あいつがいくら空手強くたって銃で撃たれたら死ぬし!』


 実にアホらしい理由だったが、まほろはそれを機に射撃という競技に取り憑かれ、当然のように十年近く続けた空手をやめた。


 まさしく、銃はけんより強し、だ。


 そんな彼女に支給されたのは、古めかしいスコープ付きの小銃――九七式狙撃銃だった。ボルトアクションライフル――木の銃床の、黒いレバーを弄って撃つ方式の銃である。おそらくレプリカ品ではあるが、旧日本軍で使われたと言えばその古さがよく伝わるだろう。


 1mをゆうに超えるそれを渡されて、まほろはこのゲームが何のために行われているか、誰よりも早く確信した。


 なんのことはない、娯楽目的だ。


 このゲームの主催者や視聴者たちは、女子高生が殺し合うさまを見て喜んでいるのだろう。


 そうでなければ、ビームライフル射撃をやっている自分のもとに、こんないかにもな骨董品が支給されるはずがないだろう。


(……つったってまあ、これと競技に使う銃は全然違うんだけどね。条件だってぜんぜん違うし)


 それでも、こんな高射程な武器を手に入れられたことは願ったり叶ったりだった。


 一番好きな人を殺さないといけない。

 そんな極限状態の割に、まほろは気楽なもので。


 その理由は、視線の先に立つ少女――神長かみなが琴子ことこにあった。


 神長琴子。


 めちゃくちゃ背が高くて、めちゃくちゃ手足が長くて、めちゃくちゃ顔の良い、しかもベリショな女。


 いかにも過ぎる、女子校の王子様だ。


 まほろは2年4組で彼女に出会い、一目惚れして、しばらくしてから気づいた。


(……こいつ、私から空手を奪ったやつじゃん)


 あの天才だった。あの頃より背も伸びてるし顔もずいぶん整ったように見えたが、それでも面影があった。


 名前だって覚えていたのに、なぜ結びつかなかったのかと言えば。


(だってこの学校、空手部ないし)


 それから少し調べてわかったのだが、神長琴子は中学3年生の時に県大会の2回戦で敗退するという、毒にも薬にもならない成績を残して以来、空手の道から離れていた。……前年、2年生ながら全国大会で5位の成績を出しているにも拘わらず、だ。


 ムカついた。


 途方もなく、腹がたった。


 相手が強かったのか偶然調子が悪かったのか知らないが、たかが一回負けたくらいで空手から逃げやがって。


 私は諦めるまでに何度も何度もお前にボコボコにされたのに。


 私から空手を奪って、挙げ句やることが女子校の王子様か。


 神長琴子はいざ話してみるとつまんねー女(というか気遣いというステータスがゼロを通り越してマイナスに振り切れている)だと分かるため、徐々に周囲から人間は離れていったが、しかしまほろだけは、付かず離れずの距離で彼女を見つめていた。


 いつもいつも、イライラしながら。


 なのにどうしてだろう。このカードは、神長琴子こそ私が一番好きな相手だとか抜かしやがる。

 壊れているのだろう。調べ間違ったのだろう。だが、好都合だった。


 大嫌いな相手を殺してそれで済むなら、それも長年培ってきた狙撃で出来るなら、こんなに嬉しいことはない。


 かくして白鷺まほろは、今も神長琴子を付かず離れずの距離で見ていた。


 小汚い、まるで見通しの利かない濁った池。そのほとりに建てられたテント。背後には雑木林がある。

 どういうわけか、琴子はテントの前で目を瞑って腕組したまま、微動だにしないのである。


 いや、少し前に一度何故か石を池に向かって投げていたが、それくらいのもので、あとはもう、まるで動いていない。


 一方のまほろと言えば、テントの対岸、200mほど離れた雑木林の中、いちばん背の高い木に登って、銃を構えながらひっそりと琴子を見ていた。


 日は沈みかけているが、幸運なことに風は吹いていない。


 いつでも撃ち殺せる――相変わらず目を閉じたままの琴子をスコープ越しに見ながら思うが、不思議と引き金を引く気にはならなくて。


(……ビビってる?)


 それはなぜか。


 純粋に人殺しが怖いのか。それとも、あの神長琴子が――


「……ひっ」


 神長琴子が、目を開いた。


 スコープ越しのそれは、ひどく鋭くて、まるであの頃のようで。


(まさか、気づかれて――)


橋爪はしずめさんだ」


 遅れて、神長琴子の前に橋爪千佳ちかが現れたことに気づいた。


 気づかれていないことに――そんなの当たり前なのに――どこかホッとしている自分に腹を立てながら、まほろはボルトをガチャりと操作した。


 ※


「かかかかかかかっ、神長さん、死んでっ!」


 雑木林からまろび出た千佳は震える手に拳銃を持って、これまた震える声で言った。


 神長琴子は性格が悪いらしい――そんな風評にも負けず、彼女を推し続けていたファンのひとりである。


 話したことはほぼないが。


 話したことがないから、ここにいるわけだが。


 話したことがないのは、まほろも大差ないのだが。


「――がっ」


 そんな彼女の頭は、九七式狙撃銃の実包に撃ち抜かれた。



 ※


 ヘッドショットとか、お話の中だけのことだと思っていた。


 無我夢中だった。気がつけば、千佳の頭を撃ち抜いていた。


(いや何で神長の頭じゃないの!?)


 なんて考える間にも、体は勝手に動いていて。


 まるでついでのように琴子を撃っていた。


 だがそれは、電光石火の身のこなしで避けられていて、


(――はあっ!?)


 神長琴子は、全く予想外の行動に出る。


 もし外したら相手は背後の雑木林に逃げるだろうと、そう思っていた。

 ここら一帯で一番背が高くて見晴らしの良いこの木ならば、たやすく狙撃可能、むしろ袋の鼠だ、くらいに考えていたものだけれど。


(いやいやいやいや、なんでだよっ)


 だけど琴子は、予想外にも、池に飛び込んでいた。


 濁って、おまけに日が沈んできたせいでろくに見通しのつかない池の中に。


 水の動きで予測する? 駄目だ、思ったより深くて動きが読めない。


 これからどうするつもりだ? 普通に逃げるために水の中に入ったのか? 


 いいや、もしかしてこちらに直接――


 ばしゃり、そんな音がほとり近くで聞こえて、反射的に撃った。


「――ちッ」


 しかしそれは、単なる大きめの石で。


おとり!?)


 ほぼ同時に、またばしゃりと音が鳴って、まほろはほとりから上陸した琴子の後ろ姿を遅まきに捉える。


 しかして銃弾はその影を撃つだけで、彼女はそのまま、こちらがいる雑木林に駆け出していった。


「……くそっ」


 林の中は、近すぎるゆえに見渡すことは出来ない。


 5発の実包を使い果たして、新しい実包を供給しながらまほろは思案する。


 神長琴子は、一体何をするつもりなのか。

 普通ならば、逃げるだろう。当たり前だ。こっちは狙撃銃を持っている。相手の得物が何かは分からないが、一度態勢を整えてから――それが常識的な判断に違いない。


 だが、しかし。


 先ほど見たあの鋭い眼光が、まほろの判断を鈍らせる。


 橋爪千佳を前に見せた、あの鋭い眼光は、まさしく中学時代に幾度もまほろを瞬殺したあの眼光に相違なく、それは同時に鋭い正拳突きや鋭い廻し蹴りを想起させる。


 中学時代の琴子は、ただシンプルに、鬼と呼ばれていた。


 鬼は、空手を引退した今も、生きていたのだ。どころか、鬼の視線の鋭さは、自分が空手をやめたとき以上に見えた。


 考えすぎだろうか? いいや、そんなはずはない。


 橋爪千佳をヘッドショットしてからの動きは、常人のそれを遥かに超えていた。

 普通の女子高生が、何のためらいもなく池に飛び込み、囮さえ使いながら瞬く間にこちらの雑木林にやってきたのだ。


 逃走のみを考えてるならもっと効率的な方法があっただろう。少なくとも、こんな離れ業が出来るならば、もっと容易に逃げることが出来たはずだ。


 だから、神長琴子は、まほろを殺すためにこちらにやってきたに違いない。


(……落ち着け)


 乱れた呼吸を整えながら、思案する。


 鬼が生きていたとしても、こちらには九七式があるではないか。


 単なる殴り合いならば、万にひとつも勝ち目はないかもしれないが、今の自分には銃がある。


 相手の得物が拳銃でも、こちらが勝てる。ナイフならば尚更、絶対に。


 通常の狙撃戦ならば、おそらく狙撃に失敗した時点で逃げるなり場所を変えるのが得策なのだろう。


 だが、今自分は絶対的な優位に立っているのだ。


 下手に地面に降りたら、それこそ死ではないか。


 自分が警戒するべきは、後ろから撃たれることだけ。


 まほろは背中に幹を密着させて、ひたすらに周囲を警戒する。


 それこそ、先ほどテントの前に陣取って動かなかった琴子のように。


 感覚を研ぎ澄ますまでもなかった。


 いつやってくるか怯えるまでもなかった。


 神長琴子は最短距離でこっちにやってくる。


 神長琴子はこちらを知らない。


 白鷺まほろが一方的に神長琴子を知っているだけだ。


 だから、逃げられぬように、彼女はすぐさまにやってきた。


 先触れは、投石とともに。


 手のひら大の石が凄まじい速度で、顔面に迫る。


 思わず避けると、眼下のうちに神長琴子はいて。


 その手に握られているのは、ナイフだった。


(――勝った!)


 まほろは撃つ。一度ならず、何度もボルトを操作して。


 だけど、どういうことだろう。


 初撃が避けられて、二撃目、三撃目、四撃目も避けられて――


 気がつけば琴子は、自らの真下に居た。


 それは近すぎるゆえに銃を十全に扱える範囲ではなくて。


 瞬間。琴子とまほろの目は、合った。


 琴子の目は、鋭く、それでいて吸い込まれるように深くて、綺麗で。


 まほろはそれから目をそらすことが出来なくて。


 琴子の手からナイフが投擲され、その刃は吸い込まれるように、まほろの額に突き刺さった。


 脳裏に、走馬灯が走る。


 一番最初は、正拳突きだった。顎にモロに食らって、一発で伸びた記憶。


 それからも、正拳突き、裏拳、手刀、掌底、廻し蹴り、前蹴り、他にも色々。何度も何度も、畳に叩きつけられた記憶。


 泣けるほど勝てなかった記憶。


 天才と凡人の差を、これでもかと言うほどに味わわされた記憶。


 逃げた先でやった、ビームライフル射撃は楽しかった。当然自分より出来る人も居たが、それでも神長琴子相手に味わった地獄のような実力差を感じたことなど、一度もなかった。


 なのに、あいつは逃げた先でも追ってきた。

 しかも、バチクソに好みな見てくれになって。


 視界の端でどうしても追ってしまうが、それでも、あるいはだからこそ、どうしようもない苛立ちがこみ上げてきて。


 だけど、その苛立ちはきっと、神長琴子のせいではなかったのだ。


 神長琴子を見ていると、逃げた自分をまざまざと見せつけられるから。


 だから白鷺まほろは、苛々していたのだ。


 まほろの体が、木から落ちて、地面に叩きつけられる。


 それでも、まほろは、


「逃げても、最後に勝てば、間違いじゃないっ!」


 まほろは生きていた。


 ナイフは彼女の額に突き刺さり、頭蓋骨を貫通したが、しかし脳には達していなかった。


 立ち上がり、ボルトを動かし、最後の一撃を放つ。


 自分の逃げは間違いではなかったと、そう証明するために。


 それは琴子の横腹を貫通し、


「……そういえばアンタ、昔どっかであったことある気がするわ」


 直撃した正拳突きが、刃を脳に達させた。


 最後は、正拳突きだった。


 バタリと、今度こそまほろが倒れる。


「……思い出せないけど、中々やるじゃん」


 琴子は消え入りそうな声でつぶやくと、何度も血を吐いてから、前のめりに倒れた。


 おびただしい血が腹から流れて、彼女を中心にあたりを血の池にしていた。


 死亡者名簿

 13.橋爪千佳

 14.白鷺まほろ


 ……残り24名

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る