警備はきちんと

山吹弓美

警備はきちんと

「貴様との婚約を、ここで破棄する」


 第一王子を含む、生徒の学園卒業を祝うパーティ。

 その場において礼装に身を包んだ第一王子は、婚約者である公爵令嬢に対してそんな言葉を吐き捨てた。その腕の中には、学園で出会い睦み合った男爵令嬢の姿がある。ひどく豪華なドレスは、おそらく王子からの贈り物であろう。


「貴様はこの『我が愛』に暴言を吐き、持ち物を破壊し、その上階段から突き落としたというではないか。そのようなおぞましい行為を、顔色も変えずに行う犯罪者が、この俺の妃になるなど耐えられん!」


「ありがとうございます、殿下あ。あたし、殿下に守っていただけるなんてえ」


 男爵令嬢はべたべたと第一王子の胸板に自身のたわわな胸を押し付けながら、手に持つ小さなぬいぐるみを撫でる。丁寧に作られた、二頭身の熊のぬいぐるみだ。

 この学園には、あちこちにさまざまなサイズのぬいぐるみが飾られている。入学時、それらには大切な役割があって飾られているのだということが生徒には説明されているはずだが、その一つを令嬢は気に入ったからと言って持ち歩いているのだ。

 その二人を、実家にて準備された清楚なドレスに身を包んだ公爵令嬢は半ば呆れ顔を扇に隠しながら見つめている。彼らの言葉が終わったと見たところで、スカートをつまみ頭を下げた。


「婚約の破棄につきましては、お受けいたします。初対面のご令嬢に対し、何ら後ろ暗いことは行っておりませんがどうやらそれも信じていただけないようですので」


「殿下あ、あの方いつもあんな感じであたしのことを、いじめるんですよお」


「そうだ! 彼女がこのように言っているのに、貴様は!」


 周囲の視線は、どちらかといえば公爵令嬢に対し同情的なものである。

 卒業記念パーティなのであるから王子ら以外の卒業生も、その他の招待客などもいる中でのこの状況。

 それなのに第一王子と男爵令嬢は、自分たちに有利と見ているのだろうか、ふんと胸を張った。


「良いか! 第一王子の名において、貴様を」


「たったお一人の証言だけで、罪を被せることができるとでもお思いですか? 覆しようのない証拠を、ここにお出しくださいませ。殿下」


 はあ。

 貴族令嬢にあるまじき大きなため息とともに、公爵令嬢はその言葉を強い口調で返した。周囲の観衆は皆、そうだそうだというように頷く。

 第一王子殿下は、男爵令嬢の諫言に惑わされて自身の婚約者である公爵令嬢を罰しようとした。おそらくは婚姻の夜まで止められているであろう、男女の睦み合いに溺れた結果として。

 実際にそういう関係にあるのかどうかはさておいて、第三者から見てそう言う風に見えるのだということを第一王子と男爵令嬢は理解できて……は、いないだろう。


「だったら貴様は、冤罪だと言い切れるだけの証拠があるとでも言うのか!」


「はい。少なくともわたくしは、そちらのご令嬢と関わることはありませんでした。その証明であれば」


 顔を真赤にして怒鳴る王子に対し、公爵令嬢はあくまでも冷静に対応している。そうしてちらりと視線を向けた先には、学園ではなく王室に仕える警備兵の制服を纏った壮年の女性。


「警備局長閣下、お願いできますでしょうか」


「はっ」


 公爵令嬢の言葉に一言の返答だけを投げかけた彼女は、学園の警備を王室より任されている警備局の長。紺を基調とした儀礼服の胸元に、可愛らしいぬいぐるみが装着されているのが印象的である。


「学園警備局長の権限において、これより指示する男爵令嬢に関する行為をここに示せ。警備スタッフよ」


『了解シマシタ。代表トシテ、すたっふ番号あんどれあ三八四三七九ガ再生担当ヲ務メマス』


「っ!??!?」


 警備局長の声、それに応答した無機質な声を聞いた瞬間、男爵令嬢が手に持っていたぬいぐるみをぽいと放り投げた。床に叩きつけられる寸前それはくるりととんぼ返りし、綺麗に足から着地してみせる。


「な、ななな」


「王族や貴族の子女が通うこの学園には、人以外にも警備がなされております。その代表が彼ら、警備スタッフです」


 王子よりも美しい礼をしてみせるぬいぐるみに、第一王子の目が見開かれている。その彼に警備局長は、平然と伝えた。


「ぬ、ぬいぐるみではないか! たかが、そのようなもので」


「歴代の王女殿下や貴族令嬢、更には現国王陛下など様々な方が卒業記念として製作された物ものでございます。入学の折にこのあたりは『きっちり』説明させていただいておりますが、お忘れですか」


 警備局長に半ば呆れた声で言われて、第一王子はしばらく考えた。そうして、何とか思い出す。そういえば卒業記念として、作れる者は一人につき一体を作っていただきたいという要請があったか。

 スタッフ番号の中に含まれた、アンドレアという名前。それは第一王子の祖母に当たる、先代国王妃の名である。もちろん、この学園の卒業生だ。


「も、もしかしてこれは、アンドレアお祖母様、の」


「お手になるものでございます。ご本人様の許可をいただき、登録番号として製作者の方々のお名前を冠させていただいております」


「お祖母様って、殿下」


「父上、国王陛下のお母様だよ……」


 国王の母親が作ったぬいぐるみを、思い切り床に叩きつけるように投げ捨てた。その事に気づいた男爵令嬢が固まるその眼の前で警備局長は、あくまでも冷静に指示を出す。


「さて。男爵令嬢への暴言でしたか。『再生』」


『該当情報ハ登録サレテオリマセン。類似情報ヲ再生シマスカ』


「してくれ」


『承知シマシタ。…………何よ、殿下の婚約者のくせに殿下におべっか使わないとか。自分のほうが成績がいいからってふざけてんの?』


 淡々と交わされた言葉の後で、ぬいぐるみは突然声を張り上げた。もともとの声ではなく、分かりやすく男爵令嬢の声であることがその場にいる全員には分かる。


「ちょ、ちょっとやめてよ何よそれ!」


『金持ちだからって殿下のお妃とか、ばっかじゃないの? 愛されてもいないくせに』


「……おまえ、なに」


「違いますう! こんなの、デタラメですう!」


 腰から手を離し、信じられない物を見る目になった王子に対して男爵令嬢は、必死にその腕にすがりつく。むにゅ、とあからさまに胸を押し付けている格好になるが、王子にその感触が伝わってはいないようだ。


「男爵令嬢の所有物の破壊、『再生』」


『該当情報ハ登録サレテオリマセン。ナオ、男爵令嬢本人ニヨル所持物ノ破壊ニツイテ情報アリ』


「では、そちらを『再生』」


『ふざけんじゃないわよ。ちゃんといたずら書きとか、ペン折ったりとかしてくれなきゃ、あたしが殿下に泣きつけないじゃないの!』


 警備局長の指示に応じて再生された音声の中には、ビリビリと紙を破る音やぼきりと何かを折る音が付随している。それが何を意味するかは、説明されるまでもないだろう。


「男爵令嬢が、階段から突き落とされた件について『再生』」


『該当情報ハ登録サレテオリマセン』


「では、男爵令嬢が階段から飛び降りた件があれば『再生』」


『該当情報アリ。再生シマス。……いったあ、さすがにちょっとだけひねっちゃったかな。ふん、これであの女も終わりよ。さすがに、これなら殿下も怒ってくれるわよね!』


 再生される台詞の前にどたん、と床に重いものが落ちる音がした。ただ、大したダメージがないことは音と、その後に続いた言葉でも分かる。


「再生終了。この後証拠提出のため、出頭を命じる。……ということですね」


 最後の一言以外は、ぬいぐるみに対するもの。それに対しアンドレア前王妃の名を関するぬいぐるみは、再び流麗な仕草で頭を下げてみせた。


「これで、公爵令嬢に対する先程のお二方のお言葉は信憑性の全くない、嘘であると警備局長の名において宣言いたします」


「お手数をおかけしましたわね。警備局長閣下」


「大したことではありません。仕事ですから」


 その場に佇み、じっとぬいぐるみの『再生』を聞いていた公爵令嬢は、先程のぬいぐるみの礼よりも美しく膝を折った。軽く手を上げてから、警備局長はすっかり固まってしまっている第一王子と男爵令嬢に視線を向ける。


「なお、警備スタッフが保存している情報につきましては、たとえ王族といえども改変及び二十年以内の破棄はまかりならぬ。そう、国の法で定められております。違反した場合には、最悪極刑もあり得ます」


 よって、先程ぬいぐるみが『再生』してみせた音声に嘘はない。そう、宣言する。


「そうそう。来年度からはシステムが改良されまして、映像も保存できることになります。教員各位、それに今後も学園に通われる皆様におかれましてはくれぐれも、学園生活において愚かしい行為はなさらぬよう」


 卒業生の付き添いなどでこの場にいる、その他の者たちに伝えた警備局長の表情は、大変に晴れ晴れとしていた。

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