第47話 人間標本(12)
数時間後、優子は病院で目覚めた。
両親や医者と色々とやり取りをしてわかったことは、優子以外にも突然倒れた教員・生徒が集団入院しているということだった。あの時校舎にいた者の内、かなりの割合は避難に成功していたらしい。敵は学校全体を乗っ取ろうとしていたというより、優子たちが屋上に残っており逃げにくい状態を狙い、校内各所で少しずつ兵士たちを増やしていた、と言う所だろう。
それに加えて、鏡の妖精の死と関係するのだろうが、学校中の鏡や窓が全て破損していた。またしてもしばらく休校である。
――このことも、みんなまた忘れちゃうのかな……。
数日後、千々岩が面会に来た。
両親は彼を、「長刀の稽古をしてくれる師匠」と認識している。そのため優子は、あまり使う予定が無い長刀に関しても、きちんと訓練しなければいけなかった。
彼らは優子の本当の身体能力や、怪異退治の訓練のことも、何も知らない。……人間たちの平穏な生活を守るためには、隠すしかない。なかなか骨が折れるものだ。
「あのあと学校を検査して、鏡の妖精が消滅したことを確認したよ。完全にね!」
優子の鼓膜が破れているため、千々岩は近くで、やや声を張り上げながら報告する。
彼が大声を出すことなどめったにないので、優子は思わず笑ってしまった。
「それで……智也君は、どうなったの?」
「まず、心身に異常はない。魂の方は、『鏡の妖精』と言う人格が消滅したのに巻き込まれて、少々破損したかもしれない。でも、いずれ回復するはずだ。」
「良かった…………でも、その……また暴走するっていう可能性はないの?」
「それはないだろうね。『鏡の妖精』は消滅したと言ったが、どちらかと言えば分解されて、本来の智也君の魂に統合された、と言った方が良い。言うなればあの化け物たちは、単に能力が暴走して生じた『現象』だからね。……ただ、今後彼の『能力』がどうなるのかは、正直なことを言うと、よくわからない。彼はもともと学力は高いようだが、それに私たちのような身体能力も加わるのか。今後も他人の魂を利用して眷属を作れるのか。それは意図せずとも起きてしまうものなのか……本人が注意していないとね。……実はさっき、彼に会ってこれを渡してきたんだ。」
千々岩は懐から例のお守りを取り出す。
「これからは、これを肌身離さず持っていなさい、ってね……。自分自身の力を抑えるのにも使える。今回は力の源が完全に『外』に移ってしまったから防げなかったけれど、新しく何かが生まれるのは防げるはずだ。」
「ありがとう、先生……色々、助けてくれて。」
優子はそう言ってから、ふと俯く。
「私……一人でどうにかしようって思ったけど……全然、できなかった。」
「…………確かに、武器の使いこなしは悪くなかっただろうけど、ヒーローみたいな戦いは、できなかったね。」
キューピットさんとは戦いすらせず、単に智也のおこぼれをもらっただけだった。
先生に武器を授けられて
処刑人との戦いでは一度優位に立てたと思ったが、彼が鏡を経由して移動していることも知らずに奇襲戦法に翻弄され、捕まえることすらできなかった。……そして、千々岩の忠告に従ったからとは言え、犠牲者が出るのを止められなかった。
そうしている間にいつの間にか八十名以上の生徒の魂が奪われ、敵の尖兵となって自分を包囲していた。智也に助けられて辛うじて武器を手にし、そこで油断して那麻吾呂氏に背後を取られた。
挙句の果てに敵の巣に閉じ込められ、殺されかけた――
……ほとんど何一つ、自分の力でなし得たことなどなかった。
優子は唇を噛んで涙を落とす。
「ごめんなさい……迷惑、かけちゃって…………でも、私一人でも、やるしかないって思ってっ……ただ、私がもっと、強ければ……!」
「…………ああ、君が戦うのを選んだのは正しいよ。間違っていたのは、事件を見過ごそうとした私だ。……もちろん、そんなことはわかっていた上で、長い目で見て最善と思った方を選んだんだけど……。」
千々岩は苦笑しながら首を振る。
「そんなことを言ってもけっきょく私のような者は、戦わざるを得なくなるというのにね。」
あのとき千々岩は、優子たちの使っていたお守りが二つ無くなったのを感知して学校に急いだ。だが、それが無ければ……。
どこかで無意識に「これ以上悪いことは起きないだろう」と言う思い込みが、あるいは期待があったのだろう。もっと早く動くべきだったのだ。……大人として、子供を守るべきだった。
だが彼はルールに従うことに慣れすぎていて、判断が鈍っていた。問題がこの程度で済むなら、従っておこう。この程度で介入があったのなら、敵もそれ以上の悪事は起こせない、と。
……そんなはずが、あるわけがない。敵は悪魔、すなわち悪意の塊なのだ。悪魔たちが寄り集まってただの安全保障のために結んだ取り決めや単なる力加減による秩序が、平和など約束してくれるはずはない。
「まあ幸い、今回は『調整者』に目をつけられたわけではないらしい。そもそも彼と交渉したのは『世常智也』だからね。今の世常智也が私たちを訴えなければ、何も問題はない。」
「『調整者』…………やっぱり、そいつを倒さないと、また同じことが繰り返されるんだよね……そいつがいるから霊たちも抑え込まれてるっていうのは、分かってるけど……。」
優子は歯噛みする。
「それでもやっぱり、許せないよっ……!」
「調整者」――人間の魂を食らう上級霊達のために、魂の「生産」と「分配」を調整する存在。今回の事件で人間たちが怪異のことを忘却したのは、そいつの仕業らしい。
加えて千々岩は、鏡の妖精が最後にあれほど自在に姿を変えることができたのも、調整者の力を取り込んだためではないかと思っている。単純に魂を多く取り込んだだけでは、本体の性質をそうやすやすと変えることはできない。
本来、優子たちもその霊たちと同族。故に、定められた法に従って生きるべきはずだ。だが……。
「このままじゃいけないというのは、私もわかってるんだっ……。でも正直言うと、私もどうすればいいかわからない。」
千々岩は力なく笑った。
「今までで、人間のために私ができる限りのことは、し尽くしているつもりなんだけれど……難しいね。」
「……………………戦うしか、無いよ。」
千々岩は黙って彼女の顔を見る――もうとっくに覚悟は決まっている、と言うような目だった。
「戦おうよ、先生も一緒に……。どうすればいいか、まだわかんないけど…………もっと仲間を集めれば、できることも増えるはず。きっと、同じ気持ちの人は、世界中にいるはずだよ。」
「……それが、どれだけ大変なことか、わかっているのかい。最悪、人間たちも巻き込んで戦争になるかもしれないよ?」
「わかってる……ううん、何が起きるかは、わかんないけど、でもっ、覚悟はできてる!」
「……覚悟とはなんだい?君は、何を犠牲にできるのかな?」
千々岩は優子に鋭い目を向ける。
この子がただの幼い義憤や若い勢いでこんなことを言うはずはないと、知っていた。
……だがこの点だけは、はっきりさせなくてはいけない。
「命。自分のも……敵の命も。」
――即答だった。
千々岩は彼女の目を見て、それがもう、
「もちろん、できるだけ誰も死なないようにする!そのためにも、強くならないといけないし――だから、先生にも、手伝って欲しい。」
「ええ、喜んで。……でも、戦うだけではどうにもならないよ。」
「そうだよね、だから……とりあえず、最初は見つからないようにこっそりやればいいよ。……それから、人間たちにも協力してもらうのはどうかな?ほら、時々お祓いお願いしてくる人の中には、ちゃんと敵のこと覚えてる人たちもいるでしょ?それから…………それから……………………。」
優子はその優れた頭脳と幼い声で、懸命に計画をひねり出そうとする。
千々岩はそんな彼女を見ても、何か教訓めいたことやアドバイスなど言えるはずもなかった。今の自分は、先生ではない。優子と同じ、進路に迷っている若者だ――
「…………とりあえず、後で考えましょう。――二人で、時間をかけて。」
千々岩はいつも優子にそうするように、優しい口調で――同時に、自分が逃げないための宣告として、そう言った。
「………………………………ああ、それと。」
と、千々岩はつけ加える。
「どうやら今回の戦いの中で、君も私も、人間達の魂に傷をつけてしまったようだ。」
あの昆虫たちと、黒い塊と――那麻吾呂氏の言葉の通りなら、あれは宿主の人間たちの魂の状態とリンクしているはずだ。
「あっ……そうだった。……もしかして何か、後遺症とか残ってるの?」
「いや、それほど深刻な影響は出ていないよ。あれらは魂そのものとは違うからね……ただ、もし有るとすれば――」
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