第45話 人間標本(10)

「――僕の名前は、え~っと……『小さな皇帝スローエンペラー』、かな。――改めてよろしく、|お嬢さんユンゲダーメ。」

 優子の目の前に浮かぶ青年はを胸に当て、恭しく頭を下げる。髪をオールバックにしてポマードで固め、タキシードに身を包む、ステレオタイプな西洋製の紳士。

「キャラクターの設定としては……この博物館のパトロンってとこかな。幼いころから標本収集が趣味だった、若くして巨財を築いた青年実業家、みたいな?」


 だが、その文明的な布切れに覆われた中身の肉は、異形そのものだった。


 四本の腕、袖や胸元を覆う茶色い羽毛……そして、背中に張り付けられたように生えた、大きな羽。


 全体的にくすみがかかったような茶色で、全ての羽に一つずつ、大きな目玉のような文様を有している。ただの擬態ではなく、クレヨンがにじんだようなそのくろぐろとした輪郭は、ぐるぐると回りながら広がったり、収縮したりしている――まるで、本物の目玉のように。


 右の前翅は白いテープでツギハギされており、翅全体に蛇腹のような筋が広がっているのも相まって、あたかも紙でできているかのような脆い印象を与える。しかし、その薄い羽根は羽ばたくこともせず、青年の重い体重をふわりと空中に持ち上げている。


 そして顔にも同様に、斜め右下にかけて白いテープの「接合」跡が残る。左側の肌の色は透き通った白色人種のそれだが、右半分は翅と同じようなこげ茶色だった。如何にも、二つの顔を無理やりつなぎ合わせたという印象。


 極めつけにその歪な顔面を、茶色い蛾を象ったベネチアンマスクで覆う。自分のモチーフを誇示しているのだろうか。ただし覗き穴は四つあり、その全てから本物の眼球が優子を見下ろしている。


「――さて、それはともかく、少し『僕』の話をしよう。……まだコピー君が言葉をあまり知らなかった頃、僕が彼に最初に『読ませた』のは国語の教科書だった。まあ、それにしても彼の理解度はお粗末なものだったけれどね。」

 小さな皇帝スローエンペラーは自在に上空を飛び回りながら、優子に向かって話しかける。

「特に彼が興味を持っていたのは現代文の小説だった。それなのに心情理解が全くもってなっていなかった。人間と同じテストを受けたら落第間違いなしだったね。……ところが、色々な人間の心に触れて学習を重ねる内に、段々ましになってきたんだ。それでもやはり最初は他人の解釈のまねっこコピーレンでしかなくてね。話す度に違う人の意見を持ってきては修正を重ねることの繰り返しだったよ。」

「……ねえ、それって何の話?」

「その過程で、面白いことが分かったんだ。同じ物語に対しても、人によって抱く感想が全く違うってことだよ。」

 彼は優子の質問を無視し、勝手に気障な調子で喋りつづける。優子はそんな彼の様子に困惑し、これが「本物」トモヤなのかどうか、いぶかしんでいた。……だが、そもそもこれこそが、彼のの口調なのである。

「もちろん至極当然のことだし、僕だってそんなことは重々承知しているさ。ただ、僕が言った『感想』と言うのは物語のテーマの解釈とか言うより、登場人物に対する評価のことさ。『このお話が伝えたいことは何でしょう?』……そう言った先生方からの問いに対しては、ある程度の模範解答が用意されているものだろう?もちろんそれに正しく答えるのが僕たち学徒の務めだし、君が興味を持つのもその一点だけだろう……でもね、優子さん。その模範解答に対して不満を持っている奴は意外と多いみたいなんだよ。」

 トモヤのようなナニカは高度を下げ、優子にずいっと顔を寄せる。

 思わず彼に間合いに入ることを許してしまった優子は、鞭を持つ手に力を籠める……だが、それを振るうことはできない。


「つまり、物語から得るべき道徳的教訓では満足できないということさ。『このような望ましい行為をしましょう』、或いは『このような行為は望ましくないのでやめた方が良い』、とか……彼らはそう言った一般的なメッセージは無視したがる。それよりも気になって仕方ないのは、『どのキャラクターが一番悪い奴か』ってことさ。個人的な他者への恨みを投影して憎んだり、あるいは白黒つけられないことに煩悶したりするんだ……面白いだろう?全く、僕たちみたいな優等生には全然理解できないよね……人間クズどもの思考回路はさ。」

 小さな皇帝はニヤニヤしながらそう言ったきり、沈黙する。…………五秒経ってから優子は、ようやくそれが自分に対する当てつけだとわかった。


「何が、言いたいの……?」

「おっと、これは失礼フェアツァイウング。そうかそうか、君ともあろう人がわからなかったか。前回の期末テストでは国語でも一位を取ったと言うのに。……因みに僕は16位だった。やはり叶わないね、敬服するよ。」

「皮肉だって言うのはわかるよ……じゃなくてあなたはっ、さっきから何が言いたいの!」

 優子は彼の顔をきっと睨みつける。

「なるほど、知識としての表現技法は知っていても、それを用いる人物の意図が読めないんだね。確かに、先生に教わらないでゼロから解くと言うのは難しい。……ではもう少しヒントをあげよう。」

 小さな皇帝は指を立て、それ以外の腕を腰の後ろで組む。

「先ほどの『どの登場人物が一番悪いか』と言う問題、僕だったら次のように答えよう――『白か黒かなんて区別はない。お前ら含め全員が真っ黒だ』ってね!」


 彼はばっ、と翅をひるがえし、宙高く飛び上がった。

 翅に描かれた目玉が大きく見開かれると共に、それを視認した優子の視界がぐにゃり、と歪む。


「君はどう思うのかなぁ優子さん!?やっぱりこの世界には『良い人』と『悪い奴』がいて、自分はそれを正しく見極められると思うのかい?そして『悪い奴』を打ちのめして『良い奴』になるように教育してやれば、すべて丸く収まるんだよね!?全くその通りだ、僕も大賛成さ……なんて、言うとでも思ったかよ!?」

 小さな皇帝は激しく羽ばたく。

「ゲホッ、ゲホゲホゲホッ…………!」

 優子は激しくせき込みながら、頭を抱えてうずくまった。

 物体の輪郭が崩れて混ざり、色がスペクトルに溶けだして黒く滲む。頭の中をガンガンと叩きつけられるような痛み。平衡感覚がなくなり、全てが曖昧に入り混じって歪んでいく。


「そういう考え方の大前提はさぁ、少なくとも自分だけは『良い奴』ってことだろ……!?思い上がるのもたいがいにしろよ優等生キャラがっ!ただ優秀過ぎて失敗したことがないだけの奴がっ、弱者の気持ちを少しでも考えたことあんのかよっ!?」

 優子の世界が黒く、黒く埋め尽くされていく。これは……おそらく毒だ。蛾の鱗粉だ。

 そんなべったりとした世界の中で、首元に加わった冷たい感触だけがはっきりと感じられる。

 そして目の前の暗闇には、彼の血走った四つの目が浮かび上がる。

「弁が立たないから怒鳴るしかない。何かが劣っているから羨むしかない。自分が嫌いだから苛立つしかない。自分より下を探すして弄るしかない。戦えないなら逃げるしかない。逃げられないなら生きていけない……弱いからっ、正義のヒーローにもなれない……!」

 小さな皇帝カイザは――幼い法の支配者は、その四つの掌で優子の首を絞めつける。八十匹以上の、幼いヒトの呪詛を込めて。

 廊下からなだれ込んできた昆虫たちが、ギイギイとはやし立てるように叫び散らす。


「だからみんなっ!みたいな奴が大っ嫌いなんだよおぉっ……!」


 ――A組のユーコとか。……あと、目立たないけどトモヤとかさ。


 ――そうそう、わかる。


 ――嫌い。


 ――嫌いだ。


 ――お前なんか嫌いだ。


 ――あの子のせいで。


 ――大嫌い。


 ――死んじゃえ。


 ――あいつさえいなければ。


 ――お前嫌い。


 ――こっちこそ。


 ――憎い。


 ――よくもあの時は。


 ――今度はお前の番だ。


 鏡の中で、無数の声が重なり響き合う。


 オレはオマエが嫌い。オマエはワタシが嫌い。ワタシはボクが嫌い。アナタがぜんぶ嫌い。


 嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌いキライキライキライキライ…………


 ――ボクは、ボクタチのことがダイキライ。


 四つの瞳から、黒い涙があふれ出す。

「……おいっ!どうしたんだよ、反撃しないのかっ……!?僕を倒すんじゃないのかよ!?あの虫ケラどもみたいにさ!」


「…………智也君は、絶対、助け、る……。」

 優子はうなされるように、しかし確かに意思をもって、そう言った。


「だって……智也君は、良い人、だから…………!」


「……………………はあ?」

 化け物の手が、緩んだ。


「智也君が、嫌いなのは……『悪い人』でしょ……?だったら、私と同じだよ……!」


「…………違う、僕は、君とは違う……!」

「分かってる……!でも、弱いとか、強いとか、関係ない……あなたはっ、『良い人』!……!良いことを良い、悪いことを悪いって思えるなら……それが、『良い人』ってことだよ……。間違えたことを、後悔してるなら……もう一回、やり直せばいい……!私も、手伝うから……!」

 優子は地面に手をつき、上体を起こそうとする。

 皇帝は苦し気に顔をゆがめながら、彼女の肩を押し戻す。

「…………簡単なこと、言うなよ……!僕は、僕たちは――」

 口ではそう言いながらも、自分が彼女の言葉に救われたがっていることがわかっていた。……分かってしまっていた。

「みんな、だって……手遅れじゃ、ないから…………!『良い人』に、なれるから……!」

「でも……そんなの、信じられない……………………!――アアソウサ!信ジテ良イ訳ナイ!」

 突然、皇帝の思考は二つのトモヤに分裂する。


「調子ノ良イ嘘ナンカ吐イテンジャネエヨ!オマエノ偽善ニハモウ騙サレナイゾ!知ッテルゾ、オマエコソ一番ノクズナンダッテ!見テロヨオマエラ、コイツノ化ケノ皮モ、コノオレガ、キレイニ剥ギ取ッテ……ウッ!ヤメロッ、抵抗スルナッ……!」

 皇帝は頭を抱えてのけぞる。四つの腕が、頭を左右別々の方向に引っ張る。


「お前、こそ……もう、いい……もう、うんざりなんだヨ……!人様の感情を、いつまでも引っ張ってんじゃねぇ!」

 顔の継ぎ目がぴちぴちと音を立て、広がっていく隙間から黒い液体があふれ出す。


「ウッ、アアアアァァッ…………!」

 敵が統率を失い混乱状態にあるにも関わらず、優子はこの好機を利用することができない。相変わらず体には力が入らず、武器もどこにあるのかわからない…………あとは、本物のトモヤを――彼女の相棒を、信じるしかなかった。


「ガッ、ガアァァッ…………体を、|オレにかえ、セ!」


 もがき苦しむ皇帝の周辺に、再び無数の針が出現する――そして彼の体を貫き、沈黙させた。




「…………………………………………。」




 小さな皇帝スローエンペラーは、しばらく放心状態で宙を見つめていた。


 顔の傷口から、だらだらと黒色が流れ出続ける。


 ――――やがて、彼は思い出したかのように、ひゅっ、と息を吸った。


 そして、


「――ダッハハハハハハハハハハハッ……!!!」


 ――再び狂ったように、哄笑した。


「――オマエガコノオレニ勝テルト思ッタカ!タダノ人間ガッ!ココマデ強大ニナッタオレ様ニ!アニメミタイニ精神力デ勝テル訳ネーダロ!モハヤ主導権ハコッチニアルンダ!俺コソガ世常智也ダ!ヨウヤク支配デキタ……!ツイデニ白石優子予備の体マデ手ニ入レタ!サイッコウ……!コレデ俺ハモウ、向カウトコロ敵ナシ――」


 ――――バキンッ!


 唐突に鋭い音が水を差し、智也は――鏡の妖精は、振り返った。


 部屋の中央の空間に、大きな亀裂が縦に走っている。


 ――パキパキパキッ…………ガシャンッ!ジャラララ……!


 亀裂を更に突き破って、大きな穴が開く――その向こう側に、蕁麻中学校の校舎が垣間見えた。

 風景の破片が飛び散り、白い光とともに消えていく。


 ――穴から摺り足で這入ってきたのは、白い死に装束のような袈裟を着た一人の僧侶。


「――お前は今、その天人アンゲロスの魂を支配しようとしたね……?しかも半端者の分際で。これは、誰がどう見ても違法行為だ。」

「……オマエ、ダレダ!?」

 鏡の妖精が警戒の声を上げ、昆虫たちは侵入者にとびかかる――


 ――そして数秒と経たず、その大半が薙ぎ飛ばされていた。


「……正当防衛の言い訳は、こちらが使わせてもらうよ。」


 空穏は、無表情を崩さぬまま長刀を構え直した。

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