第43話 人間標本(8)
「――お前は僕じゃない!僕はお前じゃない!お前はただのっ、化け物だろっ!コピー君っ!?」
「コピー君、って……え?」
今度は優子が困惑する番だった。智也が自分の「同族」で、那麻吾呂氏の魂の片割れである……と言うだけでも訳が分からないのに、今度は智也自身が「那麻吾呂氏=鏡の妖精」だと言う。
――云わば、ワタクシ共はアナタ様の『能力』が自立して意思を持ったもの……。
だが優子はすぐに気づいた。「ワタクシ共」――その言葉が指すものは、那麻吾呂氏や処刑人だけではない。蕁麻中学校に立て続けに出現した怪異、その全てだ。それらは全て、同一の魂の異なった人格――異なったキャラクターに過ぎない。
そして、その全てに先だって最初に存在したのは――
「――ダカラ、ソノバケモノガオマエダッテ、サッキカライッテルダロ?」
複数の人物の声が重なって、一つの意思による答えを返す――優子と智也の、真後ろから。
振り返って目に入るのは、ショーケースの中の大きな鏡だ。那麻吾呂氏はその中で、汚らしい歯をむき出しにしてニヤリと笑っている――その背後には当然、鏡像の優子が立っている。
そして……二人とも、どうして今まで気づかなかったのだろうか。
世常智也の姿だけが、そこに映っていなかった。
さながら、人の魂を持たない吸血鬼のように。存在そのものが幻影であるかのように。
だが、智也が立っているはずの位置に、代わりに「彼」が仁王立ちしている……それもある意味、至極当然のことだった。
「ゲッ、ゲッ、ゲッ、ゲッ…………!」
那麻吾呂氏は鏡の境界を越え、その巨体を無理やり押し出すようにこちら側にやってくる。右手に持った針でショーケースを突き壊し――その勢いで、ごろりと床に転げ落ちた。
「おぉっとぉ!?どわぁっ……!ゲッゲッゲッ……これは失礼致しマシタ……!」
「智也君っ!下がってて!」
那麻吾呂氏が重い胴体を持ち上げて立ち上がろうとしている間に、優子は智也を背後に突き飛ばす。そして、那麻吾呂氏の顔面めがけて鞭を振り上げた。
「――ぶへぇっ!?」
バチッ、と言う火花と共に、那麻吾呂氏の顔面が後ろにのけぞる。彼はとん、とん、とたたらを踏んで、なんとか二度目の転倒を避けた。
「ゲッゲッゲッ……ワタクシはトモヤ様の片割れなのですよ?彼の魂が傷ついても良いのデスカ?」
「っ…………!」
優子は動揺を見せるが、相手に攻撃の隙は与えない。鞭を構えながら素早くステップバックし、針の投擲に備える。
「ぼ、僕は今のでも何ともないから……ていうか、まだ説明を最後まで聞いて無いんだけど……!?やっぱりお前なのかよ、コピー君!」
「ゲッゲッゲッ……アア、ソウダヨ。キミノタッタヒトリノシンユウサ。ソノセツハドウモオセワニナリマシタ!アハハハハハハハッ!」
彼が笑うと、無数の声が重なって干渉し合い、古いラジオのように不快なノイズを巻き起こす。その多重性を強調するかのように、彼の顔もパーツのカタチが崩れて不自然にうねる……あたかも、顔が一枚の抽象画であるかのように。
「じゃあ……あなたが智也君自身なら、どうして彼を襲ったの!?」
「ン~、マア、ウヨ曲折ありマシテ。」
コピー君はくねくねと体をひねりながら、顔の造形を自在に組み替える。
「――時系列ジュンに言うと……よいっしょ、と。」
途端、彼の顔だけでなく全身の色が消え、紙粘土のように流動化して形を変えた。
「――まず、飯島玲奈と契約を結んだ時から、『ワタシ』の意思が始まりました。彼女は人並外れて強い情念を抱いており、ワタシが成長するにはこれ以上ない最上のパートナーデシタ。」
そこに立ってハスキーボイスで語っているのは、まぎれもなく「キューピットさん」――優子が最初に倒した怪異だった。
「ですが本体であるヨツネトモヤがあまりにも腑抜けており、自分の使命に無自覚。それにもしワタシ達がそれを教えたとしても、協力してくれそうにもない。そこでワタシはトモヤという体を捨て、玲奈として生きるコトを決心いたしマシタ。……ところが鏡の妖精はこれに反発、しかも契約に邪魔が入った!ワタシの攻撃が何度か防がれてしまいまシタ……アナタが作った怪異のせいとしか思えなかった!だから私は完全に実体化してすぐに、トモヤを倒すことにしたのデス……相手がどんな怪異であれ、玲奈の怨念を吸い上げたワタシの方が勝っているのは明らかでしたから。」
「契約者が永久に行動不能になれば、怪異は消える」――キューピットはあくまで玲奈に拘って仲間割れした挙句、本体である智也を眠らそうとしたのだ。どうやら彼らの行動原理はあくまで契約第一らしい――契約者が直接の生みの親、だからだろうか。托卵先の母鳥に愛着を持ち、卵を産み付けた
「ですが……真の脅威はアナタだった!」
そう言ってキューピットは、再び姿を変える。
「シライシユウコ……お前もトモヤと同じで『特別』だって気づいたんだ。……まあ、キューピットの奴はさぁ、せっかちすぎたんだヨ。最初の『習作』だったってのもあっただろうけど、契約者の性格と感情に引きずられすぎたんだ、情けナイ……!ボクはその二の舞はごめんだったカラネ!ちゃんとユウコから隠れて頑張ったのさ!しかも、今度は複数人と同時に契約してみタ。これで効率よく『お友達』を集められたっていう訳だ……ざっと五十人くらい。」
「……あの時、解放で来たんじゃ、無かったんだ……。」
優子は茫然とつぶやく。優子が絵画を破壊した時のこれみよがしな
「結局トモヤが首を突っ込んできたから捕まえるしかなくて、当然の如くユウコがおまけについてきちゃったんダケド。……まあでも、僕のおかげで十分、『ボクタチ』はレベルアップできた!トライ&エラーだな!努力は必ず報われル!」
「空」は空々しく『上条礼二らしい』台詞を叫んで、再び変身する。
「――とか言う暑苦しいことばっか言ってる野郎を当て馬にシテ、ようやく真打の俺様の登場って訳だ!俺は最初っから実体化できるし、校内の状況は全部把握できる!そして戦闘能力も最っ強ッ!俺が食らうのは他者への憎悪、殺意、復讐心っ――!負の感情の最たるものヲ、学校中で拾い集め、増強し、混乱を起こして更に負の感情を増大させタ――!恐怖、猜疑心、後悔、罪悪感……!そして今世紀最大の外道畜生っ、鬼瓦を公開処刑してクライマックスゥッ!」
「処刑人」はバットを振り回し、マントをはためかせて見栄を切る。優子は後ずさりするが、彼はあくまでまだ説明を続けるつもりらしかった。
「これで契約者共が俺にトラウマ持ってくれりゃ計画は完ぺきだったんだガ、急に『あんま目立ちすぎんな』って言う『勧告』ってのが入ってな……ついでに一連の事件のことは、人間どもの記憶から消されちまッタ!クソムカついたが、しょうがねぇ。それで俺たちはようやく、霊界のルールが分かったって訳ダ!」
「それって、いったい誰が……?」
優子の問いを、処刑人はにべもなく跳ね除ける。
「それはお前には言わねー約束ダ……!後、お前あいつに危険視されてるゾ?お前の『先生』から聞いてるらしいぜ、お前は人間に肩入れしすぎだってよぉ!」
「っ…………!」
優子はぐっ、と何かを飲み込むような悔し気な顔をするが、智也には何のことかわからない。
「ゲッ、ゲッ、ゲッ……ワタクシ達のような低級霊に対してはともかく、『同族』であるトモヤ様の邪魔をするのはご法度だそうですネェ……?アナタ様はもう、トモヤ様の正体を知ってしまわれタ。故に、彼の眷属であるワレワレを攻撃すれば、それは確信犯デス……!ああ、申し遅れました。最後の人格であるワタクシ、ドクター那麻吾呂氏は、トモヤ様自身の願いから生まれましタ。『人間の醜い欲望を具現させ、晒し者にしたい』ト言う願いから、ネ……!」
歪なイメージでかたどられたヒトガタが、嫌らしく笑いながら頭を下げる。
「……わかった。お前……ていうか、お前達は、智也君だけじゃなくて、他の人間の心を映し取って学習し、成長したんだね?それで、強い願いを持った人たちの心象から、毎回違う姿を得ていた。それが、『鏡の妖精』の力ってことでしょ?」
「ソノトオリ!アッパレ、ゴメイトウデス!ヤバイ、マジテンサイ!メイタンテイ……!」
「あなたは!契約者の魂を集めてるらしいけど!集めてどうするの!?食べるんじゃなくて、眷属にするのが目的!?」
優子はコピーの冗長な誉め言葉をさえぎって怒鳴る。
「チガウヨ!オレタチは『寄生型』の怪異ダカラナ!ヒトの心ヲ器ニしてカタチを手に入レ、ネガイを叶えてソイツノ存在そのものも頂くのサ!」
「……この虫たちは、集めた魂たち?」
「左様デス!彼らは己の欲ソノママの姿に成り果てタ、理性ナキ魂の成れの果てデスヨ。片ヤ、彼らノ器の方はモウ、二度と『満足』と言うものを感じられなくなりマシタ。シカシ、人間たちは満たされないことに耐えられナイ!故に、意味も見い出せないウツロな欲望に突き動かされ続ける、おマヌケなヌケ殻トなるのデス!その際限のナイ欲望ヲ以てイッショウ、ワタクシ達に栄養ヲ供給し続けるのデス!」
「…………そんなこと、絶対許さない!」
「……許さなイ?それは奇妙なことデスネ!それが人として『不自然』だからデスカ?」
「そうだよ。勝手に人の心を操るなんて許されない!しかも、人から生き甲斐を奪うなんて……生きる意味を見出せないなんてこと、あっていい訳ない……そんなの、間違ってる!」
優子は朗々とした声で断言した。
だが、コピーはそんな彼女をあくまで嘲笑する。
「ゲェッ、ゲッゲッゲッ……!シカシ、人間にとっての『自然』はソモソモ、無意味にナニカを求め続けることではありませんか?その欲望に恋ダノ克己心ダノ正義感ダノ、それらしくお上品な名前を付けて、意味があると思い込んでいるだけではありマセンカ!」
「違う!同じ願いでも、良い願いと悪い願いがある!お前が良い願いを知らないだけだ!」
優子は激高して鞭を振り回す。廊下が狭いため、周囲のガラスケースが割れて破片が飛び散る。
那麻吾呂氏は攻撃を避けもしない。攻撃が当たった個所が醜く抉れ、表面と同じ色の平坦な断面から煙が上がる。
「――お前たちはっ、悪魔だから!悪いことしか願わないし、人間にも悪いことをさせるっ……!人間を悪魔に変えようとする!そんなこと、絶対許さない!」
「わるいこと」、「いけないこと」、「だめなこと」――優子は自身の幼い正義感を絶対的に信頼し、敵にありったけの憎悪を向ける。
「ゲェッ、ゲッ、うぼぉっ、ゲェッ…………!アハハッ、あばっ、アハハハハハハハハ!」
「っ…………!」
智也の腕を飛び散ったガラス片が切り裂いたが、優子に口出しする気にはなれない。これほどまでに彼女が怒りをあらわにすることは、今までになかった。普段の聖母のような笑顔からは想像もつかない、常軌を逸した修羅のような形相――
智也は確信した――彼女はもう、智也のことを顧みる気などない。彼女の眼中にあるのは、ただ、彼女の完全な正義の実現。断罪の執行のみ。躊躇うことなど、何もない。
――ああ、やっぱり……僕は、この人が怖い。
智也はよろよろと後ずさる。
「ワタクシ共にお怒りにナルのは、お門チガイだゾ!ぶべっ……コレハ、智也サマの願いなんだから、ナ……ごふぁ!願うのは、人間デスヨ!オレタチはそれを手伝っただけだッテの!アハハッ!」
コピーは滅多打ちにされながらも、あくまで無抵抗で優子を挑発し続ける。
「黙れ悪魔ぁっ!悪いものは悪い!誤魔化すなぁ!」
この人は……異常だ。
自分も、異常だ。化け物だ。
人間も怪異も、みんなみんな。
…………そう、それでいいではないか。
それがどれだけ好ましい感情を抱かせる美徳でも、どれだけ厭わしい悪意に満ちていても、所詮全て同じヒトガタ……グロテスクな化け物なのだ。
だが、それらの息の根を止めて、ついでに空ろな体も針で留めてしまえば、なんということは無い。どれもみな等しく、ただの観察対象。なにも恐れることは無い。いくらでも勝手に批評し罵り嘲って、あるいは好きなだけ愛でて賛美すればいい。そしていざとなったら、潰して捨ててしまえるのだ――
――そう、それが僕がやりたかったこと。
結局は何処かで薄々、自分が特別だと自覚していたのだろう。いかに自己批判をしようと、結局何処かにそういう優越感があったのだ。…………人間たちを、見下したかった。
智也は遠くから、一方的に敵の体を抉り続ける優子の背中を見つめる。
――…………そしてきっと、彼女も同じように閉じ込めたかったんだ。
他の凡庸で俗悪なコレクションなんかとは違って、特別な、一等きれいなレア物として。ガラスの中に閉じ込めて、偶像のヒロインにしたかったのだ。
……いや、そんなことはしたくなかった。嫌だった。認めたくなかった。自分がたかが一個体にかかずらっているなど。自分より道徳的に優れている存在に、魅せられてしまっているなどと……。
ただ玄人ぶって、達観した態度でケースの外から眺めているだけの自分ではなく……彼女こそ、本物の超越者なのだ、と。
――だから、僕は……。
「……お前たちが智也君の一部だとしても、関係ない!」
那麻吾呂氏の体は煙に覆い尽くされ、ほとんど実体が消えかかっていた。優子のその行為は、智也自身を否定し、消し去ろうとするに等しい。
――僕は、君のことが…………。
「――お前たちを倒して、智也君の体を取り返す……!智也君を、悪魔になんかさせない!」
――…………え?
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