第42話 人間標本(7)

「……優子さん、優子さん!」

 優子は智也に体を揺さぶられて意識を取り戻した。

「…………智也君……ここ、どこ……?」

 起き上がってあたりを見渡せば、そこは全面真っ白な正方形の部屋だった。……智也には、見覚えがある。一昨日の夢の中に出てきた、「人間標本」の博物館だった。

「っ!これって全部……。」

 優子が展示品を見て、警戒の声を上げる。ガラスケースの中にいたのは、先ほどまで学校で暴れ回っていた昆虫たちそのものだった。コオロギやカマキリ、ツクツクボウシもいる。智也にとっては、すぐ傍の白い蛾を見るのも二回目だった。

「ここ、僕の夢に出てきた場所だ……。」

「夢……私、敵の針で刺されてここに来たんだけど。ツギハギの男で、窓の外から襲ってきて。智也君は?」

「僕もそいつにやられた……君を襲った後にそうかに出てきたんだね。那麻吾呂氏って言うらしい。」

「生殺し……嫌な名前だね。」

「全く同感。」

『――ゲッ、ゲッ、ゲッ……!ナント失礼ナ!』

 唐突に、廊下全体に那麻吾呂氏の声が響いた。マイクで増幅した音声のように遠近感もあったが、同時にすぐ耳元から話しかけられているようにも思えた。このあいまいな感覚は、夢の中ならではだろうか。だがその一方、身体の感覚と意識は明瞭で、現実そのものだった。


『大体、ワタクシの名前はアナタ様のイメージから出たというノニ!』

 優子は辺りを見渡して警戒しながら、手に鞭を握り締める。現実で所持していた物は、夢の中にも持ち込めるらしい。

「『アナタ』って……智也君のこと?」

『如何にもその通りデス……!ワタクシはトモヤ様の願いから生まれたのデスカラ!』

「え……!?」

「っ、僕は契約なんてしてない!」

 智也はどこにいるとも知れない怪異に言い返すが、それは優子の顔を見ながらの弁明を兼ねていた。

「そうだよ!智也君は怪異を使って人を傷つけたりしない!」

『ホウ、如何してそのように言い切れるのデスカ?』

「だって、智也君は正義を信じてるから!自分の勝手な願いのために他人を傷つけちゃいけないってわかってるし、そういうことをする人たちが許せないって、本気で思ってる。私にはそれがわかるもん!」

 その言葉で、優子がいかに智也の人間性に確信を持っているかがわかる。だが智也は、申し訳なさで息が詰まるような感覚を覚えた。


 ――違う、違うんだ優子さん……僕は、本当は。

 

 僕は確かに、今まで怪異を倒すために君と協力して来て、表面上はお行儀良く振る舞っていたさ。そうしたらなぜか君は、僕と気が合ったと思い込んでくれた。僕のことを正義の味方の相棒みたいに扱ってくれた。

 でも僕は本当は、君が知ったらきっと反吐を吐くような、陰湿で、卑怯で、無慈悲な思想の持ち主なんだよ。君と言い争うのが面倒だから、ただ口に出さないでいただけだ。


 智也は罪悪感を感じる一方で、またしても優子に対する認めたくない嫌悪感を募らせていた。勝手に他人に、自分と同じ道徳水準を押し付けないでほしかった。勝手に自分なんかに、優子と同じ「いい人」の名札をつけないで欲しかった。


『ゲッ、ゲッ、ゲッ……エエ、契約などしておりマセン。シカシ、人と言うのは誰しも、心の奥底に醜い願いが潜んでいると言うモノ……それは半分人ならざる者と言えども、それは同じデス。』

「っ……!」


 ――ああ、やっぱりこいつは、わかってる。


 智也が自分で気づくより先に、怪異は彼の暗い、歪んだ願望を知っていたのだ。だから先回りしてその願いを叶えてやることにした、という訳だ。……そう、契約など必要ない。そもそもそんな「ルール」すら、智也が望んだ「これ」の一部なのだから。


 だが、優子は那麻吾呂氏の発言の中で、智也とは違う部分に注目していた。

「人ならざるって……どういうこと?」

『ゲッ、ゲッ、ゲッ……気づいておられないのデスネ。モウお教えしてもいいデショウ、ユーコ様。

――ヨツネトモヤ様は、アナタ様と同じ上級霊なのデス!』

「え…………じゃあ、まさか――」

 優子が目を見開いて智也を見る。

「智也君が、『本体』……!?」

 優子は「先生」の話を思い出し、重大な真実を察した。未だ彼を信頼する気持ちに変わりはないと言うのに、思わず一歩身を引いてしまった。


 だが一方、智也は、全く話が見えていなかった。

「え……上級…………どういう、え……優子さんと、同じ?」

 智也の困惑ぶりは、どう見ても演技とは思えなかった。

「智也君……覚えて、無いの?生まれる前のこと。」

「は?」

 生まれる前のことなど、覚えているはずがないではないか。

「え、でも……無自覚なのに、なんでこんな…………。」

『エエ、無自覚でいらっしゃいマス。トモヤ様、あなたもユーコ様も前世はワレワレと同じ、霊の世界の生物でいらっしゃいマシタ。』

「僕が……?」

 智也は現実味のない感覚で優子の顔を見る。自分が、彼女と同じ、なんらか特別な存在だと言うのか。だから気が合うのか?いや、性格は関係がないはずだ。自分と彼女では天と地ほどもの差がある。あるいは、特別な「力」があるのだろうか。だが智也は、それを使ったことはおろか、そんな片鱗を自分の中に見いだしたことすらなかった。

「……シカシ、いささか人間の体への適合がうまく行きませんデ……魂が一種の分裂を起こしてしまわれマシタ。。云わば、ワタクシ共はアナタ様の『能力』が自立して意思を持ったもの……シカシ、その本質は単なる虚像にして影。あくまでアナタ様の一部なのですヨ。』

「……ちょ、ちょっと待てよ!さっきから何言ってんのか全くわかんねえよ!?」

 智也は苛立ちと恐怖から怒鳴る。違う、そんなものは違う、と。頭が本能的な拒絶を発している。自分は人間だ。そんな、そんな……訳の分からないものではない。気持ちの悪い、化け物などではない。

『『化け物』デスカ……デハ、ユーコ様も化け物と言うことになりマスネ。ゲッ、ゲッ、ゲッ……!』

「違うっ、そんなこと思ってない……!」

 智也はまたしても、優子と怪異の両方に言う。そもそも、智也は「上級霊」が何かすらわかっていないのだ。優子が「それだ」と言うことについても、深く考えられていない。

『イイエ、思っていらっしゃいマス。アナタ様はユーコ様を恐れていらっしゃル。理解できナイ、気持ちが悪いと思っていらっシャル。ソノ完全無欠な清廉さを羨み恋焦がれナガラモ、何処かで『こんなものは人間ではナイ』と思い、否定したがってイル!自分に劣等感を抱かせるヨウナ、完璧すぎる彼女が許せナイ!彼女を貶めたいと願ってイル!』

 那麻吾呂氏が実に楽しそうに「」をし続ける。次第にその声には、智也自身の声色が入り混じっていく。


「違う!違う!もうやめろっ……!勝手に人の心を読んだ気になってるんじゃない!」

 智也は相手がどこにいるかわからないのに、あたりを見渡しながら、腕を振り回して叫び散らす。その姿はさながら狂人のようだった。


「――お前は僕じゃない!僕はお前じゃない!お前はただのっ、化け物だろっ!っ!?」


「――ダカラ、ソノバケモノガオマエダッテ、サッキカライッテルダロ?」

 那麻吾呂氏は――否、「彼」は複数の重なった声でそう言った。


 

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